見出し画像

「くやしい」は、宝だ。

コールセンター勤めの昼休みには、TBSラジオを聞くことにしている。フリーライター期、仕事に恵まれなくてクサってた頃、自宅で毎日TBSラジオを聞いていた。朝、昼、夕方。決まった時間に決まった顔ぶれが現れて、決まったコーナーと決まった番組を聞いていれば1日が過ぎた。生活情報から社会問題まで、あの頃の私にとってTBSラジオは「窓」だった。ラジオをつけていれば、外の世界と、つながっていられた。

毎日決まった時間に勤めに出るようになった今は、自宅で過ごしたあの日々がちょっと懐かしい。実に心が安らかだった。想定外のお客さんが現れては、あわてふためく日々の中で、つかの間、TBSラジオを聞くと、あの日々の安らかさが戻ってくるように感じるのだ。

今日も、安らかさを求めてradikoを立ち上げたはずだった。流れていたのは「ジェーン・スー 生活は踊る」。コラムニストのジェーン・スー女史が答える人生相談コーナーが番組の名物だ。時に一刀両断、時にユーモアたっぷりに、絶妙な答えを返す彼女を、私は掛け値なく尊敬している。

今日の相談コーナーは、ちょっとイレギュラーだった。紹介されたのは、1年前に寄せられた相談。表現者になりたくてなりたくて、芸大に入って学んだ24歳女子からのおたよりが読み上げられる。

何にトライしても満足できず、自己嫌悪ばかりが募って心身の調子を壊したこと。もの作りの道から脱落して実家に引きあげたものの、良い映画や小説に触れるたびに「自分はこれがやりたかったのに……!」と身悶えしてしまうこと。表現者を名乗る周りの人たちの作品にふれるたび、この程度の頑張りで何を満足しているのだ?と思ってしまうこと。面白くないのに面白そうな顔をしたり、良いと思ってもいないのに褒めたりなんかできないこと。そんな自分が社会生活なんか営めるはずがないと思っていること。結局、「自分が辛い」ってことしか言えない自分が、嫌で嫌でたまらないこと。

そんな彼女に、1年前のジェーン・スーはこんな提案をしたのだ。あらゆる映画小説音楽人物に出会うたび、湧き上がってくる悔しさを書きつける「悔しみノート」を作りなさい、と。そしたら、そこから何かが立ち上がってくるかもしれないよ、と。

そうしたら、相談者はほんとうに「悔しみノート」を書きはじめ、1年間書き続けて今、番組に送り届けてきたのだという。

その一部を朗読するスーさんの声がふるえている。樹木希林主演の映画「あん」の素晴らしさをひとしきりつづった後、相談者は書くのだ。「樹木希林に会うことができたすべての人が妬ましい」と。「グレイテスト・ショーマン」についての記録も読み上げられた。「誰にも許しを請うたりしない、私は私だ」という全編のテーマに打たれて、1日に5回観たという彼女の独白。この映画をクサす人への、傷だらけの彼女の反論。それを読み上げながら、いまや八面六臂のコラムニストであるスーさんが言うのだ。

「悔しい! 私にはもう、これは書けない!!」

今の自分はもう、全方向に気を配った文章しか書けない立場だ。でもこうやって、全方向に石を投げつけるような文章だって書きたいんだ。でも、もう、二度と書けないんだ——。

私はそれを聞きながら、真昼の休憩室で泣いてしまったんである。身に覚えがありすぎて。演劇ライターを名乗っているのに、演劇誌からの依頼がまるっきり来なくなってしまった頃。「ライフ・ストーリー」を書くのだと標榜していながら、その依頼が来なくてメゲた頃。心は「悔しみ」を噴出させているはずなのに、今、私は、それを奥深くに封じ込めながら、見なかったふりをしてコールセンターで電話を取っている。

「悔しみ」が噴出する傷口から、目をそらすのが普通だと思うのだ。心安らかに生きるために。傷口から血が出てるなんて認めたくないから。どんな仕打ちを受けても、「悔しい」なんて思っちゃいけないと思ってた。どんな現実も、笑顔でスルーしなきゃいけないと思ってた。ずっと「いい人」で通ってきた。そのことに全力を傾けてきた。でも、彼女は見つめ続けた。1年間。100作品にも渡って。血が吹き出してるその様を、その血をインクにして、文章にした。

かなわない、と思った。この気持ちは「悔しみ」だ。

今日、耳にしたこのことを、書かなければならないと思いながら午後を過ごした。彼女の年齢のほぼダブルスコア、だいぶ年を食ってしまったけれど、今からでも「悔しみ」を見つめようと思った。「悔しみ」は、あらゆるすべての種であり、宝だ。「悔しみ」が世界を動かしてきたとさえ言えよう。ずっと見つめ続ける胆力はない。でもせめて今日は、今日だけは。そうして書いたのが、この文章だ。これは、私がスルーしてしまわないための、「悔しみ」の記録である。(2019/12/03)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?