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【読書】世界をつくった6つの革命の物語

こんにちは、Kenです。

今回は、「世界をつくった6つの革命の物語」という本を読んだので、思ったことをそのまま書いていこうと思います。

この本をざっくり要約するなら、「発明した最初の目的よりも別の使い方で花が開いた」的な感じになります。最初に出す「ハチドリ効果」がわかりやすい例になるかもしれません。

そんなわけで進めていきます。


ハチドリ効果とは

花は生存における受粉のために、昆虫にとって食事となる蜜の生成や色の変化などによって進化してきた。その進化は昆虫に絞って狙い定めて起きたものであり、その他に対象は見受けられない。

しかし、現実には鳥の進化に寄与することになったそうだ。蜜そのものは「栄養」でありそれは昆虫だけにとどまらない。そこに目をつけたのがハチドリである。

ハチドリは鳥類でありながら、唯一ホバリングできる鳥です。骨格を持つものとしてはかなり珍しく、羽ばたきの上下どちらでも揚力を発生させている。

ハチドリの進化は、花に意図はなくともハチドリという鳥類の進化をもたらす結果になり、以降同様の事象をハチドリ効果と呼ぶようになった。

現代においてもハチドリ効果は起こっている。

発明は悪か?

真空管に焦点を当ててみよう。
真空管は音を伝えるために生み出されたもの。音楽など民衆の娯楽用として使われていた。

当時としては、音を生以外で聞くことはなく、家にいても聞けるというのは画期的な発明だと言えるだろう。

そして、時代が進むとその技術はラジオにも使用されるようになり、大衆に声としての情報を届けることができるようになった。また、悪い方向としてはナチスドイツのラジオの使用にもつながり、惨事を巻き起こすことにもなった。

この時、真空管の発明を悪だと言えるのだろうか。
私は言えないと思う。

結果として民衆を扇動するための道具になったわけだが、娯楽を提供していたのも間違いのないことである。発明後の技術の広がりや使い方は全く考慮されなかっただろう。

それもそのはずで、最初の目的は音楽を伝えるためだからである。一方的に音を発するものとしての使い方から、「意味を持った言葉を届ける」までにいたり、発明時点そこまで想像を膨らませるのは不可能である。

予想するにあたり不確定要素が多すぎるからである。

では、「発明はしない方が良かった」と単純に言えるだろうか。良い面もあれば悪い面もある。その両方を考えることもなしに悪い面だけで判断することは愚かでないだろうか。

真空管がなければ、あなたが使っている今のデバイスなどは発明されなかったかもしれないし、もしかしたら惨事に至ることもないのかもしれない。両方の面があるから一概に言えないのである。

では、どう考えたら良いのだろうか。

1つはメリットしかないものは結局ないと考えた方がいいだろう。どんなものにも二面性はある。要はそれをどうやってどんな人が使うのかが大事だと思う。

悪い面があるから使わないと言うのは簡単だ。

想像してみよう。今のこの電気があり、音楽があり、動画がある。この生活から抜け出せるだろうか?これら全ては発明であり、上記のような発明が繰り返されてきた結果である。もし、悪い面があるから使わないという人がいるのならば、今使っている技術は使えないことになるだろう。

電気は高電圧にすれば人を殺傷することができるし、日常で使うハサミだって相手を怪我させる道具になりかねない。悪い面とはそういうことである。

どの技術もどこかで必ず悪い面がある。今の生活を捨てることができるというのならば、発明が悪だというその発言にも説得力が出てくるが、捨てられないのならば詭弁であると言わざるを得ない。

悪いのは技術そのものではなく使い方であり使う人だ。その結論に達しない限りいつまでも否定し続けるループから抜け出せないだろう。

技術は発明した人が想像もしないような分野や使い方をされるものであり、その組み合わせによって爆発的に便利になるかもしれない可能性を秘めている。

否定ばかりしていれば、いつまでもその恩恵を得ることはできない。発明は悪などではなく、使い方が重要なのである。


その知識は正確か

ここまで発明について書いてきたが、その発明はみんなが知っているような人が最初に発明したわけではない。

多くの人が知っているのは市場に出てきたタイミングの人であり、発明そのもは往々にしてより早く思いつき試していた人が必ずと言っていいほどいる。

だから「歴史的に有名人=最初に発明した人」と決めつけていくのはいささか正確ではない。

エジソンは電球の発明者として名を馳せているが、エジソンより先に電球の原理を見つけていた人はゆうに50人はいたと記録されている。エジソンが発明したものでもなければ、むしろ真似たと言ったほうが正確である。

さらに自身が作ったのかというとこれまた正確ではなく、エジソンのチームが作ったと言った方が正しいであろう。

彼のチームには彼以上に優秀な技師が存在していた。ではエジソン自身は何をしていたのかというと、大きなところではマーケティングである。記者とのコネもあり、電球について直接取材させ使い勝手の良さやいかに革新的であるかを売り込んでいたのである。

この時、この記者が他にも電球を発明している人がいたのを知っていたかというと、甚だ疑問が残る。

しかし、市場にむけてマーケティングしたことが、エジソンを「電球の発明者」として名を轟かせた大きな原因であると言える。

さらにマネジメントも素晴らしく、現在で言うところのストックオプションを実施していた。つまり、給料という形ではなく、会社の株を報酬として渡していたのである。

当時としては珍しいことこの上なく、チーム内に提案しても反応は良くなかったそう。それでも提案に乗る人はおり、最終的には株取得時の100倍近くにも価格が上がっていったそうだ。

この時提案に乗った人は親の反対を押し切って受けたそうだが、その後その両親に対して皮肉めいたことを言っている。

つまるところ、エジソンという人物を正確に表していくのであれば、電球等の発明者ではなく、マネジメントやアイデアの組み合わせ、またマーケティングなど発明とは離れたところの才能が大きいように思う。

表に出ている情報は必ずしも正確なことを言っているのではなくて、結果として出てきたものであるということ。表面的なところだけ見ていると思わぬところで落とし穴に落ちてしまうのである。

本当の意味で正確なものを掴もうと思うのならば、人の主観ができるだけ入っていない事実を自ら調べていくしかない。人の言うことを鵜呑みしすぎるのは少なからずリスクが伴うのである。


最後に

発明や思いつきは既存のものを掛け合わせた結果である。

その結果が生活を便利にすることもあるし、使い方を間違えれば惨事に繋がる可能性もある。

そして、その大半は「発明者が想像だにしない領域」にまで広がっている。凡人である私含めた大半の人はその予想をする意味などほとんどない。

知識や情報にしても、表に出ているものが正確だとは決して限らない。ほとんどが主観が入っていたりしている。

大切なのはそれを知った上で自分の中に取り込んでいくこと。ただ受け身になるだけでは、知らない間にいいように使われて損をするだけである。

否定するばかりではなく、自らの手を動かすことがいつの時代でも必須の力である。


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