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6年間引きこもっていた職歴なし大学中退ニートが内定をもらった話

初めまして、さとうと申します。

私は大学2年次から4年次までの3年間と、大学を中途退学し実家に帰ってから現在までの3年間の、都合6年を引きこもりとして過ごしました。

そんな私がこの度内定を頂き、長いヒキニート生活に終止符を打つことになったので、この6年間に区切りをつける意味を込めて、内定を得るまでの経緯をざっくり書き残しておこうと思います。

少々長くなってしまうかもしれませんし、私の駄文が最後まで読むに堪えないかもしれませんが、ブランクのある人間にも、社会復帰の機会はあるのだという一例を共有することができれば、これ以上ない幸いです。



なぜ大学を中退するに至ったのか

内定を得るまでを書くにあたって、引きこもり生活を開始した時点から書き始めると、全くキリがなくなってしまうので、あまり過去の話は遡るつもりはありませんでした。

とはいうものの、ドロップアウトした理由というのは社会復帰の難度にも関わってきます。はっきり書いておかないと「なにかのっぴきならない理由があったのではないか」「同情の余地があるから面接でも不利にならなかったのではないか」というような憶測を呼んでしまう可能性があるので、一応触れておきたいと思います。

改めて書くのも恥ずかしいダメダメな理由なので、語るのもためらわれますが、ここは後続の同類たちのためにも正直に書きたいと思います。

特に珍しい理由でもないのですが、普通に講義がつまらなかったので行かなくなりました

本当にいろんな人に怒られそうなので何かそれらしい言い訳を考えたかったのですが、突き詰めれば突き詰めるほどこの結論にたどり着きます。

思えば高校時代からこの結末は決まっていたように思います。

勉強は大嫌いで、夜型かつネット依存気味で朝は起きられず、遅刻や無断欠席は当たり前。しかし周囲が皆進学するからと自分も適当にモラトリアム目当てで進学し、学びたいこともなく、ただ一人暮らしをして好きなだけゲームができればいいと思っていました。こんな心持ちでモチベーションが続くわけがありません。愚かすぎます。

すごく端的に言うと、自らの人生に向き合ってこなかったんですね。

学友たちが自分の適性や将来を考え、真剣に進路に悩み、勉学に励んでいたころ、私はひたすら現実逃避に励み、キャラのステ振りに悩み、次にやるゲームを考えていました。

自分の理想と現実のギャップ、それらをどう埋めるのかを真剣に考えると辛いので、ひたすら思考することから逃げていたんです。

そして将来を決めることから逃げて先送りにしていった結果、日々のタスクをこなすことも、なんなら生きることも嫌になっちゃったと。残念でもなく当然の結果ですね。

ちなみに面接ではこれらの理由を毎回偽ることなく話していました。流石に言い方は少し考えましたが、ヘタに取り繕ってもどうせバレますし、正直に話して心を入れ替えたことを納得してもらう方が、不幸なミスマッチもなかろうと思っていました。

なぜ社会復帰を決意できたか

次になぜ社会復帰しようと思えるようになったかについてですが、これに関してはいくつか理由が挙げられると思います。全部挙げようと思うとキリがないので、今回は3つほど書きたいと思います。

時間が経った

まず一つは、単純に時間が経ったことです。

社会から孤立した人あるあるだと思うんですが、まあ病むんですよね。人間ってどこまでいっても社会的動物なので、人との交流とかある程度の社会的役割とかが与えられてないと、大抵の人は心理的負荷を感じるんだと思います。自分は結構ぼっち適性があると自負していたんですが、結局例外ではありませんでした。

引きこもり始めたのも、その原因を作ったのも自分なので、自業自得っちゃそうなんですけど。いや自業自得だからこそ、後悔と自己嫌悪に毎秒心を焼かれるわけです。

そんなわけで、引きこもり始めてしばらくはかなり腐っていました。どのくらい腐っていたかというと、部屋に七輪と練炭を飾るくらい腐っていました。

実用というよりは観賞用です。七輪を眺めるたび「いつでも終われるんだから、全ての不安は無意味だ」というような歪んだ安心を得ていました。

実は一回だけ実行しようと思って、PCのエッチなデータを全消去して準備したんですが、死ぬ前に吸い切ろうと思ってタバコをたらふく吸ったらニコチン過剰で気分が悪くなって、ひと眠りしたらもうどうでもよくなってました。エッチなデータの消し損です。

