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洗われる

記憶の毒というやつはやっかいで、

共有できる人がいればまた違うのだろうけど、

自分だけがこの感情を、感覚を、知ってるのだろうか、

となると、

毒は自分で抜かねばならない。

下手に人に期待すると、

毒が抜けるどころか出口を塞がれる可能性もあるからだ。


子どものときは術を知らずに押し込めるか違う形に暴発するかの一方だが、

大人になれば

場所を変える、人を変える、やる気さえあれば、大抵は叶う。

やる気さえも奪われるくらいの心理状態は別だが。


人から受けた毒というのは、

大体が人で洗われる。

変えることは小さなことでいい、というか、

小さなことが大事なんだと思う。


日に当たる。

水の流れるのをみる。

風に吹かれる。

絶対安全と思える場所に行く。

安全と思える人と他愛もない話をする。

子どもじみたことを言うのを許してくれる人の前では

毒の内容も話す。

別に何が解決するわけでない。

ただ1人抱えていた毒が抜けていく。

抜けたあとは呆気なくさわやかだ。

私は色々な術を既にもっていて、

それは自分の中にあるようで、自分の外にしかない。

安全な場所と人は、自分の経験と感覚で得たものだ。

それが今日この日に存在してくれたありがたさを

子どもたちを迎える頃にはさわやかになった身体で感じている。






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