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15年振りにアレをした日

今日も朝から喉が痛い。頭も痛けりゃ腰も痛い。

扁桃腺は相変わらずの存在感で、唾液を飲むのも嫌になる。鏡の前で口を開ければその原因は明白なわけだが、幾ら何でも長引き過ぎだ。基本的には寝て治すのが信条ではあるものの、これでは治るかどうかも怪しく思える。

何とか子供達だけ保育園へと預けると、私は意を決して耳鼻科に向かった。病院には可能な限り行きたくない。具体的に何か嫌な思い出がある(まぁ並ぶのと注射は嫌だけれども)とか誰か会いたくない人がいるとかではなくて、この世に存在するありとあらゆる病院に行きたくないのだ。だから子供の付き添いも妻に押し付けがちだ。

そんな私が自らの医師意思で耳鼻科へ行く。しかも時刻は午前9時前、診察時間前である。一度帰ったら出られる自信はなかったので、敢えて保育園から直接向かった。それくらい自らを追い込まないと病院には行けない。

薄曇りな空の下、足取り重く辿り着けば、既に行列ができていた。こんな時間の行列と言えばパチンコ屋くらいしか思い浮かばないが、あそこに並ぶ人間たち(過去の自分含め)とは明らかに違う。主に目が違う。

そんな下らないことを考えていたら、やがて診察開始となった。順番に中へ通されることに違和感を覚えるのも、下らないことを考えていたせい(かつて再抽選が当たり前の店で並んでいたせい)だ。

獲得した番号は「7」だった。私のラッキーナンバーは8(自称)なのだが、だからと言って譲る気はない。そんなことが許されてもいない。

だがここまできてしまったら意外と落ち着いたもので、この先に大きな不安があるわけではない。検査といっても舌を押しのけられたり鼻の奥に細い綿棒を挿される程度のものであり、ただこの苦痛な待ち時間だけを黙って過ごせば終わるのだ。病院に行くこと自体は嫌だけれども、来てしまえばナンてことはないのだ。

…と軽く考えていたのをすぐに後悔することになる。

ほどなくして診察室へ通され、念のためコロナの検査と、思い描いていた通りの検査が完了した。すると先生から、思いもよらぬ提案が飛び出した。

「点滴と採血しましょう」

我が耳を疑った。「わがみみをうたがった」と打って「我が身身を疑った」と変換されるソフトにも疑いの目を向けてしまうが、そんなことはどうでも良い。「点滴」と「採血」。どちらも注射ではないか。私の天敵ではないか!

いつも我が子達が世話になっている美人(推定)な先生を驚愕の眼差しで見据えながら、念のため聴き間違えでないことを確認する。が、残念ながら私の耳は正常だった。

思わず泳ぐ目、たまらず滲み出る汗、自然と力の入る拳…。どれも現状を切り抜けるのに役立つものではない。しかし私は必死の抵抗を試みた。ここで見栄を張っても仕方がない。素直に打ち明けて同情を誘おうではないか。

「実は注射が非常に怖くてですね…」と切り出す私に、マスクと帽子の間から優しい笑みを向ける先生。その先生は、「特に男性にはそういう方も多いんですよね」と話し始めた。その導入は何度も耳にしたことがある。そして先生は「今の状態を見る限りは、血液検査で原因をしっかり特定して、早く治してしまわないと大変そうなんですよ」と続けた。

どうも状態は思ったよりも悪いらしい。それもそうだろう。これまで幾度となく扁桃腺を腫らしてきた私だが、ここまで長引くことはそうそうない。だからこそ「またいつものやつだろう」と高を括っていたし、最終手段として「塩うがい」というカードを持っているつもりでいた。しかしそんな段階ではないのだ。

それでも採血だけは避けたい。というか点滴もしたことがないので、針が刺さり続ける不快感に耐えられる自信もない。かといってこのまま気長に快復を待つのも不安だ。…一体どうすれば!

