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【第33話】怒る父と、笑う父。

「ほんと、いいお父さんですよね!」

店員さんがこう言うのを聞いて、私は思わず吹き出しそうになってしまった。次の瞬間には、何か嘘をついているようなバツの悪さを覚えて、とっさにメニュー表を盾に隠れた。

私のお父さんのことを言ってるんよね、この人…?

行きつけのうどん屋さんの何気ない状況。そんなところで娘が実は大混乱に陥っているなどとは知る由もなく、父は店員さんに得意げに返す。

「ありがとうなぁ。中学生の娘は生意気やし、上の子らは問題ばっかり起こして、まだ赤ちゃんの子もおるから、頑張らないとアカンからな~ははは。」

普通のお父さん、できるやん

*読む時のお願い*
このエッセイは「自分の経験・目線・記憶”のみ”」で構成されています。家族のことを恨むとか悲観するのではなく、私なりの情をもって、自分の中で区切りをつけるたに書いています。先にわかって欲しいのは、私は家族の誰も恨んでいないということ。だから、もしも辛いエピソードが出てきても、誰も責めないでください。私を可哀想と思わないでください。もし当人たちが誰か分かっても、流してほしいです。できれば”そういう読み物”として楽しんで読んでください。そうすれば私の体験全部、まるっと報われると思うんです。どうぞよろしくお願いします。

*読む時の注意*
このエッセイには、少々刺激が強かったり、R指定だったり、警察沙汰だったりする内容が含まれる可能性があります。ただし、本内容に、登場人物に責任を追求する意図は全くありません。事実に基づいてはいますが、作者の判断で公表が難しいと思われる事柄については脚色をしたりぼかして表現しています。また、予告なく変更・修正・削除する場合があります。ご了承ください。

今までにも何度か話題にしてきたが、私が家族との時間で一番苦手としていたのが食事の時間だ。家、という、薄い壁で仕切られた空間の中では、父の「鉄の掟(つまり彼の気分)」が絶対的な力をふるう。こと食事において父は特にうるさく、彼の気に入らない事があれば、最悪の場合、彼の容赦ない鉄拳と止むことのない罵倒がもれなくおかずに加わることとなった。そういうわけで家族全員が毎晩、ご飯の味がわからなくなるくらいの緊張感と恐怖の下、食事という作業を完遂しなければならなかった。

父の絶対王政は面白いことに、家を一歩出ると、コロッと民主制に早変わりする。もちろん限度はあれど、多くの場合外では、誰もが認める「いい父」であろうとしていた。つまり、彼のキャラクターが切り替わるボーダーラインはいつも誰か家族以外の人が見ているかどうか、つまり「世間からの目」にあったわけだ。

ある日気まぐれに、家族で外食することになった。お店は行きつけのうどん屋さん。外食といえば私の家では一番に候補に挙がる所だった。

何より、外食、外食なのだ。家の外で食べるということはつまり、父の鉄の掟の力は及ばず、気兼ねなく食事を満喫できるということだ。私はここの天丼が大好物。サクッ、トロッ。道すがら、エビの天ぷらを頬張る想像を巡らせる。口の中いっぱいによだれが広がっていくのがわかった。店の戸をあけると、出汁のいい匂いがさらに食欲を刺激した。

 「全員これにすんぞ。」

店の席につくや否や、父が家族全員分のメニューを発表。唐突すぎて少し理解するのに時間がかかった。え、天丼は?と思うと同時に思い出した。彼は外食に出るといつも、私達のメニューまで決めようとしてくることを。そして、私達が不満を表明しようものなら、例の”ボーダーライン”は崩壊し、怒鳴りだす可能性があることを。たまの外食くらい好きなものを…と、もしあなたが私の立場であれば当然思うだろう。そんな思いは、彼には全く届かない。彼の”掟”的には、「オレが言うものが一番いいんだからそれに従え」という見解なのだ。

