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「実家」のない発達凸凹二児の母。12回目にして、人生最後の引っ越しを。

ご無の沙汰であります
年末から今の今まで 怒涛の日々を過ごし
ようやく noteを書くまでに至った

前回まともにnoteを書いたのは 確か11月末だっただろうか
あの時は まだ自分の時間を作れるほどの余裕が少しあったのだろう
それがいつの頃からか 慣れないことの連続で
「自分時間」を作ることはおろか 
日常をなんとか送るのに 必死の数か月であった

この数か月になにがあったのか...
発達凸凹の二児とともに、年明けに「人生で最後の引っ越し」をした


人生で12回の引っ越しを

今振り返れば 私自身「引っ越し」の 多い人生だった
◎親と暮らしていた大学生までの間に 4回!!
◎働き始めてから 8回⁉

今回の引っ越しを加えれば
人生で12回も 引っ越しをしていたらしい。は!?ウソだろ!!

だが 浮世絵師の「葛飾北斎」なんて 
生涯で93回も引っ越しを繰り返したと言うから、私なんて序の口である

「引っ越し」を繰り返した子ども時代

子どもの頃から 割と引っ越しの多い人生を送ってきた
暮らしの変化に合わせて あちこちに住まいを移していた

といえばカッコよいが・・・
引っ越しの理由は まあ色々あった訳である


両親の不仲や 離婚により・・・
母や妹と一緒に 住まいを転々とした 

そんな育ち方のせいか 
私は社会人になってからも 
「シェアハウスに住んでみたい」だの
「彼氏と同棲する」だの言って
今の住まいに飽きたら気分転換に引っ越しするか!という感覚でいた

そんな風だったので
職場へ「転居に伴う手続き」をお願いする度に
「・・・はぁ? また引っ越すの?」と言われる始末だった・・・

「住み替える」暮らし方

引っ越しを繰り返す暮らしゆえに
「好きな時に 好きなところへ 住み替えれば良い」そう思っていた

実際に「引っ越し」が多いことのメリットもあった
引っ越しの度に 家を片付けるようになったし
部屋に合わせて 中古家具や家電を買ったり 自分のお気に入りの部屋を作ったり
引っ越し先でバイトしたり 友達を作ったり
近くに 気に入ったお店を見つけるのも 私にとっては楽しいものだった

私にとって「引っ越し」は 嫌なものではなく
新しい 何かに出会うきっかけであり
愛着のある「地元」が増えるようなものでもあった

「持ち家」からの引っ越し

人生で12回目となる 今回の引っ越しも
「慣れているし なんとかなるっしょ!」
単純にそう思っていた…

ところが どっこい!
今回の「引っ越し」は めっちゃクソ大変だったのだ

これまでの引っ越しは ほとんどが
「賃貸」から「賃貸」への 引っ越しだった

・・・ところが 今回は 
「持ち家」を売り 新しい家を購入し住み替えるという点で
あれもこれも 初めての経験だったのである

・新しい住まいを探す→購入→ローン契約 等々
・現在の住まいを売りに出す→不動産仲介→ 契約等々
・新しい住まいの工事→打合せ→打合せ等々

家の「売買契約」もしなくてはならなかったし
新しい住まいは あちこち工事が必要だったため、工事業者との打ち合わせをしたり・・・と

12回目の「引っ越し」から 数週間が過ぎた現在も様々な手続きが残っている状況で
クッソ目が回る日々だった
(40過ぎた二児の母がクソクソすみません・・・)

ついに「終の棲家」へ

これまでの人生で 12回も引っ越しを繰り返した私
今回ばかりは「終の棲家」に落ち着いたのでは? と思っている
なぜなら・・・
今回の引っ越しで 私と夫の「地元」にUターンしてきたからである

家庭の事情で 高校1年生で地元を去ることになった私は
30年ほど経ち ようやく幼少期を過ごしたこの町に戻ることになった

幼い頃に面倒を見てもらった知人から
「おかえりなさい。戻って来たんだね。」と言ってもらった

その時に しみじみと
「そうか私は、自分の意志とは関係なくこの地を離れたんだ。そして30年が経ち、やり残した人生を再スタートするように戻って来たのか」とホッとしたのだ

発達凸凹の二児を持つ 
母になった私

考えた末に30年という月日をかけ、遠回りしながら、地元で子どもと暮らすことになった

“住めば都”と言いながら 幾重の「引っ越し」を繰り返してきた私も
結局は幼き頃に育ったこの町が 大好きだったのだ

「帰る実家」がない問題

これを読んで下さっている方にも
「帰る実家がない」 そんな方もいるだろうか

実は私もそう感じている

強いて言えば 母の住まいが「実家」に当たるのかもしれないが
子ども時代に 私が暮らしていた家ではないし
私たち娘が独立した後に 母が借りた小さな家なので
「私の実家」というよりは 「母の家」と呼んだ方がしっくりくる

なので 盆暮れ正月に 私が「帰る実家」はなかった
盆暮れ正月に 母や私の家族や妹家族が集うとなれば

小さな母の家ではなく・・・
「夫と私が暮らす家」もしくは「夫の実家」に
私の母や妹がお邪魔するという 一風変わったスタイルをとるのである(笑)
※理解のある義実家には、感謝である

母には言えないが・・・
「地元に帰って 里帰り出産をした」とか
「実家に帰って 楽させてもらった」とか
「ったく、頭に来た! 実家に帰らせてもらいます!」という経験はない

もちろん母に精神的に助けてもらうことはあるが
帰りたいと思ったときに帰れる「私の実家」と呼べる場所はない

母の家に立ち寄っても
そこには 幼い頃に使っていた家具や食器は数えるほどしかなく
度重なる引っ越しにより お気に入りのものたちは てんでばらばらになり
間に合わせで買った安物の食器や ちぐはぐな家具ばかりで構成される母の家は
実家というよりも 落ち着かない誰かの家

母のせいで こうなった訳ではないが
大人になり独立してからというもの 実家と呼べるような「安心して帰れる家」がないことを
私や妹は 実はとても寂しく思っているのである

子どもが「安心して帰れる家」とは?

引っ越しが多い人生を 割と楽しんできたとも思うが
自分自身が親になり 振り返ってみると 考えさせられる面もある

家庭の事情で「来月、どこそこに引っ越すよ!」と 急に言われ
気持ちを切り替えられないまま
あちこちと住まいを変えた 幼き頃の経験は
今になって考えると 落ち着かないものだった

心の底では 親の事情でフラフラと住まいを変える自分を「根無草」のように思っていた

もし 私に「安心して帰れる実家」があり 
仲が良く 頼れる両親の存在があれば
今よりはいくらか 苦労の少ない人生だったろうと思う日も 山ほどある

だからこそ わが子には 
この家を「安心して帰れる家」にして欲しいと思うのだ
「この家を出たい」と思ったら 自由に家を出て
「そろそろ親の顔を見に行くか」と思ったら 帰れる場所
いつでも充電しに帰れる居場所にして欲しいと思う

そんな意味を込めて...
この度の引っ越しを「人生最後の引っ越し」と名づけ
この新しい住まいと 家族を大事に
これから数十年 暮らしていきたいと思うのである

そのためには 夫婦仲良くだな!
心に刻むのだ(笑)

次回は
発達凸凹×不登校の子どもがいる上で
この新しい住まいを選んだ理由についても 書いていきたい




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