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「なんか、今の自分って幸せじゃないな...」というモヤモヤについて考えてみた。

僕は今26歳。
大学を卒業して社会に出てから3年以上が経った。

社会に出て『仕事』をするようになってから、僕の視野はずいぶん狭くなったように思う。
いや、社会に出たことでこれまで知らなかった知識を得ることができたし、学生の頃にできなかった経験ができているから、実際には視野は広がっているのだと思う。
だけど、自分自身の未来を想像した時に見えていた可能性が、なんだか狭まったように思う。


視野が狭くなった気がする、今の僕

現在僕はフルタイムで都内の会社に勤め、忙しいながらも毎日仕事に勤しんでいる。
それなりのお金を稼ぎ、それなりに綺麗で広い家に住み、憧れだった猫との生活を実現し、パートナーもいる。
お金もなく、大した力も持っていなかった学生時代と比べれば、ずいぶん幸せになったと思う。
学生の僕が今の僕の姿を見たら『お、そこそこいい線行ってるじゃん!』と思うのではないだろうか。

だから、それで良い。
僕は前よりも確実に幸せになっている。
それに関しては何の文句も不満もない。

でも、自分の未来を見つめた時の『視野』が狭くなったような気がしている。

大学生の時はいつも、自分の未来を想像してワクワクしていた。
目を閉じて想像すれば目の前に無数の可能性が浮かんできて、僕はその度に「あれもやって、これもやって…」といろんな想像(妄想)をしたものだ。

その時の僕は、大した力も夢を叶えるだけの原資も無かったのに、ただひたすらに自信だけがあった。
思いつく限りの未来を全て実現できるような気がしていた。
その時の僕は社会的に見れば何も成し遂げていなかった。
なのに、いつもあらゆる可能性が目の前に広がっていて、僕は常に広い『視野』を持っていた。


当時の僕は、数年先の自分がそこそこの家に住んでそこそこのお金を得ているとは思っていなかっただろう。
むしろ、いつまでも小さなアパートに住み続けながらも、将来に向けて魂を燃やし続ける、売れない漫画家みたいな未来を想像していた。

結果、当時想像していた姿よりも現在の僕は、「うまくいっている」ように思う。思っていたよりも幸せな生活が実現できているものだから、僕はあぐらをかいて、未来の可能性を探ることを放棄していた。
その結果、未来を見つめた時の視野が徐々に狭くなっていった。

昔は何も『無かった』から、いろんな未来を想像できていた。
今は欲しかったものが『有る』から、それ以外の未来を想像できていない。
そんな感じだ。


本当に今の僕は幸せだろうか?

…僕は温泉に入りながら、そんなことを考えていた。
暖かい湯に浸かりながら空を見上げ、大学生だった頃の自分を思い返していた。
そして、気づいた。

「あれ、、思っているより、僕は幸せじゃないぞ。」と。

いや、確かに今の僕は社会的に見れば、そこそこうまくいっているかもしれない。
昔想像していた以上に幸せな生活を手に入れ、好きなものを食べて好きなものを買い、楽しい時間を過ごしている。

そういった意味ではものすごーく幸せなのだが、僕が求めていた幸せとはちょっと違っているような気がする。
『幸せが足りない』と表現した方が良いかもしれない。

僕が社会に出てから抱えていたモヤモヤとして感情の正体はこれだった。
なんとなく幸せにはなっているのだが、ちょっと足りないのだ。
例えるなら、6角形の幸せグラフがあって、そのうち一つが足りていないような感覚…

(めっちゃイメージ)

そのモヤモヤが消えなくて、僕は社会人になってからずっと心の奥底に黒っぽいモヤみたいなのがかかっているようだった。
こんなこと言うと精神的な病を心配されそうだが、正直な話、ずっと「なんだか幸せじゃないな〜」という漠然とした感覚が僕を取り巻いていた。


モヤモヤの正体

実際、そのモヤモヤがあることは把握できたけど、その原因はハッキリとは分かっていない。
だが、サウナでヒーヒー言いながらそんなことを考えているうちに、少し分かってきた。

多分、『仕事』だ。

僕にとって仕事はお金を稼ぐツールであり、自分のアイデンティティであり、そして何より僕を縛り付ける『枷』だった。

誰もが仕事をするとき、自分の個性を封じ込めている。(と、僕は思っている)
僕の場合、自分が本能的に苦手なことでも封じ込めて仕事をこなし、自分がものすごく得意なことも業務の内容に合わなければ封じ込めている。
要するに、『個性』を封じ込めているのだ。

だから僕は常に「自分が仕事をしている」という感覚が薄かった。
例えるなら、僕が作り出した『理想的なもう一人の僕』が仕事をしていて、それによって僕は今の幸せを得ている、というような感覚だ。
今の人生の主人公は自分ではない。
そんな漠然とした感覚が、僕のモヤモヤの原因なのかもしれない。

思い返すと、学生時代の僕が思い描いていた未来では、常に僕は自分の中の主人公だった。
自分がやりたいと思えることでお金を稼ぎ、それを元手に別の分野に挑戦する。
そんな姿が理想だった。


さて、これからどうしよう?

さて、おそらく僕の心のモヤモヤは、『自分が主人公ではない』という感覚によるものなのだが、それに気づいたとして、今の僕に何ができるだろうか?

まずは、このままだと「そこそこの幸せ」は手に入るけど、「僕が思う幸せ」は手に入らないと危機感を持つ必要があるだろう。
この先何年同じように生きても、僕は自分が思い描く姿にはなれない。
好きなものを食べて、好きな人と一緒に過ごすだけでもきっと幸せなのだが、何かがちょっと欠けたような、足りないような感覚を味わい続けることになるだろう。

幸いなことに、数年間モヤモヤしながら仕事を続けてきたことで、僕は昔よりも力を得た。
それは知識であり、地位であり、お金であり、人脈だ。
だからきっと、理想的な幸せを手に入れる可能性が、昔よりも高まっているはずだ。

今の僕はそれを使えていないだけだ。
その結果、モヤモヤを消せずに毎日を過ごしている。


僕が昔立ち上げた活動で、今止まってしまっているものは数多くある。
小説の執筆、グラフィックアートプロジェクト、雑誌の作成、ブログの更新。
これ以外にも、友人と立ち上げたプロジェクトの運営など、僕の幸せに直結する活動の中で、動かせていないものは数多くある。

それを一つ一つ動かしていこう。
僕にとっては仕事よりも大事なものなのに、それを動かせていないから、僕は常にモヤモヤしているのだ。

僕の人生に今必要なのは、僕の可能性を広げる様々なプロジェクトを自分自身が動かせているという感覚だ。
それが一つ一つ動き始めて、僕がそこから今の仕事を同じorそれ以上のお金を得られるなら、仕事をしている意味はない。

それが最終的なゴールかはわからないけど、今の僕に必要なものが見えた気がする。


…そんな記事を、温泉から上がった後につらつらと書く、今日この頃です。


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