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【#2 僕と東京と魚沼市】

前回の投稿で「かつてない葛藤」の渦中にいると書きました。

その葛藤の一つの要因が「地元」。


新潟の魚沼に生まれて、高校卒業まで18年間魚沼で育ちました。


魚沼というとそれはもう「自然が豊か」の一言に尽きるところで。

魅力を書き始めると長くなるので、別途記事にしたいと考えていますが、

ホーム画面のヘッダーに使っている写真(浅草岳で撮影)から想像できるかと思いますが、

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市の面積を8割が森林という自然の中の自然

田舎の中の田舎といっても

日本中の田舎出身者から反感を喰らわないのではないと思います。


特別これといった観光地や集客施設は多くはありませんが、

住んでいる人たちが四季の移ろいに合わせて生活を楽しんでいたり、

地域の人たちが愛する食文化が存在していたり、

この歳になるとそういう地域固有の個性的なライフスタイル

すごくクールで"豊かな地域"だなと感じています。



そんなまちから18歳の4月、大学進学で東京に上京しました。

(正確には住んでいたのは神奈川ですが、新潟から見れば神奈川、千葉、埼玉は東京都です。)

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(▲上京して初めて入った下北沢の"スタバ"で飲んだやつ。カップの右側には地図が映っているので、地図を片手に慣れない街を散策していた姿が見て取れます)




希望に胸を膨らませて・・・と言いたいところですが、

色々あってやりたいことを見失い、目的もなく上京した僕でしたが、

新宿の街に降り立った瞬間、テレビで見ていた”あの景色”が目の前に広がっていて、

忘れかけていた好奇心を取り戻すことができました。


”東京には何があるのか”、”どんな人がいるのか”、

”自分はこの街で”何か”を見つけることができるのか”


そんな期待を持って「希望に溢れた東京生活」をスタートさせました。


そんな期待通り、「東京」はすごく魅力的な街でした。

パワフルな街で出会う人たちは、パワフルな人たちでしたし、

街を歩いているだけで”何者か”になれるような期待感がありました。


その一方で当然ながら同じように地方から出てきた人たちも多く、

出会う人、出会う人と「出身地」の話になります。そんな場面で言う、


「新潟県の魚沼市出身です」


いま僕が地元に帰ってきて、地域産品を扱う仕事に就いている原点は

全てのこの一言に凝縮されています。


魚沼から上京して、「驚愕の広い世界」が広がっていたのに、

その「驚愕の広い世界」でほとんどの人が「魚沼」という名前を知っていたのです。


これはもう魚沼しか知らない18歳の大羽賀少年には感動でした。

「あ、俺の地元って有名なんだ」

「誰もが知ってる地域を"地元"って言えるのは魚沼で生まれた俺だけだ」と

なんだかすごく誇らしくなりました。


そういう感動が原点にあって、

僕は「地域産品、とりわけ魚沼の魅力を伝えていく仕事に就きたい」

という気持ちを抱くようになりました。



大学時代の過ごし方も「ネタ」が沢山あるので、

これもまた後日記事にしたいと思いますが、

「地域・魚沼を盛り上げたい」これをテーマにいろんな方とお会いしました。



沢山の方からアドバイスをいただきながら大学での4年間を過ごし、

悩んだ末に「地元を盛り上げるならまずは地元へ」と

地元新潟へUターン就職、新潟市内での社会人生活をスタートさせました。


そんな社会人歴も5年目を迎えましたが、

就職先は100を超えるグループ会社の親会社で、

実際にはそれらの各法人に出向して勤務します。

僕の場合はほぼ毎年この出向先が変わっているので

5年目のいまも「仕事に慣れた」という実感はあまりなく、

毎年新人の気持ちでこの時期を過ごしています。



これまで大学事務から始まり、

スマート農業、事業企画、地ビール工場と勤めてきて、

いずれの職場でも新潟が抱える「課題」を解消するために働いてきました。

自分が当初期待していたテーマであることには間違いありません。

働いていても楽しいですし、すごく勉強になることは多いです。


ただ、ここで冒頭の「葛藤」にぶち当たりました。


なかなか「魚沼」との距離が縮まることがないのです。



確かに広義では「地元」ではありますが、

僕は「新潟県」というよりは「魚沼」に関わりたい

そういう思いが強くありますし、

なんなら5年間、魚沼の外で生活してきて、

よりそうした思いが強くなっています。



※決して環境に対する不満を記しているのではありません。

でもたぶん、

自分から動かなくてはこの「魚沼」との距離は縮まらない

ということなのです。



やり方は沢山あります。あるはずです。ある気がしています。


最近、頭に残っているエピソードが一つあって。

僕は大学4年間、自宅から徒歩70秒の焼肉屋さんでアルバイトをしており、

そこの社長さんと今でも実に仲が良く、大学卒業後も

今の勤務先の地ビールや前職場の高糖度トマトを取り扱っていただいたりと

交流が続いているのですが、先日その社長さんと電話で話していた時の会話↓



「(社長)大羽賀の(魚沼の魅力を売りたい)お客さんって誰なの?」

「(大羽賀)県外の方々ですかね」

「(社長)その人たちってどこに住んでるの?」

「(大羽賀)東京とか?」

「(社長)じゃ新潟とか魚沼にいたらそのお客さんと会えないじゃん」


なるほどと。

「魚沼」との縮まらない距離を感じ始めてから、

「魚沼に住んで、魚沼で仕事をすること=魚沼の魅力を発信する手段」

という固定概念?こだわり?意地?が出来上がっていたのですが、

なんか手段が目的化してしまっていたなと。


「魚沼に住む」という部分は理想ではあるけれども

それは仕事においては必須ではないし、

「魚沼で仕事をすること」という部分も、

例えば、"魚沼にいながら山形の活性化事業を考える"となると

なんだか違和感を覚えます。


何が言いたいかというと、さまざまな条件がある中で

今一度、自分が魚沼のどの部分に拘っているのか、

何がしたいのかを明確に磨き上げていかなければいけないと感じているのです。

また、今現在の自分でも魚沼の魅力を伝えていくために

必要な素材は揃っているのではないかと。

漠然と「修行、修行、チャンスが来た時のために準備しておこう」ではなく、

いまチャンスを創るためには何ができるのかと。

今やれることがあるのではないかと。



仕事以外でも自分の将来と向き合う機会が増えた今日この頃、

そんな希望と葛藤を抱えながらも、

なんだか今までとは違う期待感にも包まれている、

日曜日の午後、暴風雨の新潟県新発田市より。


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