第2の故郷が大阪な理由~過去の栄光少し~

理由:人との出会いです

仕事で、とも言えます

今の職場
新宿にあるのですが
本社は大阪で
大阪の人が多く
ネイティブ関西弁に日々癒されたりしてまして

ふと
僕は何で関西弁に癒されるのか?と思いました

そういう僕は埼玉人JR(埼京線)ユーザーです

14年前

僕は22歳
1年原宿のショップで働いて
キャットストリートででんぐり返し(キャッチ)した功績と熱量が認められて
新しく出す大阪店の店長の右腕として転勤しました

初めての大阪で
初めての一人暮らし

今以上に「友達」という言葉に嫌悪感を抱いていたり
休みを欲しがらない習慣が幸いして
さみしさを感じることはありませんでしたが
今思えばそういう
「さみしさを感じないこと」
が、さみしいってことなのだと思ったりしました

店長という名のアニキ

実の兄と同い年(6つ上)の店長は
当時僕がハマりつつあった音楽(DJ)において
pioneer of japanな存在で
それはそれは憧れから入りました
で、それは仕事を辞めて、大阪を離れた今も色褪せないばかりか、さらに深まるrespectです

その様な存在であるアニキの結婚パーティーが昨年秋にあり
ひとまわりの時を経て撮影という口実で関わらせていただき
それはそれは嬉しかったりしました

僕はショップ在籍当時、アニキの「使えない右腕」として3年大阪で働いてました

アニキの人望を表すかの様に、お店やDJイベントにはアニキをアニキや友達、友達以上の存在として慕う人達がたくさん来ていて
その皆さんは僕とも仲良くして下さり
昨年のパーティーの時も変わらず再会を喜んでくれたりして
本当に嬉しかったです

あらためて
「第2の故郷だな」
と思った瞬間でした

その他

思い出がたくさんあるんです

先日の「過去の栄光」シリーズ以外にも

純粋に大阪のお店で接客して
からの
アニキのDJイベントに一緒に行ったり(僕の自転車2人乗りで)
その子のipodをくれたり
最終的にはメールで「付き合って下さい」を伝えてくれた子のことを思い出しました
(僕はそれをたやすくフッた…)

これ接客男子にとって最高に嬉しい体験ではなかろうか

我ながら僕は本当においしいヤツだなと思いました

その他2(ショップ以外)

学校では教えてくれないことをたくさん教えてくれたBarのあんちゃんや

そのあんちゃんのBarで知り合ってお店に来てくれてサクッとたくさん服買ってくれた飲食店の店長さんや

僕が住んでいたアパートの管理人のTさんや

「カルチャーのない奴はダサい」で、おなじみのレゲエ兄さんや

そのレゲエ兄さんのBarに飲みに来ていたロックなBarのロックな兄さんや

だいたい朝寄ってショートケーキみたいなパンを買ってたパン屋や

お店の斜め向かいにあった焼肉屋さんや

キレイなお姉さん2人がやってるお店の近くのインポートなお店や

シュッとしたお兄さんがやってるBarや

& moreいろいろありました

その場所その人がいる数だけ
僕は大阪が好きだと思いました

あ!近くのすき家でバイトしてた顔色の悪いあの子もいたわ!

予備校ついでにたまに買ってくれるあの子とあの子とあの子も!
特にメガネのあの子はイケメンでしたわ

結局お店にまつわる話になりがち

それくらいには仕事を楽しむことにコミットできていたのだと思います

公私融合とも言えるでしょう

とはいえ遅刻や無断欠勤を繰り返して終了になりましたが
にも関わらず5年も働かせていただいた社長には
この場も利用して
何度も感謝し続けると思います

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