言わばタバコが命を救ってくれたというわけですね。タバコは寿命を短くするばかりだと巷では思われているようですが、こんな風に命を救うこともあるんです。ちなみに私はもうタバコはやめました、身体に悪いので。

これは余談なんですが、Amazonで七輪を買うと頑丈そうなロープもお勧めされるようになります。単純にそれらを一緒に買っている人がたくさんいるせいで、アルゴリズム通りにセットでお勧めするようになってるんでしょうけど、品物だけでなく死すら確実にお届けしようという姿勢に当時の私は感心しました。

話が逸れましたが、ほんとにそんな感じでだいぶダークサイドに堕ちていました。生きる意味とか考えちゃったりして、自分の存在意義が見出せなかったりして、毎日ベッドの上でのたうってました。

でもしばらくすると、退屈の方が大きくなってくるんですよね。とにかくやることがない。

最終的に死ねばいいやとか思っていても、結局それほどのエネルギーもなく、延々と時間が過ぎて、毎日確実に明日が来ます。

そうなると「無意味な私」というよりも「無意味な時間」と向き合うことの方が辛くなってきます。

こうして時間が経ち、自分を哀れんだり蔑んだりすることに飽きたというのが、社会復帰への最初の一歩だったと思っています。

学びの魅力に気付いた

二つ目に、学ぶことの面白さに気づいた、ということが挙げられます。

引きこもり始めて大体3年が経ったころ、大学を中退して実家に帰ってから数ヶ月を数えたあたりで、唐突にゲームを作り始めます。

これは先ほど書いたように退屈が高じて、というのと、実家に帰ったことによる環境の変化によって引き起こされたのだと思います。

具体的な話は省きますが、ゲームを作るって、学びと実践の距離が近いんですよね。プログラミングを学んでコードを自分で書いてみると、画面の中でキャラが動いたりUIが変化したりする。何のために学ぶかということが非常に直感的で明白です。

とても幼稚な気付きでお恥ずかしいんですが、知識が実際に活かされて報われるところを見たときに、初めて勉強って面白いなと感じました。

大学を辞めて初めて学びの楽しさに気づくというのは、なんとも皮肉な話ですよね。要はそれほど自分が、自分や周囲の環境に無関心だったということなんでしょう。自分の専攻は哲学だったんですが、今では哲学を面白いと思えるところまで学んでみればよかったと悔いています。

最終的に規模の小さなゲームを3本ほど作り、リリースまで漕ぎつけて、それから好奇心で基本情報技術者試験という情報系の試験も受験し、合格しました。

作ったゲームの出来はさておき、学んだことで何らかの結果を得るという経験をしたことが、ニートを脱出する素地作りに一役買ったのだと思います。

働くことのメリットを想像する機会が得られた

最後に3つ目ですが、これが一番トリガーというか、直接的な行動を誘発することになった要因です。

それは、働くことで得る物(お金、経験、社会的承認、未来)について考える機会に恵まれたことです。

こう言ってしまうと「メリットだの関係なく人間は生きるために否応なく働くもんだろ」と真っ当な感覚をお持ちの社会人の皆様方に怒られてしまいそうですが、全くその通りなので返す言葉もございません。

ただ何というか、一度道から外れて立ち止まってしまうと、当たり前のことを当たり前にするのにもいちいち理由が必要になってしまうんですよね。精神にも慣性が働いているような感覚といいますか。

単純にエネルギーが必要なことをやりたいと思えなかったという側面もありますが、引きこもっている間は常になんとなく「働くと失うこと」について考えてしまっていた気がします。

どうして働くことをポジティブに捉える機会を得たのかに関してですが、これは親戚に「うちの会社で働くか?」と言ってもらったことがきっかけでした。

親戚が役員を務めている会社があり、そこで人手が少し足りていないところがあるということで、私に声をかけてくれた、という経緯でした。

結果的には、社内に話を持ち込んだところ「コネは基本的に受け入れていない」とのことで否決されてしまったらしく、そのお話は立ち消えになってしまったのですが、それを機に働いている自分の姿を想像し、そこで自分は何を得るのか、その先にどんな選択肢が広がっているのかを具体的にイメージし、初めて社会の中でポジティブな未来を描くことができました。

