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目標を持てない人が目標を持つきっかけとは?踊らされるならたのしく踊らされよう◆『遠くへ行きたければ、みんなで行け』(4)【ぷろおご伊予柑の大預言 番外編】


2022年12月8日に行われた読書会は、『遠くへ行きたければ、みんなで行け』の訳者の方々を特別ゲストにお招きしました。
こちらはその対談を加筆編集したものです。

◆『遠くへ行きたければ、みんなで行け』編

No.1 木曜の読書会スペシャルの背景とゲスト紹介
No.2 『People Powered』のコミュニティ観について
No.3 「遠く」ってなんだろう
No.4 コミュニティは手段?それとも目的?
No.5 心地のよいコミュニティってなんだろう
No.6 コミュニティの価値に気づくには?
No.7 コミュニティに入るときに気をつけたいこととは?
No.8 コミュニティのサイズとバリエーションの相関関係




そのコミュニティに、なにかしらの価値を感じることが群れるための初歩


ぷろおご:前提についておもったんですけど、遠くに行くのって時間がかかるじゃないですか。時間がかかるってことは、目標を固定したまま時間を経過させることですよね。僕のただの感覚なんですけど、時間を経てその場所にやっとたどりついたところで、目標としていたものはかわらずそこにあるのかな?っていうのが先にきちゃうんですよ。


たとえば、僕が今から東大を出て、教授になって若い学生をたぶらかすぞ〜っておもっても、はてさてじゃあまず、東大に入るまでに何年?

2年かかるとして、学部卒までで4年、院を出て10年ぐらいかかるじゃないですか。10年後の日本でそれができるの?って。今から遠くに行くってことはプランを立てて、コミュニティを盛り上げながら10年走ろうみたいな話ですよね。

10年後にたどりついたとき、そこに星がなかった、みたいな。あの時輝いていたはずの星はもうビッグバンでなくなっていて、なにもなかった。みたいな、そういうのが前提としてまず浮かんじゃうんですよ。


でも、明日映画を見に行こうとかだったら、たぶん映画館はあるじゃないですか。僕は遠くに向かっていく世界観をあんまり前提に持てないから、遠くに行くにしても、じゃあ10年後にどの遠くの星が存在していますかね?ってなってしまう。


これからロケットを作ったりなんなりして、ロケットを飛ばしてどこかの星に移住するのはいいんだけど、じゃあそのころに、その星はまだあるのかしらみたいな、ゴールの不在という可能性が浮かんじゃう。

そうすると、そもそも僕がそんなことをおもっているからか、コミュニティにあの星へ生きましょうって言ったときに「10年後にあるんですか?」と聞かれても「ウン、たぶん」としか言えない。

そうなると結局、不安定になっちゃう気がするんですけど、ビッグロックとして、そこらへんはどういう世界観で共有がなされてるんだろう



高須さん:その意味で一番大事なのは、ビッグロックスのさらに前のバリューですよね。「オレたち何がやりたくて、これをやってるんだ」っていうのが一番大事で、それがちゃんとできてないとビックロックにはあんまり意味がない気がする。

ここで言ってるバリューは遠いものである時もあるんだけど、もう少し体感的なもので、「オレたちにとって気持ちいい状態ってなんだっけ」みたいな、

コミュニティメンバーにとって気持ちいい状態ってなんだろうねって確認することは大事。で、その気持ちいい状態をコミュニティのことがわからない人間にもわかるみたいに言葉にしようというとき、ビッグロックスという かたちになると思う。ちなみに北極星はビッグロックスじゃない。


最初はまず、そのコミュニティの価値っていうのが一番大事なんですよ。で、そのコミュニティの価値ってなんだ?っていうと、気持ちよくプログラムが書けるだったり、自分が知らないことを知りたいだったり、

翻訳という行為そのものはそんなに面白くないんだけど、訳された日本語になったものが読みたいから、しかも自分じゃなくて他人に読ませた感想も聞きたいから、オレは読むし、他人も読めるみたいな状態を作る、そういうのが大事で、大義や価値だったりするんです


