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種差海岸から、空へ・先祖をたどる旅~葛藤を終わらせるために⑧


蕪島をあとにして車を種差海岸まで走らせた。

時間があれば海岸沿いを歩いていきたい気分だったが、そうもいかなかった。

朝食を食べずに行動していたのだが、まだ、どこの食事処も開いてる時間ではなく、とりあえず水分だけとっていた。

今日はウニ丼を絶対食べると決めていたので、ウニのためにお腹を空かせていた、ともいえる。種差でもウニを食べられる店があったけど、やはり開店まで時間があるので、

種差散策のあとは市街地の八食センターなる八戸の大きな物産館に行くことに決めた。


種差海岸は曇天で、少し肌寒いような気がした。
天然の芝地と荒磯と曇天の海の風景は、行ったことのないイギリスの海岸を思わせた。
海から陸を振り返れば黒松の林で、それはイギリスにはないものだろうが。


朝早いし、お店もないので、人はほとんどいなかったが、皆無というほどではなかった。

私は芝地のだだっぴろいところが大好きで、あっちこっちと歩き回った。

さすがに草を食んだりはしなかったが、過去世の馬の記憶がよみがえるのだろうか。

私はこの旅で墓参りとウニを食べる以外にやりたいことがあった。

それは、
母の先祖の土地の海と山でピアニカ(鍵盤ハーモニカ)を吹くことだった。

なんでやねん、と問われても、そうしたかったから、としかいいようがない。

血縁の先祖のお墓ではお経をあげるつもりだが、
大きな意味での先祖は土地そのもの、という感覚が私の中にあって、
その土地にささげるのは、音楽がいい、と思ったのだ。

歌もいいんだけど、
時として歌詞がない音楽のほうが、しっくりくることもある気がする。

先住民の人たちが、
自然の存在のために踊りや音楽をささげたりする感覚と似ている。

ただ私は踊れない。
唯一日常的に練習してる楽器のピアノは持ってあるけない。
ハーモニカをあらたにやるには時間がかかる。

そんな中で、子どもの教材で家にあるピアニカを思いついた。

「これなら歌うように、吹けるわ。指さえちゃんとおさえれば音が必ずでるし。」

おまけに楽器の音としては宿命的にチープなのだが、持ち運びに便利なプラスチック製である。

おかげさまで高知からずっと背負ってきても苦にならなかった。

種差海岸の岩場の陰に座って、息を整えた。

海と空に向かって、初めてピアニカを外で吹いた。

ひざに置いた譜面が風がめくれて、それは想定外だったけど。

「主よ、人の望みの喜びを」
「目覚めよと呼ぶ声あり」
「アメイジンググレイス」
「パッヘルベルのカノン」

そして祖母の好きだった「ユモレスク」。

南部の川はすべて太平洋にそそぐ。

内陸の母のふるさとからも八戸の海へ川が注いでいる。

海の水はやがて温められて空に昇って雲になり、風で陸へ運ばれまた山に雨となって降りそそぎ、
大地をうるおす命の水となる。

ぐるぐるぐるぐる、何億年も、何万年も、何千年も、何百年も何十年も
水は命たちの身体をとおりぬけながら巡りつづける。

祖母や母やご先祖さまたちは、種差に立ったことがあっただろうか。

そんな話を聴くことはできなかったが、
海岸に立ったことがなくても、太平洋を見ずに暮らしても、

私たちの身体は海につながっている。

だからここは、「ふるさとの海」でいいのだ。

先祖の土地に祈る。

過去を美化することも、
ポジティブに塗り替えることも、
蓋をすることもしない。

祖母の個人の能力として、
娘や孫たちに対して
未熟なままだったこと
出来なかったことを

許したい。

許したくないなら許さなくていいと、ずっと思っていたけど、
もういい。

私はもういいよ、と心からいいたい。

私たち血族の葛藤を手放したい。

祖母が死んでからはじめて、
心から祖母を弔った気がする。

吹き終わった後、雲間から少し空がのぞいていた。

私がずっとつなぎとめていた祖母のかけらを空に放せたのだったらいいな。







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