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おはぎちゃんちゃんちゃんこ

なんだか言葉遊びのようになっていますが。

家に帰ると、おはぎが今年の冬の新作ちゃんちゃんこを着て部屋でまるくなっていた。寒くなったからと、母が今日作って着せたらしい。

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嫌そうなので普段は服を着せないのだけれど、冬だけおはぎはたま〜〜に、ニットを着ている。手芸が趣味である母親の手作りで、とてもかわいい。

本当にあったかいと感じているかどうかはおはぎにしか分からないけれど、たぶんあったかいと思う。だってニットの中に手を突っ込んだら、むちゃくちゃあったかいのだ。仕事から帰宅して真っ先におはぎで暖をとるの、おはぎは嫌そうだけれどやめられない。夏の柴犬もいいけれど、秋冬の、とくに寒くなってきたころの柴犬はなおよい。換毛期を終え、ふわふわの冬毛の触り心地がこの世のなによりもすきなのである。

今年の母新作はちゃんちゃんこらしい。正確にはちゃんちゃんこではないし、ちゃんちゃんこだとしてもせめてベストだと言えと言われるけれど、これを着たおはぎ、なんとも言えず「おうちでコタツに入っている、冬のおばあちゃん感」がすごいので、今日帰宅するなり笑い転げてしまった。悪口ではない。むちゃくちゃかわいかった。



犬はよろこび庭かけまわるなんて歌があるけれど、先代犬めるさんは冬が苦手だった。冬というか、外に出ることがあまりすきではなく、散歩もシャシャッと帰りたい感じだったし、雨なんて降った日には梃子でも外に出たがらなかった。絶対に家の中でおしっこができない犬だったので、我慢するのは辛かろうと人間もびしょ濡れになりながら外に連れ出そうとするのだけれど、もう駐車場の屋根の下から梃子でも動かないのである。根負けするのはきまって人間だったけれど、ざあざあ降る雨の音を聞きながら、「雨だねえ」「雨、やだね。でもそろそろ散歩行かない?おしっこしたいでしょ?」なんて話しかける時間が、わたしはわりとすきだった。そりゃあ出勤前にやられようものなら地獄絵図だったけれど。

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晩年両眼が見えなかっためるさんは、亡くなるまでの一年と少しは痴呆で朝晩かかわらず切なそうに鳴きながらそこらじゅうを歩き回り、家族総出で介護をする日々が続いた。

ゲージに閉じ込めてもゲージの柵に顔をぶつけて傷を作るので、晩年は家の中を自由にさせてあげていた。痴呆が入っても絶対に家でおしっこをしながらなかったので、夜中いつでも外に連れて行けるようにわたしは自室のベッドではなくリビングの床で寝起きし、めるさんが徘徊し始めると起きて、一通り彼女に付き合い、そうしてまた少しだけ眠るような生活をしていた。

この話をすると大体の人には「大変だったね」と言われるけれど、不思議と大変だったという記憶はない。たしかに寝不足だった気もするけれど、よく覚えていない。仕事もちょうどセールの時期などもあり、むちゃくちゃ忙しかったように思うけれど、こうしてあの日々を思い出すとき、きまって最後に残るのはめるさんと過ごした、愛おしい日々の思い出だ。

みんなが寝静まり、街灯も消えている真夜中の街、しんとした静けさ。朝焼けに染まる朝の光景。「めるさんは見えないけど、いまね、空がとてもきれいだよ」「真っ暗だねえ。暗いと怖いから、早めに家に入ろうね」。できるならあと少し、あの時間を過ごしたかったとさえ思える。今は元気なおはぎも、いつかはそういう日を迎えるのかもしれないな、と思う。犬はあっという間に大きくなって、あっという間に歳をとる。もうすこしゆっくり大きくなっていいんだよ、と思うけれど、あんなに小さくて、すっぽりわたしの片手におしりが収まっていたおはぎも、もう2歳なのである。

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めるさんが亡くなったのは、冬のことだった。

「よくがんばったね」

「うちに来てくれてありがとうね」

ぽろぽろ泣きながら冷たくなっためるさんに、この緑色のニットをかけてあげた日のことを、わたしはたぶんこれから先、おばあちゃんになってボケたとしても忘れない。めるさんは、とても似合っていたこの緑の雪柄のニットと、よく遊んでいたおもちゃと、たくさんのお花と、愛用していたブランケットとか、好物をつめこんだお弁当箱と一緒に骨になった。死後の世界だとかはあまり信じていないけれど、もしあるのなら、虹の向こうの世界で、みどりのニットを自慢してほしいな、と思う。めるさんも服があまりすきじゃなかったけれど、あの緑のニットは本当に彼女に似合っていた。散歩で人に会うたび、「かわいいね」と褒められてもクールなめるさんは「当たり前でしょ」みたいな顔をしてスンとしていたけれど、ほんとうにかわいかったよ。

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なんだか湿っぽくなってしまったけれど、彼女のことを書きたくなったのは、昨晩の夜中、めるさんの気配を感じたからである。

たぶん気のせいだけれど、なんとなく、視界のはしっこを緑のなにかが動いた気がした。めるさんだ、と思ったのを思い出したのだ。

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おはぎは服を着せられると、ちょっとどころかだいぶん不満そうな顔をしてこちらを見てくる。そうこの顔、この顔である。

でも、めるさんと違い万物に対してのデレが凄まじいおはぎは、「かわいい!」「世界一かわいい!」と褒め続けると、「そうかしら」みたいな顔をしてすぐに絆される。うちに来てからこの方、毎日飽きるほど人間にかわいいかわいいと言い続けられ、いまも現役カワイイ世界女王の我が家のおはぎは、自分がかわいいことをよおくわかっている。今日もちゃんちゃんこをさんざんカワイイ!カワイイ!と褒められ、満足そうな顔をしていた。カワイイ。世界一かわいい。


時たま、おはぎに「めるさん元気かなあ」と聞いてみることがある。

当然彼女と会ったことすらないおはぎは「だあれ?」みたいな顔をして首を傾げるのだけれど、なんだろう、わたしの気のせいじゃないとしたら、たぶんめるさん、いまでも時々このうちに遊びに来ているんだと思う。「寒くなり始めたからニットの季節だよ」とか、「暑いからクーラーつけよ」とか言いに。

わたしのこと忘れないでね、と言っているみたいに季節の変わり目にやってくる彼女に、忘れてないよとわたしは返す。我が家には世界一かわいい犬が、二匹いる。

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