20/10/18(日)

昨日書いていなかったけれど、今日はNVCオンラインフェスティバルの2日目。昨日は2つのセッションを通訳させてもらって、今朝は朝に1つアシスタントで入る予定だったのですが、まさかの寝坊・・・いや、どこかに不安はあったのだけど・・・セッション前のミーティングに途中から参加。危ない危ない。ふひー。自分がメインじゃないと意識が飛ぶ(名付け中)やつ、こんなところにも弊害が。

そして昼間のシェアリングの場で、思わぬ形で心が動いて、涙が止まらなくなる。他の人に時間が使われて、自分のための時間が残されていない、「やっぱり聞いてもらえない」という状況が、ほんとにほんとに悲しいのだな。ちょうどそのことを考えていた週でもあったので、出来事がなんだかこう連鎖して、感情にスイッチが入った感じ。そして運悪く(これも「やっぱり!」を加速させてしまう)それを共有出来ずで、途方にくれながら、やはりまだこれを共有する術がないのだなぁと。とりあえず今は悲しんどこ。

そのあと午後は1つのセッションに途中まで参加して、夜のセッションは通訳として参加。今日の後半の自分の中のキーワードは honestyだったなぁ。正直さ。noteにこうやっていることもきっと hotestyのための行動の1つ。自分では正直さをかなり大切にして来たと思うのだけれど、改めて honest、正直である状況ってどういうものなんだろうって。

特に通訳を担当したセッションのタイトルは、Radical honesty。これまた訳すのが難しい。訳しながらもどんどん変わってっちゃった。究極の正直さ。劇的な正直さ。急進的な正直さ。根源的な正直さ。完全なる正直さ。

スピーカーも結構強烈(早口・参加者にもガンガンいう)で、最初は反抗心みたいなものがメラメラ(通訳もいるってちゃんと気づいて!)しつつ、正直さっていうのは、人を深くまで連れて行ってくれるものだとも気づく。参加者や自分の反応の変化。

ぐわーっとぶつかられると、うわーって自分も開いてくる。そのエネルギーのよいわるいかは分からないにしても、引っ張られるというか、気づいたら raw な部分がふっと出てくる、出してもいいやって思うっていうかね。

これまで関わって来た「正直な人」とのコミュニケーションやその人の表現の仕方を思い出したり。自分が「正直」だと思っていたのは、どこまでなんだろう。感じるところまで?伝えたり表現したりすることころまで?卑屈にならずに honest でい続けるためには?そんなことを考えさせられたりもした。

もう落ち着いてゆっくり今日は休みたいなーと思うし、この感覚というかエレメントみたいなものを、ちゃんと明日目覚めた後も自分の中に残しておきたいなーとも思っている。最後にようやく(!)しっかりと聞いてもらえる場に入れて、ちゃんと戻って来れた感じなう。

週末はほぼずっと家にいて、このオンラインフェスティバルに関わっていたた。すごい色んな感情を感じているし、これからちゃんと学んでみたいなーと学びの始まり感もあり。早いもので残り1日。明日は朝の1セッションで通訳ラスト!自分ごとですよー ちゃんと起きれますように。

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