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夜の電車

最近、夜の電車が楽しい。
その時間を有意義に充てろという人もいるかもしれないけれど
電車に乗ったら本もスマホも開かず
冷たい車内の壁に寄りかかる。
昼間、飛ぶように過ぎてカタチを追えない車窓の向こうは
夜、びっくりするほど把握出来るようになっている。
日が落ちた後は建物も自然も輪郭がぼけて、情報量が少なくなるからだ。

ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン

ぼんやりと視線を送る窓の外。
壁にもたれた肩や足の裏から伝わる振動。
街を走る電車ではなく暗闇を進む船に
いま自分が乗っているように思えてくる。
街灯やマンションの丸い光が真珠のようだ。
時折それはガラスに映るわたしの首筋や耳元へうまい具合に重なって
綺麗な真珠の装いをした自分と目が合ったりする。

響く停車のアナウンス。
ガクッと一度前のめりになる体。
開いた扉からふきこむ澄んだ風。
それと一緒に外からもたらされるクリアな音。
船乗り気分が醒めそうになるも
すぐにまたプシューッと音を立てて扉は閉まる。
あっという間に新鮮な風も音も消え、
再びぬるま湯のごとく淀んだ空気とリズムに揺られていく。

呼吸を抑え、心臓の鼓動を
電車の動きに合わせていくと
いつのまにか船は潜水艦になっていて、
どんどん深海に潜っていくような、
どこまでもどこまでも
身体が潮の流れに運ばれて
地球の底へ降り積もる
微生物の死骸、マリンスノー。
そんなふうに自らがなる結末へ
ふわふわと、ゆらゆらと、向かわされている気がする。

何も抵抗なんてしないよ
だから心地よいまどろみに
本当に果てしなく静かに
沈んでしまうことができればいいのに。
そう願う自分に気づいた時
いま、心に平穏が訪れていると、確かに感じる。

過去も未来も現在も
一切知らない人々。
けど電車に乗っている間だけ
同じ船の乗組員で運命共同体なのだと
妙な連帯感を抱く。
なぜかとても安心する。
ひとりぼっちで操縦桿をにぎり
暗闇に船を走らせているわけではないのだと
ここにいる誰も彼も「何者でもないのだ」という
「埋没する安心感」
「自分以外に頼って存在している安心感」
そういうものにゾクゾクする。

世の中の誰もがきっと、
自分を、自分を見てもらいたいと思いながら
同時に手放してしまいたい
そんなプレッシャーを感じたことがあると思う。
夜の電車に乗っているあいだ
いくら肩書きがすごい人もストイックに努力をする人も
勝手に体が運ばれていく
同じ暗闇に同じリズムで沈んでいかざるを得ない
無抵抗な存在だ。
頑張らなくていい、頑張らなくていい
堕落していく背徳感を味わう。
沈んでいくのか、心地よく溺れていくのか。
もたれていた壁から離れ、座席にむかう。
となりに座る知らない人と
触れるか触れないかの距離
肩を寄せ合い瞳を閉じる。

ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン

ガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトンガタンゴトン

でも

帰らなければいけないのだ。
聴き慣れた駅名で勝手に目がさめる。
音を立てて扉が開き、クリアな世界が押し寄せる。
ため息をついて席を立ち、電車の扉をくぐった瞬間
何者でもなくてよかった私は
ある家族の娘で、会社員で、
流されてはいけない惰性に負けてはいけない
そんな役割なのだと思い出してしまう。
一緒に駅のホームに降り立ったサラリーマンは
電車の中で揺られている時よりも
なんだか老けて疲れて見えた。
私もきっと同じように疲れた顔をしているに違いない
ふたりして、過ぎ去っていく電車を見送り歩き出す。


夜の電車。

ああ沈んでしまいたいなあ
そういう欲求を夜の電車は叶えてくれる。

しょうもない現実逃避だ。

だけどこれが、どうしようもない心のよりどころ。

帰り道は本もスマホも閉じて電車に乗る。
つかの間のその時間は
ささくれた心に息抜きとなる。

生きていきます。どうしようもなくても。