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上海の出会い

一時期、中国・上海に住んでいた。

ジャッキー・チェンはそもそも香港出身のスターであったことや、
画数がやたら多い漢字は「繁体字」という、台湾や香港、マカオあたりでしか使用されていない字であること、
エビチリは中国にはないことなどは、すべて現地で知った。
ようは、知識などないままとりあえず住んでみたのだ。

当時(10年代初頭だ)の上海は、埃っぽかった。
埃っぽくて、裏通りはまだまだ雑多で、有料の洗濯屋さんとかがあった。
その一方で、浦東と呼ばれるエリアを中心に、
竹の子のように新しい、それも煌びやかな、
言ってしまえばやや大げさなほど近代的なビルが建設されており、
ふえるわかめちゃんのように都市部が拡大している最中だった。

その過程はダイナミックではあったが、
知識もないままそこに住んでいる外国人にとっては、
どことなく他人事であったことも事実だ。

言葉は、それほど喋られなかった。
というか、「それほど」などと一人前に言うと語弊があるなと恥ずかしくなるくらいしか喋られなくて、
例えばピザの出前を取るときは何度も頭の中でシミュレーションしてから望んだ。
現地の幼稚園児に話しかけたら、「あぁ?」とおっさんみたいな声で聞き返されたこともある。
とにかく、カタコトだったのだ。
読み書きに関しては、ほとんどできない。

そんな自分でもお店に入って注文するくらいはできたので、食事はもっぱら外食が多かった。
ラーメン、和食、火鍋、焼き肉。中でも火鍋はたくさん食べた記憶がある。
2時間くらい食べてから店を出ると、服が火鍋の匂いになるんですよね。

ある日、コーヒー飲みたいなあと思いながらぼんやり歩いていたら、
「上島珈琲」の店舗を見つけた。
(あとから調べたら、日本のUCCとは無関係らしい)
なんとなく既視感もあり、
ちょうどコーヒーも飲みたかったので、中へ入ってみた。
「欢迎光临(huān yíng guāng lín)」
上海の接客は決して良くはないが、
この「いらっしゃいませ」を意味する「欢迎光临」だけは、
比較的どの店舗でも聞こえてきた気がする。

お店は広い。深い赤色のソファーが並んでいて、
なんとなく昔の日本の純喫茶っぽかった。

席に座って、なぜ純喫茶っぽいと感じるのかが分かった。
あれがあったのだ。
あれ。あの、何て言ったらいいんだろう、
ボールみたいなかたちをした占い機。
茶色くて、星座のイラストが描いてあって、
100円を入れて取っ手をスライドさせると結果の書いた「玉」が出てくる、あの占い機だ。

子どもの頃、地方の観光地で見かけたそれは、
そのままの姿でそこにあった。
あるいは日本での流行がピークを過ぎ、
消費量が減る中で上海へ辿り着いたのかも知れない。

当時、自分がねだった個体がそのままそこにあるわけはないが、
それでもかたちがほとんど変わらず、
ばったりと上海の街中で再会したことがどこか嬉しく、
同時に頼もしく感じた。

コーヒーを飲みながら硬貨を入れてスライドさせると、
ちゃんとコロンと玉が出てきた。

中身はもちろん中国語で、さっぱり分からなかった。