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No.516 小黒恵子氏の紹介記事-82 (動物や屋敷林に囲まれて創作)

 こんにちは。小黒恵子童謡記念館です。

 様々な新聞記事等をご紹介しています。今回は、新聞に掲載された小黒恵子氏関連の記事 をご紹介します。

現代人物誌  童謡詩人小黒おぐろ恵子けいこさん  
動物や屋敷林に囲まれて創作


曲がついた童謡詩は四百余り。NHKの「おかあさんといっしょ」や「みんなのうた」が主な発表舞台。
「ねねネコがね ナニヌネノ/シッポを たてたら/いいてんき/ニャン」という「ニャニュニョのてんきよほう」や、「おいらはやぶっ蚊 吸血鬼 ブーン ブーン」という「ドラキュラのうた」などは、飼っている動物や屋敷林に囲まれた生活から生まれた。
童謡コンサートといえば「赤蜻蛉(あかとんぼ)」などナツメロが大半、という現状にあきたらず、作曲家の高木東六さんらの支援で自作ばかりのコンサートを三回開いた。童謡詩集「シツレイシマス」の処女出版が一九七〇年 、四十二歳の時。遅咲きである。
「父は戦前、多摩川の両岸に桃の果樹園を経営していました。しかし、農地改革で大幅に縮小。これからは法律を学ばなければといわれ、一人娘の私は中央大学法学部に行くことになったのです。 」
就職した商事会社がつぶれ、東京・渋谷でシュンソン喫茶を開く。コーヒーに卵黄をとかしたエッグコーヒーというシロモノが九十円。「これ何」と客にきかれ、「近ごろパリではやっています」と答えた。
客の一人に「週刊新潮」の表紙で知られた童画家の故谷内六郎さんがいた。「谷内さんに導かれて童謡詩集を作り始めました」 
結婚生活は五年で破れた。後継ぎはいない。「この世に残したい」と執念を燃やした童謡館が、七月、川崎市の自宅敷地二千三百平方㍍内に産声をあげる。作曲家や作詞家に関する資料や全国の同人誌を展示、ビデオコーナーも設ける予定だ。昨年三月に父親が死亡、他の土地を処分して相続税十一億円をつくり、どうやら敷地を確保した。
「処分地の譲渡所得にさらに三億円近い税金用意、と税理士さんは申します。国は大泥棒よりひどーい」
文・松井 覚進   写真・前田 竜彦    

朝日新聞夕刊 平成3年(1991年)3月19日

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。
 次回は、1991(平成3)年の紹介記事をご紹介します。(S)

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