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「ブラジャー」と「表現の自由」に関して悩んだこと

こんな漫画を描いた。

いままでブラジャーを適当にしていて、その後、専門店でしっかりとしたものを買ったことがある女性にとっては、私が感じたこの感動は共感できるものだと思う。

本当に、いやもう本当にすごいのだ。

ワコールさんなど下着専門店は、膨大な研究と計算しつくされた設計によって商品を開発している。だからその「価値」を値段が高いからとかめんどくさいからとかで知らないでいるのは、本当にもったいないことだ。合わないブラをつけているのはからだに良くないことしかない、高くても専門店のものを買う理由があると、思い知ったのである。

「なんでこれを早く買わなかったんだろう……!?」と頭を殴られたように感じる、その後の世界が違って見える。便利で便利でしかたがなくて、他の人にもこの感動を、伝えたい。そうした出来事は誰しもあるに違いない。

ケチったり適当に下着を選んでつけていたわたしにとって、ワコールのブラはそういうことだったのだ。

だから、わたしみたいな女の子たちが絶対この世にはいるから、彼女たちにこの感動を話したい、届けたい。

ありのままを、わたしができる「漫画」という手段で、面白く届けたい。

そう思って、ワコールさんで下着を買ったのは2週間ほどまえ。だが、そのあとからずっと温め、構想を練り、普段の仕事終わり……真夜中の時間を眠い目をこすりながら制作に当てていた。ド素人で描きなれていないので、構想からラフ、下書き、ペン入れべた塗りまで、10時間以上はかけてしまっていたと思う。

なかなか満足いく出来上がりになったときは嬉しくて、たしか夜中の4時だった、すぐに出したいと思った。漫画としてのクオリティも以前よりあがっている自覚があったので、「漫画として読みやすいかどうか」感想を人に聞いてみたいと思った。

今日の早朝(6時ごろ)、はやる気持ちでTwitterに投稿した。

そのあと、知り合いにLINEを通じて「漫画として読みやすいか、感想をもらいたい」と伝えた。

Twitterでは投稿数分で、いいねやRTしてくれる方も出てきてくれた。

LINEも返ってきた。どきどきしながら、届いた感想を見るためにLINEを開いた。第三者から見て、自分が漫画をうまくかけるようになっているのか、知りたかった。

しかし次の瞬間、ショックを受けた。

知人からのLINEは「漫画として読みやすいかの感想」ではなかった。

「男性から偏見を持たれると思う」
「カップ数を明記する必然性ってある?」


わたしは男性ではない。
しかしSNSには、この世には男性もいるのは知っている。

わたしは男性ではない。
だから、男性がわたしの漫画をみたときに、「専門店のでサイズが合うとこんなに買い手を感動させるんだ。同じようにつらい思いをしている人が気付きや興味をもち、挑戦してみたいなと思って専門店へ行き、わたしのようにラクになってもらいたい」という、わたしが伝えたかった感動 の部分ではなく、とにかくカップ数とかエロ目線でしかみられない人間がいるかもしれないということが、正直いって理解できない。

知人は「それが一般論だから」と言ったが、わたしはそうと思っていなかったため、理解ができなかった。(はっきり言って一般化するのはエロ目線でみない男性に失礼だと感じる)

わたしはありのままが面白いと思ったし、Eカップというのはそんな思ってるよりホント大きくなんてない(ブラのサイズは胸の大きさではなく、アンダーとトップの差なんだから)、幻想を抱いて他人や自分の体を期待したり評価したり恥じたり劣等感をもたなくていいというのも、伝えたかった。

実際問題、Eカップはアニメや漫画キャラの過剰な描写設定の影響で、大きいものだというイメージを女性ですらもっている。だからBカップだと思っていたけどEカップだった、自分で思ってた以上にブラのサイズが違った、という女の子たちは多い(下着屋の店員さんから聞いたし、自分の実体験でもある)。

女性ですらそうなのだから、女性の体を知らない男性は無論、ほぼ全員がEカップに間違ったイメージを抱いていると思う。

ちなみにEカップの、無知による妄想たくましいイメージ(左)と実際のもの※(右)をおいておく。(※EカップもE70とかE80という分類があるため、一概にすべてが右とは言えません。個人差があります)


わたしの知り合いに、彼氏含め男性から「思ったより胸が無い」「カップ数盛ってるでしょ」と疑いの目を向けられたという子がいる。ブラのサイズ=大きさではないのに。そしてそこに優劣などは存在しないのに。女性の体をイメージでしかわかっていない(しかもほぼ間違っている)のに、そんなこと言うのは本当に怒りが湧いた。

わたしは理屈ぶったところがあるので、表現をするときに数値とか定義を大切にする。だからカップ数を明記せずにぼかすという手段も考えていたけれど、既存の数値を使用して具体性を出し、分かりやすくしようと思った。