コミュニティを統制しなければならないときはあるのだろうか。独裁にならない統制法とは


ぷろおご:それを聞いていれば聞いているだけ、コミュニティをコントロールして所有しようみたいな動きって全部要らないんじゃないかっておもうんですよね。

すごくなにかに興味があって、自分の心地いいことを理解していて、こうすれば心地良くなれるからじゃあコードを書きますっていう人が100人ぐらいいて、たまたまそのモチベーションと手段が相まってコミュニティを形成する。それは、そいつらの興味が合致したからコミュニティが自然発生してるだけで、コミュニティが3年で消えちゃいけない理由がわからないです


高須さん:プログラムでいうと3年でとまると次のソフトに対応しなくなる。たとえば、新しいスマホで動かないとか、

具体的な話をした方がいいな・・・

最初は自分ひとりかあるいは自分と友達ぐらいではじまるわけですよ。この不具合を解消したい、オレにとってこれがやりたいんだ。みたいな。

そのうち段々使う人が増えてきた結果、もともと自分のやりたいことじゃなかったんだけど、人が増えた方が嬉しいから気がつくとルール作りとかそういう方ばっかりで自分が書いてる時間が減るなあとか、そういうことが起きたりするわけですよ。

それはそれでいいかって思うタイプの人と、だからオレはコミュニティリーダーなんか放り出して…っていう人がいるんだけど、別にどっちがいいってわけではなくて、人が集まると勢いがつくから、勢いによって段々目的が変わっていくんですよね。



で、その時にバリューがないからダメになっちゃうパターンだと、Wikipediaみたいなものを作ろうと思って始めたんだけど、どんどん中でのやり取りが面白くなってきて、2ちゃんねるのVipみたいになっちゃうことが多いわけですよ。

みんなギャグの言い合いを楽しんでる、それはコミュニティとしてOKなのか、おれたちは百科事典が作りたかったわけだから百科事典に戻そうみたいなのは言葉として固めておかないと、コミュニティは壊れやすくなるし、人から褒められることって気持ち良すぎて、どんどんそっちに行きがちなんですよね。


ノイズ、大してコミュニティの中では存在感は大きくないんだけど毎日きて、一番意見をいうみたいな人に段々引っ張られていくっていうのは結構いっぱいある。もちろん自分の気持ちよさみたいなところからはじまるんだけど、自分ひとりの気持ちよさで満足できる人は多くない

ぷろおごさんはいけそうな気がするんだけど、そうじゃない人の方が多いはずで。そうすると、友達5人ぐらいがあっちがいいよって言い出すと、話がどんどん違う方に行きがちなんですよね


ぷろおご:そうすると、遠くに行きづらくなる?


高須さん:遠くに行きづらくなる。あと、全然違うところに行ったりする。違うところに行ってもいいじゃないかという考え方もそれはそれであるんだけど、そっちにどんどん寄っていった結果、外の人から見た時に何をやってるのか本当によくわからなくなる。古参ばっかり固まっちゃって、


ぷろおご:そうするとどんどん廃れていっちゃう?


高須さん:それで満足してるなら別にいいと思う。わざわざ若者に媚びたくないだろうみたいな考え方も全然ありだと思う



山形さん:コミュニティ的にいえば、俺はここまでの機能しかほしくない。ここを完走させる、そこからあとはバグ取りだけ。だからバージョンも3.0、3.1、3.14ってバグ取りは永遠に続くけれども、機能とかそういうのは足さない。それで、このコミュニティはバグ取りしたい人は来てもいいけど、それ以外の人はおしまいって、ちゃんとケリをつければよいのかもしれない。

一方で、あれもやろうぜ、これもやろうぜと言ってるうちに、最初のバリューから乖離してしまうとか、古参の人がここだけやらなきゃいけないとか言ってのさばりはじめるとか、なんとなくコミュニティが腐る場合があるので、じゃあ最終的に何がしたいの?っていうのと、自分が目先で何をやるの?みたいな話のマッチングは無視できない


さっきの話で、東大教授になって生徒たぶらかしてっていう話は、それで結局何をしたいんですか?っていうもう少し大きなバリューの話とは別で、

場合によっては「東大なくなっちゃった。どうしよう。」「まあ、いいや!中国行くか」とか「僕はもう技術じゃなくて別の方面でそれをやってみよう」とか、そういうバリューとするところと手段のところの切り分け、あるいは何をするかみたいな話を考えると整理しやすいのかもしれないですよね


コミュニティは手段なのか、それとも目的なのか?


