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面長の証明

思春期というのはとかくルッキズムに囚われるものだ。

うちの中学生も穴が空くほど鏡を見ては一喜一憂している。

私は近眼だったのもあったし、
くせ毛全開でメガネでニキビで、
家庭にゴタゴタ(祖母の認知症、ご近所トラブルなどなど)を抱えていてメンタルも落ちていた思春期は、
鏡の中の自分をじっと眺めるのが苦痛だった。

プロの手を借りなくてはどうにもならないくせ毛、
現実逃避したくて暗がりでマンガを読み、どんどん近視が進んでいく。

見えてる世界も選択肢の範囲も狭い子どもの、
とりつくしまのない自己否定感と無力感が

あるがままの自分を眺めるのを拒否させたと思う。

今はシミもたるみも若い頃と比べものにならないけど、普通に直視できる。別に自分の顔、嫌いじゃない。

鏡の中の自分をじっと眺められるだけ、
思春期においては健康な証拠なのだ。

勿論、度が過ぎて、自己否定の言葉の連発になるのは公害なので、
注意している。
思うのは自由だが、
言葉に出せば影響力が出る。

基本的にルッキズムは、
人間として果たして重要なのか、
なんなのかよくわからない基準を元にした、差別的なものなのだ。

自分を卑下する言葉は即ち、
他者も巻き添えにして、
窮屈な世界を作って行く。

思春期の未熟さや心の揺れを否定したりはしない。

クラスで人気者のあの子みたいに、可愛いモデルさんみたいになりたいのになれない、なんて、ほっといても思春期は苦悩するもんだ。

ただ、世界を作って行く立場にある大人が、
それを煽るのは、正直好きじゃ無い。

ましてや親だから。
普通にうちの子は可愛いと思う。

親が気にしてやるのは、
最低限の清潔感と心身の健康、でしょ。と、思う。

なんべん親としての意見を述べても、思春期はしつこい。

「目が、髪が、肌が、骨格が」と暇さえあれば自分にダメ出ししてくる。

中学の自分になかったものをおおかた備えているのに、否定のオンパレードを聴かせられるが、

「はいはい、思春期ですからね〜」

と流せるのは、親の愛だな、と自分でも思う。

ただ、
「私、面長なんだよ〜顔が長い!」と
ぼやき始めたときは聞き捨てならなかった。

我こそは生まれながらの面長。

どう寛容に見積もっても、面長。

仏像よりの、面長卵型なんすよ。

明らかに貴方と顔の形、違うよね?

と言葉で諭しても聞き入れない。

とうとうメジャーで測ることにした。

2センチ私が長かった。

「もう2度とお母さんの前で自分の顔が長いとか言わないで」
とドヤ顔で言った。

「ハイ…」と大人しくなった。

数字の前では素直な思春期である。




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