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「わかる」をよく言う人は、実はわかっていないと思う

SNSでのコメントや人との会話で、頻繁に「わかる」という相槌を見聞きする。その相槌には色んな意味が含まれているんだろうけど、共感の意味での「わかる」について、私が思うことを書いてみる。

何を言っても「わかる」と共感する人が、私は苦手。自分がそんなタイプだったからなおさらだ。「どこがどう、何が『わかる』んですか」と聞いてみたい。意地悪でなく、単なる好奇心で。

相手が経験したことを自分のことのように、100%共感するのは無理だと思う。私も誰かの話を聞いても、その人と同じ気持ちになることはできないからだ。人の気持ちに寄り添って想像するくらいしかできない。

「わかる」は具体的に使って初めて、気持ちを理解してくれたと思えるのかもしれない。私は旦那さんの話の聞き方に感心した。

ある時、友達にコソコソ話をされた。私は何もした覚えもないし、何か思うことがあるなら言ってと本人に伝えた。私は何か間違えたのかなと旦那さんに話したことがある。

「どうやろな。でもMaiが嫌な想いしたのはよく分かる。言いたいことあるなら、直接言ってほしいよね。でも、相手はどんな気持ちだったとかも考えられるかな?現状をよくできる方法はないかを、一緒に考えてみよう。」

こちらの話をしっかり聞いて、具体的に何が「わかる」のかを言ってくれるのは、本当に嬉しい。しっかりこちらの話を聞いた上で、同意や共感をしてくれて、相手の気持ちも考えることを提案してくれる。話してスッキリしたいだけの時は、アドバイスよりも共感してほしいと彼に伝えるようにしている。

「わかる」の言葉だけで会話が成り立つ関係もあったけど、仲良くなった”気”がするだけで、実は相手の好きな色も、好きな食べ物もほとんど知らなかった。「わかる」を多用しすぎると、自分のこともわからなくなる。人に嫌われたくないから、私は何でも共感していた。自分の本心が聞こえなくなって、何を考えているのか分からなくなった。

「わかる」が溢れるのも無理ないのかもしれない。

SNSのおかげで世界の人、芸能人、趣味仲間と簡単に繋がれる。同時に、簡単な関係も多くなる。理由なくブロックされる、心を込めたコメントをしても無視(芸能人は仕方ないとして)、人と違う意見を言えば仲間はずれ。こちらは理由が分からないから、苦しむ。

そうなるのが怖くて人は、義務のように”共感”するしかなくなるのか?

共感は、頑張って作るものじゃないんだろう。自分の心で感じたことが、自然と言葉や態度に溢れるものだと思う。

「わかる!」と何でも言う前に、その「わかる」は、何がどう「わかる」の?と自分に聞く。

自分がそれに答えられないと、人との関係は希薄になっていくんだろうな。気をつけたい。

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