まあ、そんなことより何より、自分を助けようとしてくれる人がいる、と感じられたことが素直に嬉しかった、というのもありますが。

流石に6年近くも引きこもっていると、退屈と将来への絶望、そして無気力とが合わさって「誰か助けてくれ」という気持ちが湧いてくるんです。もしくは「誰か殺してくれ」という感情にも近いですね。

そんな中で実際に自分をこの環境からどうにかしようとアクションを起こしてくれる人間が現れたことで、自分で行動を起こす勇気を貰った、というのが一番大きかったです。

就活開始

そんなこんなで就職活動を始めた私がまずしたことは、とりあえずいくつか求人に応募してみることです。直球ですね。

今になって振り返ると、もうちょっと自己分析とか業界分析とかプランを立てる時間を取ればよかったとも思います。

これは就職活動を通してはじめて気付いたんですが、自分は考えるよりも先に行動するタイプだったみたいです。おかげで何度も軌道修正を余儀なくされて、思っていたより時間や労力、お金を使うことになりました。

求人を送る前に考えていたことといえば、「言語やツールを学んだりコードを書くのは面白かったから、そういうことを仕事にしよう」とか、「IT業界って人手不足らしいしSESだったらすぐ内定出るでしょ」くらいのものでした。企業の見定め方だったり、何を軸に就職活動をするか、求人情報はどのように探すべきか、などは全く考えていませんでした。

最初の内定

それで大体5、6件くらい応募したんですが、その中で異常にレスポンスが早い会社さんがあったんです。応募をしてから5分後くらいに電話がかかってきて、翌日の電話面接が決まり、電話面接ではその場で通過を言い渡され、翌日に対面での最終面接が設定されました。そしてその最終面接では、10分かそこらの面接ですぐに内定通知書を手渡されました。

そこで私が思ったことは「ああ、ほんとに人手不足なんだなあ」です。愚かすぎます。

いや、本音を言うとかなり怪しいとは思っていたんです。思っていたんですが、やはり大学を中退し、3年も完全なニート期間を履歴書に残してしまっていると、人は弱気になるもので、「ここを蹴ったとして他に内定が出るだろうか」というような不安に流され、どれだけ怪しいサインを見つけたとしても、好意的な解釈をついつい与えてしまうんです。

それに加えて何と言っても、電話面接を担当していた方のラインのトプ画が実家で飼っているという猫ちゃんだったんです。これが効きました。猫を愛する人間が「うちの会社は教育にも力を入れているんです」なんて言おうものなら、「いい会社だな」と思うのが人情というものでしょう? 特にハインラインの「夏への扉」を読んだばかりの人間には効果覿面でした。私はこの時の反省を生かし、現在では犬派に鞍替えしています。

冗談はさておき、電光石火で内定を貰い、就活という最も人生で忌避していたイベントを終えられそうになった自分は迷いました。内定を受けるべきか、まだ企業探しを続けるべきかと。

有難いことに応募した他の書類は1件を除いて通過し、面接の日程調整まで進んでいました。チャンスが他にないわけではない。

しかしとりわけ自分を追い詰めたのはタイムリミットです。内定を通知された後に、内定を受諾する場合は翌日までにある書類にサインをするようにと説明されました。つまり、答えを出すまでに与えられた時間はたった1日です。

迷った結果、私は内定を受諾することに決め、翌日、面接を受けたのと同じ場所に赴き、書類にサインをしました。

その会社から金60万を借り受けるという内容の同意書に

意味が分からないと思うでしょう。私も未だに分かりません。

いや、まあサインをしたわけですから、それがどういうことかくらいは把握しているんですが、それがまかり通る論理が未だに納得できないという感じでして。

説明をいたしますと、その会社は入社前に研修があるとのことなのですが、それが同社の運営するITスクールによって行われるとのことで、そのスクールの代金として、まず60万円を貸し付けるから、それに同意をしてくれとのことだったのです。

