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表題の決まらない旅の記憶⑦

【No.8】
コ・タオ
(タイ~マレーシア縦断)

26歳になる誕生月を機に
働いていた会社を辞めた。
そして、沢木耕太郎の深夜特急になぞらえて
マレー鉄道でタイとマレーシアを
縦断するため、最終出社日の翌日には
バンコク入りしていた。

入社時には生涯この会社に尽くすと
決めた覚悟も、新しいことをすると決めた
新たな覚悟に上塗りされたことで
跡形もなく消え去った。
それがどれだけ安定していようと、
夢や希望を追い求める衝動には到底敵わない。

かと言って安定した人生に
魅力がないとも思わない。
ただ、僕の生きたい人生の道の上に
安定や安住と言う言葉がたまたま
無かっただけだった。
この旅は僕にとってひとつの終わりであり、
始まりの旅と言える。

ザックに登山靴とクライミングシューズを入れて旅をする。嵩張るように見える二種の靴は、この旅の終着点であるボルネオ、キナバル山に行くときに必要になるのだ。

山へ行くことが目的だったが、
途中どうしても海が見たくなって
コ・タオへ渡った。

バカンスで訪れた旅人たちが
ビーチでくつろぐ横を、クライミングマットを背負ってちょうど良い岩場を探す。

浜辺の岩を見つけ、そこをよじ登り始めると
どこから来たのか野良犬が寄ってきて、
すぐ側に腰をおろした。これでは岩登りに
身が入るわけもなく、少しして僕は諦め、
犬の横に座って海を眺めた。

会社を辞めたまでは良い。
これから飲食店で修行することもまぁ、良い。

しかしそのあと、どうしたい?
この島のどこにも僕を知る人はいない。
言ってしまえば未だ何者でもない僕は、
これから何を成せば良い?

会社を辞めたことで新たな人生を始めようとしているのに、立ち止まるとそんなことばかり考える。

何者でもない僕は、何者かもわからない野良犬の横で海を見ていた。行く末を表すかのように、海は掴み所もなくただただ広かった。

もしかしたら、故郷の海とどこか重なるその景色を見るために寄ったのかもしれないな。と思うと少し肩が軽くなる。このひとつなぎの大海は始まりの場所であり、帰る場所でもある。


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