伊予柑:この理論って、この本がどのぐらい後知恵バイアスなの?生存者バイアスなの?っていう話だとおもうんですよね


ぷろおご:ここに書いてあることが?


伊予柑:そう。たしかに生き残った人間はここを意識していたが、立ち上げの時点で最初に転がすものってなんなんだ?っていう


高須さん:自分が気持ちよくて、人を巻き込めることですよね。たとえば、東大を出ようだとあんまり他人に波及しなかったりするんですよね。東大に受かるために勉強するのが楽しいからみんなでやろうだと人を巻き込めるテーマになる。

「勉強するのが楽しい」は他人と一緒にやれる話なんだけど、「自分が東大に行く」は自分ごとなので、コミュニティとはまた別の話ですよね。コミュニティをやるには、他人と一緒にやりたい何かみたいなのがないと、結構ツラい気がします

いつのまにか勉強コミュニティとして作ったものが、勉強コミュニティじゃなくなっている、参考書を作ることが実は一番みんなが楽しかったことだったから結果として参考書を作るコミュニティになりました。みたいなことは普通にあると思うし、自分が勉強するのが楽しい人と、勉強のやり方を作るのが楽しい人とで、途中で別れるみたいなことはよくあったりします



伊予柑:これさ、逆なんじゃない?みんなで行くなら遠くがおすすめ

ゆーさん:なるほど、そうだ!


ぷろおご:おれもそういうギャップを感じるんですよ。みんなでやることの方がメインで、それをずっと続けたければ遠くの目標が要るよねっていう。

おれの話をちょっとしたいんですけど、僕は国内においてはけっこうなバリエーションで色々な層の横と縦と一対一で、2時間くらい5000人と喋ってきたんですけど、掘っていくと、結局みんなひとりだとつまらんっていう話をするんですよ。


好きなこととか興味を持てることがあると、たとえば映画が好きなんだよね、とかってなると、「あ、その映画好きなんですか、私も好きです。」が発生するから映画が楽しいというような人がほとんどで、

長期的に考えるとひとつのコンテンツがずっとおもしろい、深みを持てる人っていうのは少ないわけですよね。絵本を100回読める人はなかなかいないわけです。


じゃあなにがサスティナブルに楽しめるコンテンツなのかというと「友達」だったりするわけじゃないですか。ジャニーズを追っかける楽しさというよりは、ジャニーズを一緒に追いかける友達と過ごす時間の方が1、2年経つとメインになっていく。


友達の方に割合が寄っていく気がしていて、ひとりひとりの心の動きみたいなものって、みんなで、みんなとは言わなくても少なくともひとり以外で何かをしていたいな、というところにある気がするんですよね。根幹的な欲求というか。


伊予柑さんの訳の言い回し「みんなで行きたければ遠くへ行け」はしっくりきたんですけど、そのためのビジネスだったり、カルト教団だったり、ツイフェミだったり、翻訳活動だったり、

伊予柑:みんなで社会正義を行使したり


「成長しづけるコミュニティ」は実現可能か?


ぷろおご:ここに集まってよくわからない話を聞く人たちもそうだとおもうんです。そういう違和感は本を読んでいてずっと感じていた気がしますね。そもそものロジックの部分というか


高須さん:やりたいことがあって、それをやろうとする人のために書いてると思われるので、その意味でいうと、やりたいことがない場合にはnot matching

とはいえ、遠くに行きたい人も本当に遠くに行くものが一番でかい欲求かというと、みんなで集まってワイワイの方が大事だったりする部分はすごくたくさんあると思います


伊予柑:違和感を持っている山形さんはどう思われますか?


山形さん:難しいですよね


ぷろおご:山形さんに難しいことってあるんですか?

山形さん:だってコミュニティってある程度までできてくると、それを遠くに行かせたい人よりも、それなりに大きなコミュニティに入ってなんとなく帰属意識が欲しい人が多くなると思っていて。


よくベンチャー企業がいうことだけれども、あるところから良い製品作ろうという人じゃなくて、単に大企業に入りたいだけの人が入ってきて、その連中が官僚的な事務手続きを作っていくうちに会社がだめになるんだよっていう話で、コミュニティもそういうところがあるんですよね。


一方で、ある程度まで行ってもなお、遠くまで行かせ続けるにはどうするのよっていう面もあるんですよね。そこをどうしようかっていう


ぷろおご:どうしたらいいですかね


山形さん:賑やかなところが好きだから賑やかなところにきました。とか、給料もらえるからこっちにきましたっていう人は、別にいけないわけじゃなくて、それは十分理解できることなんだけど、そういう人のために何かを作ってあげてるって環境になるとそれはそれでつまんないし、っていうのもわかる。何がいいんだろうねっていうのは難しいところですよね


友達づきあいにも、今後の展望を考える必要があるか?