わたしにとって自分のカップ数を明記することは自慢でもなんでもない。ただのありのままの現象、自分が開発したブランドの米1袋が1kgだよ、2袋になると2kgだよといっていることにしか過ぎない。(なんなら身長体重も公言できる)

だからただの数値に対して偏見の目で見られるからやめたほうがいいよとか、そんな受け取り方をするのは理解が出来ない。

わたしはエロ目線でしか見られないような男性のために描いているのではなく、具体的に、女の子たちに共感してもらいたくて、女の子たちの生活を楽にしてあげたくて、描いている。Twitterに投稿したとき「女子向け漫画」と明記もしていた。

だからこの漫画に対して、わたし自身の漫画家としてのイメージではなく、カップ数に関するセクシュアリティからの興味を持ってきた男性がいたら絶対に絶対に絶対に、お呼びではない。

知り合いは「SNSにはエロい捉え方をする男性がいる、噂になったら困るでしょ」とわたしのためを思ってアドバイスをしてくれた。しかしわたしはめちゃくちゃショックで、イラついた。

わたしが「漫画として読みやすいかアドバイスを聞いているだけ」なのにそういうことをまず思う人は、他人を思って言っているのではなく、自分の中にバイアスがあると気づくべきだと思った。自分がまず偏見の目で見ているのが、1割でもあるから、そういう「気遣い」が先に出てくるのだ。

下着や体の事実は見せてはいけないぼかすべきこと。遺伝も関係しているから個人の力の及ぶところでもない、絶対的な価値基準にはならない、してはいけないとも思う事柄だが、勝手な優劣・評価意識を持つこと。セクシュアリティの分野に少しでも触れるとエロでしか物事を捉えられない人間がちまたにいる、それが一般論だ。配慮しろ、自衛しろ。それらがほんとうにめんどくなった。

わたしはもともと、性別というものがなければいいのに……と感じている、性別嫌悪なところがある。Twitterでのジェンダーに関するいざこざ、知り合いの恋バナ、芸能人の浮気不倫ニュースを見るたびに、その気持ちが加速する。

今回はじめて、性別に関することで、じぶんが描きたかったこと届けたかったこと、表現に関する「否定や抑制」を強いられる渦中に陥った。

被害者ぶっているのかもしれない。こころが狭いのかもしれない。
でも、とても混乱した。

ほんとうにショックだったし、しかし事実であることもわかるし、他人の価値観は自分にどうしようもできないことだというのもわかる。だからうまく反論はできずに、ショックのまま飲み込むしかない状況に追い詰められる。

わたしはTwitterに投稿して1時間、知り合いからLINEが来て30分後に漫画を消した。

女の子たちに知らせたいという使命感で何時間もかけ、ちょっとでも「上出来だ!」と自己肯定感の低い自分が初めて思えて、憧れの漫画家さんにも見ていただき絵をほめられた作品を、消すしかなかった。

いまこうやって文にしていることで後悔しているのだということが分かる。だけど、ほんとうに傷ついたあの瞬間は、消すしか、なかったことにするしか、わたしがとる方法はそれしかないように感じた。

偏見でしか受け取れない人間に配慮して作品を修正することもできたけれど、それは、それはできなかった。できなかった。無理だった。

わたしの描きたい、伝えたい、信念ではないと思ったから。

わたしは、わたしのからだが嫌いになった。ほんとうに嫌いだ。

そんなこと、あらためて思いたくなかった。

表現の自由ってなんだろう、と、その後夜まで考えている。

SNSに出すこと、配慮すること、描きたいという気持ち、伝えたいという気持ち、ターゲットとターゲットでない人、届くこと、届かせること、受け取り方、捉えられ方、男と女、セクシュアリティ、からだ、こころ、数値、定義、偏見、自分と他人、バイアス………


断片的な単語をこねくりまわして、まだよく答えはでない。

けれど、憧れの漫画家さんに背中を押された。

「こういうのが嫌になって、私も作品をひとめに出さなくなったんです」「創作者はこういうことに、よく遭います」
伝えたい動機と違うことで受け取る人は「その人側の内側に何か心理的な問題があるだけの話です。」

「この悔しさとかモヤモヤを、漫画にしたらいいかもしれませんね。足引っ張ってくるヤツに転ばされたら、起きる時タダで起き上がらないようにしたらいい」

わたしは純粋にサイズを明記しないほうがいい理由や一般的な男性=エロ目線という定義を疑問に思ってしまったし、正しい方法がなにかもわからないし、これがいいのかわからないけれど、今日感じたモヤモヤは必ず「表現」として残しておこうと思った。

漫画にするにはちょっと難しいので、文章でここに記録しておく。


とても悔しくて、泣いた。

生きていきます。どうしようもなくても。