忘れる技術
今日は12月1日、映画の日。
今年はあたらしい映画を観る回数は減ったけど、再鑑賞することが多かった。
そこで、ふと気づいたことがある。
それは、一度は観ているはずなのに、結構覚えていないということ。
些細なワンシーンならまだしも、大事なシーンをちょこちょこ覚えていないもんから、ビックリする。しかも、それが好きな映画に多いのがまた面白い。
一体、昔のわたしは何を観ていたんだろう…?とさえ思ってしまったほど(笑)
単純に忘れていることもあれば、観たい部分しか観ていない人間のサガもあるだろうし、年々、感性やツボが変わってきているのだな〜とも思う。
少なからず老いもあるだろうし、この先、覚え続けることが難しくなる日も来るのかな?
でも、きっと難しいってたのしいよね。
また知りたくなっちゃうだろうから。
そしたら、また映画を観たくなるし、好きな映画や好きなシーンが増えるのもまた楽しみになる(映画鑑賞の醍醐味だね)。
年齢を重ねるって、たのしみが重なっていくことでもありそう。忘れても、新しいことだと勘違いして、発見できた悦びがある。だから、何度でも繰り返し覚えていったらいいじゃんね。
いつの間にか、苦しみや大事な悦びもコロっと忘れたり(忘れたフリをして)、都合よく生きる術をもつようになっているし。こどもの頃から記憶力がいいと思っていたけど、結構忘れやすくなっていて、マズいというよりどこかホッとすることが多い(寛容になれてきているというか)。
なんなら、季節が変わるたびに夏の暑さや冬の寒さもすっかり忘れているんだから、人間ってやっぱり忘れっぽい生き物だよなあ(忘れられるから人間は生きていけるって言うしね)。
年齢を重ね、これから迎えるほとんどのことに肯定的でいるつもりだけど、ひとつだけ、どうしても避けられないと分かっていて、ちょっと怯えていることがある。
それは、人の死が身近になってしまうこと。
そしてそれは増えていき、決して減らないこと。
この一年でも、届いてくる訃報によく知る人が増えて、避けられなかった。
でも、無関心になることはもっと避けたいし、そう思うと、やっぱり些細な日常のワンシーンこそ覚えていたいと思う性分だな。
大切な誰かが居なくなったり、忘れたりしたとしても、他の誰かが何かしら覚えていたら、いいと思ってる。でも、まだしばらくは、その他の誰かにわたしはなっていたくて、出来るだけたくさん覚えていたいと思うから、どうやら欲張りみたい。仕方ないね(映画の話から、すごい派生の仕方だな)。
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