なぜこの説明を受けて納得し、サインまでしたのか、皆さん疑問に思われるでしょう。私もです。

もう詳しく語るのも恥ずかしくなってきたので、これ以上掘り下げるのは別の機会にさせていただいて、話を進めたいと思います。

60万円の研修の実態

そんなわけで、内定を受諾し、就職活動に一区切りをつけた私が次に取り組んだのが、件の研修です。

結果的に1ヵ月弱ほど続くことになったその研修ですが、端的に内容を説明すると、経歴詐称の指導でした。

SESというものが何なのか分からないと、きっとチンプンカンプンだと思うので、簡単に概要をお話しします。

SESというお仕事は、簡単に言ってしまうと派遣労働です(こう書くと準委任契約は派遣契約とは違うと怒る人もいるでしょうが、今回はそういった詳細は便宜上割愛します)。技術員を必要とする現場、プロジェクトに人員を配置し、そこで技術員が提供する労働の対価としてお金を受け取ります。そのため配置される技術員は多くの場合まず派遣先の方と面談を行い、十分なスキルを保有しているかどうかが判断されます。

当然、高い技術力を有している人間には高い報酬を、そうでない人間にはそれなりの報酬を、クライアントは支払うことになります。

これもまた当然のことながら、未経験の人間を必要とする現場というのはあまりありません。技術も経験もありませんから。

以上を踏まえて、大量の未経験人材を受け入れる会社が最も効率よく、安易に利益を得る方法が、経歴詐称です。

未経験人材に、4年だの5年だのと嘘の現場経験を語らせ、市場価値の高いエンジニアとして振舞わせるわけです。

私は1ヵ月間もの時間を、その準備のために使ってしまいました。

スキルシートと呼ばれるエンジニアの履歴書で嘘の現場経験を創作し、会社から共有された面談における頻出の質問への回答を考えていました。

私も潔白ではないので、こんなことが正当化されるはずもないと薄々思いながらも、研修の講師陣や取締役の「自分もこの方法で業界に入った。誰もが最初は嘘をつく必要がある」という言葉を免罪符にして続けていました。

しかし、やはり人間誰しも後ろめたいことはできることなら避けたいと思うわけで、研修が佳境に差し掛かり、実際に営業をかけ始めるという段になって、辞めた方が良いのではという気持ちが大きくなってきました。

たとえ面談をやり過ごし、現場に入ったとしても、詐称をしたなんてことは一瞬でバレるでしょうし、そこで契約解除されなかったとしても、「あいつ詐称して入場してきたんだよな」という目で見られながら働くなんてことは、どう考えても精神衛生上よくないですし、パフォーマンスが下がるのは間違いありません。

クライアント、というか現場の人たちとはできる限りいい関係を築きたいですし、信頼関係で結ばれていたいというのが正直なところです。

これが社会経験のないクソニートの妄言だったとしても、もう少し働き方を選んでいいんじゃないか、まだそこまで自分や社会に絶望する段階じゃないんじゃないか、とも考えていました。

そこで、偶然学生時代の友人がSESをしているという話を聞きつけ、相談してみることにしました。

私から一通りの説明を受けた友人が発した第一声が「まだそんな会社あるんだ」でした。爽快でしたね。

それから「そんな会社で働くのは時間もお金ももったいない」と神託にも似たお言葉を頂き、背中を押された私はその会社を辞めることにしました。

辞めるとは言ったものの、最初の現場が決まるまでは入社はできないとのお話で、実際のところ社員ですらなく、ライングループで繋がっているだけという関係性だったので、特に揉めるということもなく、あっさり連絡が来なくなっておしまいでした。

「60万の同意書の件は?」と気になる方もいらっしゃるでしょうが、特にそこも追及されませんでした。「督促状や内容証明が届くのでしょうか?」と直接聞いてみたんですが、「こちらから何かすることはない」とのお答えを頂き、本当に何にもありませんでした。始めから取る気はなかったんでしょう。もしくは、実際現場で働き始めた場合に、貸付金を理由に給与から差し引くための方便だったのかもしれません。何はともあれ、助かりました。

再びの就活

こうして就職活動を再開することとなった私ですが、前述の経験から学んだことが一つありました。

それは、仕事探しに〇ndeedは使わない、ということです。

この叡智を授かった私にもはや怖いものなどありませんでした。大手就職サイト、転職サービスを利用することで、瞬く間に自分に合った仕事が見つかる、そう確信して疑いませんでした。

