表現者と消費者を対義語として使われた会話を聞いての個人的見解

最初に記す。ここからの文章表現は否定・非難ではなくあくまで感想で、言葉が拙いところは私の知識不足であると甘んじて読んでほしい。(ゆるして)

表現活動する人と消費する人
まず、この表現に少しだけ疑問を感じた
これは相対する言葉なのだろうか?
相対しているとすれば、表現者は消費されるために様々なものを生み出していることとなるのではないか。
こうしてnoteを書いている私は誰かに消費されるために書いているのではない。
自分の時間を使ったり、考えたり、文字を打ったりの、動的な消耗は確かにあると思う。
しかし、これは対自分にである。
では、まず消費者の対義語はWEBで検索すると生産者とでてくる。
ふむ、これなら納得するのではないか?
逆に表現者の対義語は何なのか。
これはヤフー知恵袋などでも質問に挙げている人が多かった。
気になるがまだあまり確定した言葉がないようだ。(表現活動で調べたがこちらは出てこなかった)
ならば、名称は何でも良いとはあまり印象的にも良くないので、表現者とは表現とは何かについて考えてみる。

わたしは表現するには「手段、環境、知識」の3つが必要だと思っている。

分かりやすいもので言うと環境。
これは1番手っ取り早く整えることが出来る。
人生の尺度で見た時、自分がどこにいるのか?というタイミングだったり。
どこに住んでいるのかという場所も関係してくる。
さらに周りの人が有益か(言い方が良くないかも)というのも少しだけ重要な気がする。有益な人間は、たどり着きたい環境への近道を知っている時がある。
この環境というものは自ら時間やお金をかけて動けばある程度ガラリと変える事は可能だ。
マンネリ化しなくて良い。(マンネリ化とはマンネリズムの略称で、思想や行動などがワンパターン化すること。ここで使っている意味と正しい言葉の意味は違うかもしれない。恒常的とかの意味で使いたい)
また、これは今のところから変える後天性のものではなく、最初から整っている先天性の場合もある。
それこそどんな人を見て育ったのか、自己投資への資金がある環境か?(自分に財力がなくても)など、妬みや嫉みの対象になりそうな最初から素晴らしい環境下にいる人達も少なくはないだろう。
後天性なものでいうと、自分のしたい気持ちに反対してた人が居なくなる外部的なものや、大学進学まで行かなくても、クラス替え位の小さな環境の変化で運命的な出会いがあるかもしれない。
何か表現したい人が、表現する人になる。
時間軸や場所軸からなるタイミングがあると思う。
学校などのカリキュラムで同じ環境になることは多々ある。しかし、その良し悪しを判断しなければならないのは自分である。
あくまでも学校はカリキュラムであって義務であるのだ。自分の尺度を示そうにも環境的にはなかなか難しいかもしれない。この場合の環境は時間軸が削ぐわっていないのだ。
今現在私たちが表現に適していないと感じるのであるならば、自分の位置的環境を変えるか、時が成熟するのを待つ時間的な環境を変えると良いと思う。
環境に対する違和感は常に持つ必要がある。

次に自分から出来るけど、少し根気がいるもの。
それが知識である。
これは必ず自分の何かを消耗しなくてはならないように感じる。
時間はもちろん、お金がかかってくることもあるだろう。
例えば私は、本を読んでボキャブラリーを増やしたいと思うし(綺麗な言葉に触れたり出会ったりしたい)、他の人の作品を体感し色や質感などを目視したいと常々思っている。
これは普段人にあまり見せる機会がなく、根気もいるため、人との差異を出すにはうってつけでは無いだろうか?
音声配信の中で語られていた『楽』が意味するものはここと関わりが深いように感じる。
ただこれは楽しいと気持ちが向かう方への知識が高まっいるのだと思う。
詰まるところ、究極は何もしない知らないことが一番何か表したいことに近いのではないだろうか?他を見ず一番早く沢山の知識を積むことが可能なのだ。
どれだけ乾いたスポンジに水を含むことができるか。そしてそれをどのくらいの力で今度は押し出すことができるのか?この事をより深く考えより良くする為に知識を蓄えるのである。
自分が自分自身の時間の中で培ったものを相手に見せる。自分の中から放ち、放出する。
この瞬間が表現であり、この瞬間のために必要不可欠な事なのである。
光のような瞬間は動的にもそうだが、人は目を離せなくなる生き物という話を聞いたことがある。
心が動く瞬間にこそドラマがあり表現になるのだ。
これは知識欲に繋がると思う。ただ、知識欲だけだと自分が理解したら満足。で終わってしまうので、「ああ、これを誰かに伝えたい」と思う相手や他者などがいると極めて容易に知識がついていく。自己完結の先にいける。
ひけらかすのである。
この知識欲はつまるところ、他の人が伝えてたことを自分の中で噛み砕き理解する必要がある。だが、理解するのに対しても知識が必要なのである。
この一連の行動はどれだけ根気強く出来るか、飽きないか、楽しめるか、苦痛と思わないか、興味があるか、などの欲求不満の追求となってくると思う。
しかし、ここには先述した環境も備わってくるので、どれだけ早く自分の知識を培えるかにも個々の違いがあると思う。(初期スペック高いパソコンが処理能力早いのと一緒)

