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カウンセラーさんたち

愛着に着目しているカウンセラーさんは
過去、自分たちもそうだった。という人が多いです。

痛みのわかる人たち。。
人の痛みに寄り添える人は
自分たちもその痛みを知っていて、乗り越えた。もしくはまだ自身も道の途中。
みたいな人の印象が強くあります。
もちろん全員じゃないと思いますが。

私がお世話になっているカウンセラーさんは
自分で過去『恐れ回避型』と言っていて
私の想う人と同じかなと。。
(このね、恐れ回避型。本当誤解されやすくて、
私自身も自分が強めの不安型ということもあったし、本当に理解が追いつかなくて相手を苦しめてしまったなと取り返しはつきませんが猛省しているほど。。本当に理解されにくい愛着。。)

お医者さんお話だとなんとなく資料のような
教科書のような表現が多い中、
カウンセラーさんは経験を元に寄り添ってくれる感じというか感覚があるので
聞きたいことが山ほどあります笑

でも不思議とカウンセラーさんを目の前にすると
自分のことを話す時間になります。
やっぱり心理は『まず自分から』ってことなんでしょうね☺︎


心の問題って考えれば考えるほど
自分の子ども時代や
育ちが根本ってことがわかって、

育ち直すことも
やり直すこともできないからこそ、
自分を知って理解する、受け入れる
相手を知って理解する、受け入れる
ってことの繰り返しだなぁと思います。


『愛情を信頼する』というのは
突き詰めると、

私は不安型だから治さなくては!
相手は回避型だから治って欲しい。
相手が恐れ不安型だからもうどうにもできない。。

のような感じではなく、
不安型含めての自分。
回避型として生きる相手。
恐れ不安型を抱えても素晴らしいその人としての
目線なのかなぁ。。と認識し始めてます。


相手を変えることはできませんからね。。
愛着スタイル含めの自分や相手を
そのまま好きだと言える自分が理想かなって思います。

根っこは同じですから。。



私は不安が大きくなると答えが知りたくなるし
寄り添ってもらいたくてベッタリ安心を欲しがってしまうし

回避が大きい人は答えよりも
自分の力でその場を切り抜けようとして
とにかく1人になりたくなるでしょうし

恐れ不安な人は両方持ってますからね。。
近くにいたい、そばにいたいけど怖い。
逃げたところで罪悪感が残る。。
とにかく自分がダメだと自己嫌悪に陥るなど、
どっちに逃げても自分の気持ちは救われないことに絶望を感じたり。。

みんな根っこには大きな傷があるからこそ、
自分を知り、相手を知ることで
その人らしさを愛しいと思えるところの入り口に
やっと立てる気がします。

(ここで入り口!笑 心が安定してる人と全然違うとこですかね笑)


どの、愛着の傷も気づくところがすごく大変なんですけど(気づかない人の方が多そうです。
心というか脳が拒否しますから。。)


カウンセラーさんたちはどうやって恐れ回避型を
気づき、前を向いたんでしょうかね。。
今度聞いてみたいです。
ほんとすごいことだと思いますから

頭のいい人でも違和感まではわかっても
自分に非があるってところを認めるのって本当大変で、
今までの当たり前が当たり前じゃなかったことを受け止めることってほんと大変だと想うんですよね?

特に私のような不安型みたいに
人に寄りかかりたい、頼りにしたい
人に包まれたい。
甘えたい!甘えたい!甘えていたい!!!!
って気持ちが丸出しのスタイルではなく。
(笑。私の愛着酷すぎる笑)

回避や恐れ回避の人は
頼りにされたい、自分が支える側、
しっかり守ってあげたいって立ち位置でいる人が多そうですから。。
イメージですけどね。。
立派な大人ですから。。
問題が自分の中にあることを気がつくのって
とてつもなく大変のようですけど、

気づいている人が確かにいるし
その人たちはカウンセラーとして
人に寄り添い、心の声に耳を傾けてるので
すごいなぁと尊敬します。

本当に気がつくのがスタート地点で
そこから自分の育った環境に焦点を当てていくこの愛着の旅

私は不安タイプだったから自分が傷つくことで
気がついてきましたが
もし回避タイプだったら。。。
自分と向き合えたか自信がないです

それだけほんとすごく大変なことだとわかる中
確かに自分が回避タイプ。自分はおそれ回避型タイプと
自分を振り返れる人がいて
更に人の心に寄り添う仕事をしていると言うのは
すごいなと思うのと同時に、回避や、おそれ回避の人にも
寄り添える隙間があるのかもしれないと
希望のようなものも感じます


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