見出し画像

パチモノ

以前、数年間ほど中国に住んでいた。
帰国後、中国と言えばパチモノでしょ、とよく言われる。
「中国行ってたんだ、パチモノ多かったでしょ」。

あまのじゃくな自分は、こう言われると、
なんとなく「いや、別にそうでもなかったよ」と言いたくなるが、
言えない。実際に(少なくとも当時)パチモノは多かった。
たしか100円くらいのcrocsが売っていた気がする。
PRADAのTシャツはタグの刺繍が小学生の工作みたいに荒かった。
そう、全体的に荒っぽかったのだ。荒っぽいし、埃っぽかった。

パチモノの根っこは、たぶん「わかんなきゃおんなじでしょ」だと思う。
「バレないバレない、だからおんなじでしょ」。
実際こんなようなことを言われた気すらする。バレなきゃ本物と同じ。

だから、パチモノの背景には、「ブランド品の価値は、これはブランド品だと自分以外のひとに思われることだ」という前提があるということになる。
だからこそ、バレなきゃ同じ価値になる。

ひょっとしたら、それこそが、ブランド品をきちんと買っているひとにとっていちばん腹立たしい点なんじゃないだろうか。
パチモノを売る行為そのものではなくて、パチモノの背景にある思想みたいなそれ。

パチモノを受け入れると、「ブランド品の価値は、これはブランド品だと自分以外のひとに思われることだ」というパチモノの思想を認めてしまうことになるし、
それを買っている自分はブランド品だと他人に思わせたいひとになっちゃうという構図が生理的に腹立つのかもしれない。

ところで、あたり前だけどパチモノに品質保証はない。
パチモノにも何種類かあって、例えば、前述している「ブランドをまとうためだけにパチった」やつと、「プロダクト自体が売れているから、かたちだけパチっている」やつがある。
たとえば、最初に書いたcrocsなんかはまさに後者だった。

いちど見てみたことがある。
八百屋だか雑貨屋だか、とにかくおじさんが座ってる軒先で売っていた。
手にとって見てみる。crocsとは書いてなかった。
たしかcroksとか、clocsとか。妙に軽い。
かかとの位置から、なんか出ていた。出っ張っている。
きっと履いたら、いたいだろう。かかとが。

雑なパチモノ。やっぱり荒っぽいのだ。