ぷろおご:全体的な話なんですけど、やっぱり遠くに行きたい人たち用の本だし、遠くに行ける人たちの話じゃないですか。

遠くに行ける人はスキルだったり、あるいはコミュニティで重宝されるくらいの愛嬌があるから、結果的に何かを成し遂げて、遠くへ行けるという結果に結びつきやすいなあとおもうんですけど、残念ながらだいたいの人ってつよくないじゃないですか。そんな能力もないし、自分だけにできることなんてないし、片手間に翻訳はできない。

海外に行くのに100万円かかるんでしょっておもうし、何もやったことないし、大学卒業するの大変だし、1人で生きていくだけで大変だから家族を持てないし。みたいな人が大半なわけじゃないですか。


で、そっちの方が人口が多いっていうことは、おそらく必要とされるコミュニティの質っていうのは、どちらかというとこういうのじゃなくて、遠くへ行けない人たちだとおもうんですよね。

彼らは、行けないから行きたくないと言っているのか、行きたいけど行けないからしょうがないのかわからないですけど

少なくとも遠くに行くという目的以外で集わないと、その人たちは孤独化していくとおもっていて、そうすると、ひとりひとりが自分の家に住んでぼーっとしながらTinderをスワイプする以外にやることがなくなっちゃうじゃないですか。

そういう意味で、この本はすごく少ない条件、超限られたパイの、すごい人たちがもっと強くなるためのコミュニティ本なんだな、という印象がある

そうすると、コミュニティについて考えてるわりには、英語勉強するのに最初にbe動詞からやるみたいな。ほとんどbe動詞じゃないし、一般動詞の方が多いのにそこだけやるみたいな、そういう違和感があって、それで弱い人たちはどういうふうに、友達を作ったらいんだろうって、すごく小さな話なんですけど、そういうことばかり考えてしまう


(編集部:ぷろおごの前提として、多くの人は他人と何かを楽しむために趣味など、コミュニティ活動をする。というのと、多くの人が遠くに行きたがっていないというのがある。この本は「遠く」に行こうとする人々のために書かれていて、内容は合意できるとおもう反面、人々に求められているコミュニティは遠くにいくことを前提としたコミュニティだけではないのではないか。人口的に多いであろう弱い人はどうすればいいのか、それが気になってしまう。-ということだと思います。)


伊予柑:僕は、そもそもこの本は楽しい時間を続けましょう、そのためのハウツー本だと読んだ方が正確だと思っていて。楽しい時間というのは思いついた企画について大学の研究室で3人ぐらいでワイワイしていた状態で、これを10年続けるには遠い目標の方がいい


ぷろおご:10年間孤独を防げるんだ


伊予柑:そう。で、近所の人たちで草野球をしているコミュニティも続けたかったら、遠めの目標にしておいた方がいいです。そうじゃないと、だんだんつまらなくなっていくので。

むしろちょっと遠めの目標にして、それも甲子園優勝とかじゃないですよ、地域コミュニティの云々の、いい感じに人が入れ替わっていい感じに初期の面白さを維持できそうな目標


ぷろおご:なるほど

伊予柑:というふうに理解した方がハッピーなのよ


人を動かせる人は、詐欺師の可能性を秘めている


ぷろおご:じゃあ、あとは友達ができるまで待てばいい?