 「今日は好きなもの頼みたい。」

ふと、家族の誰となくが声を上げた。いつもなら黙っている所だが、今日くらいは…そんな思いが珍しく通じ合ったのか、4人がかりで反論を展開する。

  「あかん。ワシが言うやつや。」
  「たまには、子供らに好きなもの頼ませてあげてよ。」
  「今日くらい、好きなもの頼ませてよ。」
  「チっ!生意気言いやがって。勝手にせえや。」

爆発するか…?と思わせるトーンだったが、どうやら”ボーダーライン”ギリギリを攻めることに成功したもようだ。そう、ここは家の外。いくら苛ついた様子で脅しても、彼の絶対王政がそう簡単に及ぶ範囲ではない。人からの見た目を一番に気にする彼にとっては、そうそう簡単に怒鳴り散らせる場所では無いのだ。近づいてきた店員さんの気配を察知して、揉める前に自ら折れたようだ。外食バンザイである。

今日は好きなもの、天丼が食べられる!いよいよメニューを決めようとしたその時、オーダーを取りにきた店員さんが父に声をかけた。

 「ほんと、いいお父さんですよね!」

お笑いなら、誰がやねん!とツッコミが飛んできそうだ。もちろん店員さんは、普段の怒り狂う父や、たった今ここで私達の不満に舌打ちをしていた父を知らない。だが、うちのお父さんの話をしてるんですよね?耳を疑わずにはいられなかった。父以外の誰もが、頭の上に「!?」マークを浮かべていたはずである。そして…

 「ありがとうなぁ。中学生の娘は生意気やし、上の子らは問題ばっかり起こして、まだ赤ちゃんの子もおるから、頑張らないとアカンからな~ははは。」

お笑いなら、どの口が言うとんねん!とツッコミが飛んできそうだ。そんな一言を、あの父が、嬉しそうにニコニコしながら返しているではないか。さっきはあんなに不服そうな顔をしていたのに。

ふいに、店員さんに「違うんです、騙されないで!」と全部打ち明けたい衝動にも駆られた。みんな、父の本当の姿を知らないからそんなに楽しそうにできるんだ。普段の食卓なんて、私達の我慢なんて…いろいろと訴えたい内容を頭の中でこね回すうちに、そんな行為に何も意味は無いと悟った。

さっきまでの不満そうな様子など微塵も見せずに、全員のオーダーを終えた父。朗らかで、気さくで、店員さんと冗談まで交わす様子は、どこか滑稽で、でもどこか哀れに見えた。

結局、無事に天丼は食べられたし、それ以上何もゴタゴタとすることはなく帰路についた。バッタモン家族総出の外食としては万々歳の結果である。でも、家の中と外で全く違う父の様子を思い返すと、私の気持ちは少しかき乱れた。

普段はどこにその”いい父”を隠しているんだろうか。世間の目というものは、家族を蔑ろにして守るまで、彼にとって大事なんだろうか。怒る父と、笑う父。一体どっちが本性で、どっちが取り繕った姿なのだろうか。周りの人はみんな父を「いいお父さん」と言う。勇気を出して、家の中の父の姿を話しても、「昔の人は、そんな人が多いよ」と言う人がほとんだだった。もしかしたら、自分が父をちゃんと認めてあげられれば、彼は変わるかもしれないと思ったこともある。でもそれも、その瞬間だけで、結局何も変わらない。私は何が「いいお父さん」か分からなくなり、それ以上あまり深く考えないようになってしまった。その方が…楽だったから。

彼を認める言葉は父にすれば、お酒やドラッグのようだっただろう。もらえると快感だけど、すぐに効果は薄れ、もっとほしくなる。今思えば父はそれに気づかず、周りのみんなからの称賛や愛情に飢え、何十年もその禁断症状に苦しんでいたのかもしれない。「世間からよく見られること」は、そのドラッグを手に入れるための手段だったわけだ。

人は自分で自分を認めないかぎり、満足はしない。いくら「世間の目」があなたを認めていても、本人自身が満足していなければ、父のように哀れな中毒者になってしまうのかもしれない。


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