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【第27話】心配してほしかった

私の両親は、私が子供の頃から、変なところで過干渉のくせに、私の具合が悪くなったり、自分たちの気持ちが乗らないと放置したりするような人たちだった。助けを求める度に、「面倒を増やさないで」という、無言の圧力を感じた。

私はただ、心配してほしかった。それだけのことだったのに。

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。


小さな頃は、妹や弟はよく調子を崩していた。その度に母は、文句を言いながらも、彼らの様子を見に行って世話をしていた。対して、私が起き上がれないほど体調を崩すのは、昔から1年に1回くらいの稀なもの。ただし、普段元気だから一度体調を崩すと、1年分の不調が一気にやってくるように寝込んでしまった。普段はあっけらかんとした方だが、そんな時は気持ちも滅入ってしまう。

ある日、その稀な不調の波がやってきた。「大丈夫?」と母が声をかけに来てくれ、それが嬉しくて、顔がほころびかける。その瞬間、気づいてしまう。洗濯した私の服を置きに来た際の”ついで”の一言だったのだと。洗濯物を置き去る母の背中は「もう大きいんやから、甘えてこないで」と私に冷たい印象を残していった。それを察して、私も甘えなかった。

親に期待するのはやめようと、決定的に思った出来事があった。

あれは、中学1年の時。夜中に突然具合が悪くなった。調子にのって食べすぎた、夜ご飯の焼き肉と食後のアイスで、胃が音を上げたのだ。食べた直後から怪しかったのが、寝る前にとうとう気持ち悪さのピークを迎えてしまった。

眠れないほどの吐き気。もしかしたら、そもそも体調が悪くなりかけていたのかもしれない。不安も相まってお腹の気持ち悪さは増すばかり。吐き方がわからず、オエッっとはなるものの何も出てこない。何度も3階の自室と1階のトイレを行ったり、来たりしていた。何回目か自室に戻ろうとした時、念のために用意したバケツを忘れたことに気づいた。取りに行く途中…ウッ!!と、胃から勢いよく食べたものがこみ上げた。それまでのように、こらえきることは叶わず、階段に夕食の”成れの果て”を撒き散らした。

眼前の闇に広がる光景は異質なもので、一瞬頭の中がショートした。ポタ、ポタ、と滴り落ちる”成れの果て”らを少し眺めた。それまで吐いた回数なんて、数えるほどしかない。どうしていいかわからない。なぜかはわからないが、悪いことをしている気がして、私は半分泣きながら、眠っている母に助けを求めにいった。

 「ごめん。気持ちが悪くて吐いてしもた…どう片付けたらいい?」

その時の自分にできる、精一杯の気遣いと譲歩をしたつもりだった。母の返答は…

 「知らんよ!自分で片付けて!眠いんやから起こさんといてよ!」

暗闇の中で、ひとり階下からバケツと雑巾を用意して片付ける。まだお腹の中はひっくり返っており、頭はフラフラしている。でも、汚れが少しでも残っていれば、潔癖症の母が発狂しかねない。彼女を起こすのは間違いだった。これで許してもらえるだろうか。自分で何とかできなければ、また怒られてしまうのだろうか…そんなことを考えながら、できる限り掃除をやりきった。最後には、雑巾をかける床の染みが、吐いたものなのか、自分の涙なのかは、真っ暗でよくわからなくなっていた。

次の日。胃の不快感がなくならず、学校に行けなかった。母は心配していた。

 「あんた、階段の汚れちゃんと落とした?」

これで何度目になるのかはわからないが、この家族には何を期待しても無駄なだけだ、と思い知らされた。

心と身体の状態は直接影響し合っていると、私は信じている。心配してもらえない、愛情をもらえず、自分を惨めにしたくないと分かるや否や、私は、それまでにも増して体調を崩さなくなった。具合が悪くなっても、とにかく寝ることで治してきた。それを、結果的に良かったと捉えるのか、悲しいことだと捉えるのかは、読んでいただいている皆さんにおまかせしたい。

私は、ただ心配してほしかったのだ。一言「大丈夫か」と声をかけてもらって、背中をさすってほしかった。たった五分、いや三分でいい。私が望んでいたのは、本当にたったそれだけだった。

子供時代の経験を通して心底思う。

大人でも子供でも、体調を崩せば辛いし、心細い。親子でも、パートナーでも、兄弟でも、辛そうにしていたら、自分のできることをしてあげよう。「してほしいことはない?」と優しく言葉をかけたり、様子を見てあげたりする。言葉だけでなく、体にいいものを作ってあげたり、寄り添ってあげたりと、あなたの愛情を行動で示すのも良い。些細なことではあるが、そうすることで本当に調子がよくなることだってある。

大切な人を「大切にする」ことを、怠ってはいけない。

彼らに彼らの「大切さ」を伝えることを疎かにしてはいけない。

それだけで救われる心が必ずあると、私は思う。


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