結果として、さらに2、3週間ほど時間を失うことになるとは露知らず……。

意気揚々と就職サイトに乗り込んでいった私は、相も変わらずほぼノープランでした。とにかく大量の求人が転がっているので、まずは心惹かれるものをのんびり探してみよう、そのくらいに考えていました。ただ一つ企業に求める条件があるとすれば、前回の反省を生かして、実務に紐づいたしっかりとした研修制度がある、そんな会社があれば嬉しい、それだけが自分の中の希望らしい希望でした。

そして求人の海を漂い始めた初日、目に留まった1社にだけ、試しに応募してみることにしました。

翌日、改めて就活とはどんな風にアプローチしたらよいものなのかとグーグル先生に尋ねていたところ、電話がかかってきました。

ニートに一体誰が何の用かと訝しがりながら電話口へ出ると、相手は転職エージェントだと名乗り、就職活動のサポートをしてくれると言うじゃありませんか。

全く意図していなかったんですが、どうやら求人に応募した際に記載した情報を元に、いつの間にかエージェントサービスにも登録してしまっていたようです。

自分はそういったサービスを利用するつもりは皆無だったのですが、妙な好奇心が湧いてきてしまって、物は試しと面談をしてもらうことにしました。

かなり長い話になってしまうので結果から言ってしまうと、これは本当に失敗でした。

エージェントの方の対応が悪かったとか、そういう話ではないんです。むしろその真逆で、めちゃめちゃ親身になってくれて、思わず「この人に任せていれば良い会社に出会える」と、ある意味思考停止してしまったんですよね。これが本当に良くない。

最終的に20~25社くらいエージェント経由で応募して、3社書類通過したんですが、結局まともに面接をしたのは1社だけで、他の2社は辞退という形で終えました。

もし詳しく書く機会があれば改めてその時のことはお話ししたいんですが、何がダメだったのかという理由は主に二つほど挙げられます。

エージェントはタダではない

一つは、転職エージェントはあくまでも有料のサービスだということ。

求職者側がエージェントを利用する際、それらのサービスは完全に無料で提供されるわけですが、だからといって彼らがボランティアで働いているわけではありません。彼らのクライアントは求人情報を掲載している企業側で、エージェント経由で採用が成功した場合、通常、採用した人材の年収の約30%ほどが成果報酬として企業からエージェントに支払われます。

それを考慮すると、市場価値の低い未経験人材をわざわざエージェント経由でコストをかけて企業が採用するメリットは限りなく低いと考えられます。

その結果、私のような人間がエージェントさんから紹介される企業というのはほとんどが、常時人を大量に採用し、コールセンターや家電量販店といったエンジニアとしてのスキルが関係ない案件に配置することで利益を確保している、人を増やせば増やすほど確実に業績を伸ばすことができるようなビジネスモデルを展開する、巨大なアウトソーシング系の会社ばかりになります。

それが一概に悪いことだとは言いませんが、明らかに私の志向とは異なりました。

「未経験歓迎」「充実した研修」の罠

2つ目は、未経験歓迎というワードに縛られすぎた、ということです。

これはあんまりエージェントを利用したことと直接に関係ないな、とも書いていて思うのですが、この時の就職活動が失敗に終わった理由ではあるので書きたいと思います。

未経験歓迎、充実した研修制度、といった文字を見たとき、私は安易に、誰にでもフラットに可能性が開かれているのだ、と感じてしまっていたのですが、寧ろそれは私にとって全く逆の意味なのだという結論に達しました。

実はこの視点に関しては私が思いついたのではなく、同居中の兄に指摘されて初めて気付いたのですが、その視点というのが、企業が未経験人材を受け入れて、しっかりと教育を施そうと思った時、採用する人材に求める資質というのは、それまでの社会人経験で培ってきた責任感であるとか、コミュニケーション能力ではないか、ということです。

当然と言えば当然のことなのですが、それを指摘された際、あまりの納得感に膝を叩いて唸ってしまいました。

つまり、私のようなニートが未経験歓迎のところにノコノコ応募したとしても、それまで社会で真面目に生きてきた他の候補者たちより優位に立てる道理がない、ということです。

書いていて悲しくなりますね。しかし真っ当な人が真っ当に評価されるというのは非常に喜ばしいことなので、私がそのような場所で競争に負けるのは寧ろ歓迎すべきことであると言えなくもないのですが。