伊予柑:友達ができたところからスタート。最初は3人ぐらいいる

ぷろおご:3人ぐらいできるのを待って、この本を読んで、やっちゃいけないことは覚えて、それ以外は全部やってみればいい


伊予柑:遠くがないと、おれたちやることなくね?って言って解散したりする。遠くは人々が集まる理由になる

ぷろおご:せっかくモンハンやるなら、ね

伊予柑:どうせだったらこれをクリアしようね、どうせだったらこの武器作ろうねをおいておいたほうが、モンハンの時間は長く続きますよね、という。気がついたら遠くに行っています


ぷろおご:じゃあ近い話で、そんなに限られた人のための話じゃないんだ

伊予柑:遠くじゃないと一回でモンハンが終わっちゃう

ぷろおご:集まる理由がないもんね。楽しかったらバイバイだもんね

ゆーさん:エスカレーションは前提ってことですよね

伊予柑:人間は飽きなければエスカレーションしなくていいんですけど、飽きるんですよね

ゆーさん:そこに少し、僕から言えることもあるかな、と。ムラブリは飽きないんですよ

高須さん:山形さんが時間的におちるので、最後にちょっとコメントを・・・


山形さん:最後ちょっとって、改めてコメントがあるわけじゃないんですけど、やっぱり最終的にはコミュニティのどこまでを人工的に盛り立てなきゃいけないのかみたいな話で、

自然発生的にできるのがコミュニティじゃねえのみたいな雰囲気、違和感みたいなのものが他の人にもあるのかなってわかったいうのは、今回の個人的な収穫なんですけれども、

一方で、ほっといて勝手にコミュニティが都合よくできるのもありえない話なので、それは条件を整えないといけないというのも事実で、なんでもバランスという話になる。


仕掛ける方が詐欺師でもそうだけど、お前から金をむしり取るぞってやってくるのは、詐欺師として成功しない。だから、におわせずにおだてながら色々なことをやらせるっていうのは大事なんだよという

結婚詐欺師も最後に金をむしりとって別れるところがたまたま何かの事故で起きなかったら、それはよい伴侶として一生を終えましたという話になるので、何が詐欺で、そうでないかっていうのはよくわからない話ではある。なので、最終的には、何をしたのか、行動を見る必要があって


目先でここまでってやると本当にやることがなくなっちゃうけど、遠くまで作ることは、コミュニティというものがずっとあり続けるための非常に大きな条件になる

しかし、それだけいうと嘘くさくなってしまう。MAKE AMERICA GREAT AGEINぐらい言って、広がりのある長期的な価値観を選びつつ、人を盛り立ててやらせるという、そこらへんトランプが上手いんですよね。良くも悪くも


宗教のほとんどは自然発生コミュニティ…?信者にとって祈りとは、日々手を動かしつづけることだった


ぷろおご:コピーライティングなんだね。コピーライティングが前提なんだ


山形さん:漠然とした全体像と具体的な細かいところみたいな話ですよね



ぷろおご:ムスリムの軍じゃないけど、まず詩人がいて、うたって、ウオー!ってなったらはじまるんだ。まず詩人だ。

歌をうたうやつがいて、そこに伊予柑さんみたいなコミュニティに詳しいやつがこういう本があってね、って言って集まってくると、ふんわり2、300人のコミュニティができる。そこで、もうそろそろ大きな目標を作らないとね、って言うと、大きくなるわけだ


山形さん:宗教の教祖様ってそうですよね。教祖様がいて、よい宗教ってだいたいその下にいろいろ悪い手配をする人がいる。モルモンさんのブリガム・ヤングさんみたいな人がいて、そいつが実務をまわしつつ、大きな話になったら教祖様の方に振るみたいな、そういう役割分担ができると発展するんでしょうね


ぷろおご:じゃあまず、Twitterで詩人を探せばいいんだな


高須さん:オープンソースソフトウェアとか、ウィキペディアとかでも、ある程度でかくなると会社作ったり財団作ったりして、仕事を作らないとまわらないんですよね。銀行の帳簿を作る人とかはコミュニティへ貢献しようとして動いてるわけじゃないんですよ。普通に経理の人が雇われていて、経理としての仕事はそんなに思い入れがあってやっているわけではなくて、受付をやるとかもそう


ぷろおご:まず、キリストという詩人がいて、そのまわりに優秀なやつが12人くらい集まってくる。それで「なんか聖書ってやつを書くといいらしいので書くか〜」って言って、「イエス様、なんかいい感じにしときますけどいいですか」ってなると聖書ができるんだ。

ひろゆきの切り抜き動画みたい。ああ、なんか好きにすればって言ったら、なんかわからないけど1億再生された。ってやつだ。

なるほど!ありがとうございます。


伊予柑:これでいいのか・・・
山形さんがご用事あるということで山形さんのご出演はこれくらいに。

ありがとうございました


次回へつづく




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