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昔からおなじ

先日のこと。
自分が書いた何千文字かの文章へ、クライアントから思いきり赤字を入れられた(修正指示された)。

2ページにわたる文章だったけれど、ページにはびっしりとした修正指示が、もう1ページにいたっては返ってすら来なかった(すべて再考してくれということだ)。

がっくり。

原因はいちいち突いてもしようがないほどたくさんあって、
最初の打ち合わせのときに認識がずれていたりとか
もちろん自分の文章の拙さもあったりだとか、
とにかくいくつかあった選択肢をすべて間違ったような感じ。
がっくりだった。

しかし、思えばこうして挫折を知ってきたように思う。

小学校のとき、おぼれかけながらもがいた水泳の時間も、
社会人に入って初めてやったプレゼンも、全部そうだった気がする。

そして、こうやって一度どんと落ちると
次は前にいたとこよりも、少し高いとこにぐっと上がれることが多い。
たしか、おれのこれまではそうだったはず。経験則。

「あー分かってる分かってる、このパターンね」
と俯瞰できるようになればあんまり自分の人生に動揺しなくなる。
と誰かが言っていたけど、そうかもしれない。
もっとも、自分は動揺しまくっているわけだけど。

ああ、そう言えば最近調子に乗っていた。
天狗だった。世界は自分のものだと思っていた。
なんて不遜だったんだ。最低だ。
ぐじぐじそんなことを考えながら、
鉛のような心を引きずって、休日、すべてリライトした。

週明け。並行して進めていた、大きな会社への企画の提案日だった。
知れば知るほど好きになれた会社だったので、頑張って企画も考えた。
文章も書いたし、プレゼンも自分でやった。謙虚な気持ちで。
すると、提案のその日に「お任せしたい」と返事をいただいた。

天狗にはなるまい。世界はみんなのものだ。
謙虚な気持ちのままありがとうございますとメールをし、
次はちゃんと打ち合わせですり合わせよう、
拙い文章になっていないか何度も読み返そう、と思った。

落っこちて、上がる。やっぱり、昔からおなじなのだ。
仕事帰りのジムで泳ぎながら、そんなことを思った。