ようやく定まった就活の軸

先ほど私は、あたかもエージェントサービスを利用して就活を行った期間が全くの無駄であったかのように語ってしまっていますが、こうしてまとめてみるとこの期間の活動でようやく、企業がどんな理由で募集をかけているのか、どんな人材を求めているのかについて考えを巡らせることができるようになったと言えるので、実際はかなり必要なプロセスだったことが今になって分かります。

先ほど挙げた2つの理由を考慮すると、自然と自分が応募すべき企業の特徴が見えてきました。

まず、そこまで採用コストをかけることができないような小、中規模の会社であること。そして、ある程度の経験を募集要項に掲げているような、純粋な未経験人材には少しハードルの高い企業であることです。

考えてみると、最初に内定を頂いたところの反動で、研修制度が整っている企業を志望していたものの、自分はどちらかというとできる限り不明点も自分で調べて解決したがってしまうタイプで、ゲーム開発に取り組む際も、誰かに教えてもらおうという発想がありませんでした。にもかかわらず研修制度の充実を求めていたなど、どう考えても自己分析不足でした。

そうしてお世話になったエージェントさんにはかなりの申し訳なさが残りながらも、上記で述べたようなことを説明した上で、エージェントサービスを停止させていただき、再び自分で企業探しをする日々が始まりました。

内定が出た

そこからはトントン拍子でした。

結果としては、9件書類を送り、7件通過、その後2件辞退させていただき、5件面接へ進み、3件内定を頂いた、という感じでした。

最終的に自分の得意領域が一番活かせそうな会社さんにお世話になることを決め、現在に至ります。

入社は4月1日なのですが、実は今(3/30)絶賛不安に押しつぶされ中です。

駆け足になってしまって申し訳ないのですが、ここまでも相当長く書いてしまって、恐らくかなり読みにくくなってしまっていると思うので、そろそろ締めに入りたいと思います。

就活を終えて

今回の就職活動を総括すると、たいへん面白かった、ということに尽きます。

6年間に渡ってほぼ人との交流がない状況で、半年以上誰とも会話をしない、外に出ないといったことも珍しくはない日々を過ごしてきたので、非常に刺激的で、かつ、存外人というのは皆優しく、話していて楽しい方ばかりで、早く社会に出てみればよかったと思うことばかりです。まあ、まだそこまでたくさんの方とお話ししたわけではないのですが。

次に、この6年間の引きこもり生活を振り返って得たものを書きたいと思うのですが、これがなかなかまとめるに難しい。

難しいのですが、一番この先も劣化せず心に残っていくだろうということを挙げるとするならば、人生は続くということだと思います。

死にたいと思った時も、もうおしまいだと感じたときも、いつも通り時間は流れて、常に明日が来ました。人生というのは、最悪の時に終わるわけでも、まして最高の時に終わるのでもなく。そういったことを受け入れたときに、なんだか腹がくくれたような気がします。

実はつい先週25歳になり、とうとうニートのまま20代も後半に突入してしまったのかと絶望したところだったのですが、むしろそこは心を入れ替えて、これから無為に過ごした時間を取り戻すくらいに、真面目に研鑽を積んで、人生を謳歌していきたいと思います。まだまだ長そうですからね。

それに、詳細は省きますが、今回職を得るにあたって本当にたくさんの人にお世話になったので、それらの人たちに直接恩返しするというだけでなく、今度は自分が他人の助けになれるような人間になりたいとも思いました。

そのためにも、失ったものに目を向けるばかりでなく、今後何を得るべきか、それをどのように実現するかに集中して、前に進んでいきたいと思います。


最後に

グダグダと長く書いた割には、詰め込みすぎて一つ一つの話題については情報が薄くなってしまいました。機会があれば、また書き直すようなこともあるかもしれません。

ただ、今回こうして一連の流れをまとめた動機は、冒頭でも書いた通り、自分の中で区切りをつけたかった、ということと、同じような境遇の人間に自分の経験を共有したかったということです。

単なる興味でここまで読んでくださった方には、是非、鼻で笑うくらいしてもらえていたら嬉しいのですが、万が一、私の経験に励まされたり、慰められたりする人がいたとしたら、この6年間のこれ以上ない供養になります。

それでは、最後まで私のまとまりのない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。もしまた何か書くことがあれば、よろしくお願いいたします。

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