最後に手段である。
ここで一度立ち止まってしまうのだ。
手段(ツール)が違うとこれまでの型や基盤が存分に発揮されないこととなる。
自分に合う手段を探す。
知識欲が強い私にはこれが一番苦しくて面白いのだ。
どうすれば?何を使えば?何故したいのか?
ここからは自分との自問自答の時間となる。
またもパソコンの例えになるが、簡単に言うと検索エンジンかなとおもう。
ここまでに環境や知識が備わっていなかったら、まだ密度が足りない段階まで戻って濃密にしていく必要があるだろう。
自問自答は大変消耗する。
この世には様々な生産者から生み出された手段に溢れているからである。
むしろ言い換えるなら消耗せねばならないのである。
これは、果てしなく楽しい作業なのだ。
笑える事に殆どがダメなのである。環境や知識があっても手段が合わなければ全くの無効化だから。
分かりやすくいうと、例えば自己表現(自己顕示欲)をする手段にスポーツを選ぶ。走る環境もバッチリで、どう筋肉を動かせば人は前へ進めるかと言う知識を持っていても、50m走12秒台の記録を持つ私には、全く持って不向きなのである。
余談だが、ここの表現したいことと表現できないことの差が大きいほどギャップ萌えは成立するので面白い。
さて、では自分の手段はどうやって見つけるのか?
そこが、それこそが表現者となる為の最重要項目ではなかろうか。
音声の中でいうSNSやネット社会に関するところにつながると思う。最近はこの手段が多種多様に存在している。
最初に戻るが選択できる・手札が多い環境が整っていると思う。
選べる環境が整っており、使い方を知っており(知識)、手段が生産者側から用意されている。
あえてSNS以外の表現で言おう。
有名なアーティスト、スプツニ子!は情熱大陸でハイヒールで月面を歩く作品のアイデアは出していたが、ハイヒール型の鉄板の切り抜きは業者に依頼していた。
そう、これも手段を知っているからこそ出来る表現なのである。
また、頼める環境と素材などの知識も持っていると言えるであろう。

ここまで書いて、じゃあ才能は?と少し考えてみた。
【才能とはある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。】
これはこれまでの欲求探求とはまた別の分野の、動的な力の話になっているようである。
少しだけ触れてみたが、違う話のように感じるのでここでは一旦保留にしようと思う。

最初に繋がるが、表現者の対義語を表現したくて探している人は、パソコンが使える環境で検索すると言う知識も持っているが、言葉として表すの手段を知らない為、質問を投げかけるという手段を使っているのである。

私は表現者の対義語は消費者では無いと思う。
また、楽する方に行っているわけでも無いと思う。
もがいている人はいる。
私はどこの立場になっても、もがいていたら救って欲しいし、もがいてる人がいたら救ってあげたい。
病んでいる人が多いのは当たり前に思う。
環境を変えたいのだ。知識を蓄えたいのだ。手段を見つけたいのだ。
病んでいるのではなく、音声で語られた通り、彼ら彼女らは祈りや救いなど昇華されたいのでは無いか?

今読んでいる本にこんな一節がある。
「なんとかしてそういった圧力から自由でありたいと願う気持ちが、誰しもの中に潜んでいるはずだとも思うんだな。その欲求はたとえば、社会から与えられる公的な幻想に対してあくまでも私的な幻想としてーもっと差別化した云い方わするなら"悪夢"とでもいったような形で、僕たちの内側に育ち、外へ放たれる」 

私の中の表現とは決して揺るがない、自分自身の昇華活動だと思う。
私のこの文章もリンク先の音声を聞く環境があり、これまでの知識の中から持ち合わせている言葉で、noteというSNS発信の手段を使ったが、100%全てが伝わるわけでは無い。
それを理解しつつ、ここからの課題としてはどうすれば良いのかを模索しなければならない。
普段の自分より、常に違うアプローチを探し続けて行こうと思う。

思うことがあれば随時追記

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ネット・時代・才能についてはまた別トピックスとして捉えているので今回は省略
また音声にて先述されている無関係クレーマーについても省略

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引用文献元
時計館の殺人(下) 著:綾辻行人

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