逡巡している私に向けて「取り敢えず内服で様子を見るということもできますが、今日ならベッドも空いていますし、早い方が良いと思いますよ」と先生は優しく退路を断った――


私はまな板の上の鯛だった。

小さなベッドに横たわり、力なく右腕を差し出している。最後に採血をしたのは15年前の健康診断だった。採血中、急激に気分が悪くなり、震えながらベッドに伏したのだった。それからというもの、注射という注射を避け、唯一針を通したのは口の中。歯の治療をする際の、麻酔くらいなものだった。採血はパンドラの箱だった。

しかしその箱は、何となくベテランっぽい風貌のオバチャンによって開かれようとしている。最早言葉のキャッチボールさえままならない私の腕をサっと縛り、アルコールを塗布し、目標地点へと照準を定めている。無論その様子を私は視界の端にも捉えていない。既に右腕は無いものとして考えており、左側に広がるオフホワイトの壁を薄目で見つめていた。

オバチャンが優しく話し掛けてくれているのは認識していたし、凄く気を遣ってくれているのに申し訳ないなという気持ちが無かったわけではない。しかしとにかく余裕がないのだ。今は全神経を可能な限り鈍らせて、あらゆる感覚を曇らせなくてはならない。

「はいチョットだけ痛いよ」

の言葉に続く小さな針の一刺しで私のダムは決壊した。気分が悪い…。

既にオフホワイトを見つめることすらできなくなり、私の相貌はきつく閉じられている。額には汗が浮かび、奥歯は磨り減らんばかりだ。いつになったら終わるんだ…!永劫とも思える苦痛の時間を耐え忍び、「はいお疲れ様!」の声で私の緊張は解けた。

そんな私の様子を察し、オバチャンは手早く片づけを済ませ、その場を後にした。余計なことを言わずに姿を消す。やはりこのオバチャンはタダモノではない。パンドラの箱を開くのは、このオバチャンで正解だった。選ばれし勇者だった。サンキュー名も知らぬオバチャン…いや、お姉様。


暫くその場で横になり、右腕の感覚が徐々に戻る。起き上がる気にはなれなかったが、横になっていても吐き気で空咳が止まらなかったので身を起こして膝を抱えた。親不知を抜いた時のように、意識が遠のき身体が震えるということにはならなかった。オバ…お姉様の「アラもう起きて大丈夫?」という優しい一言に「ええ、ありがとうございました」と辛うじて絞り出し、私は会計を待った。

雲が去って明るく鋭い日差しが降り注ぐ中、私は大量の薬を持って歩いていた。例の先生(お姉様ではない)の「点滴はやめておきましょうか」という甘い囁きに乗った代償がこの薬の束なのだろう。全て飲み切る自信は毛ほども無いが、頑張って減らそうではないか。

血を失ったことでスタンドディスクを抜かれた承太郎みたいな目をした私は、よろよろと帰宅した。

ひとまず薬の仕分けを済ませたところで時計に目をやると、11時半になろうかというところだった。扁桃腺が腫れてから食欲不振気味ではあったが、今回ばかりは空腹である。

そういえば近所に、気にはなるけど行ったことのない街中華があった筈だ。すこし歩いて目標の店に辿り着き、歴史を感じさせる「THE・街中華」の佇まいに安心を覚える。まだ客の姿は見えないが、時間が早いせいだろう。

直立不動で調理場に立つ大将に会釈をしながら店に入り、数々の料理が並ぶメニューを眺める。こういう時には一番スタンダードな料理を選ぶか、それとも「今食べたい!」の欲求に従うか悩むところだ。しかし今日は既に大きな試練を耐え抜いたのだ。私は後者を選ぶことにし、「カレーラーメン」を発注し再びメニューとの睨めっこを開始した。

扁桃腺のせいもあって声を張れない私と、恐らく結構耳の遠い大将との連携は決して良好とは言えなかったが、無事に注文は通っており、スイッチが入ったかのように手際よく中華鍋を降る大将の姿は実に頼もしかった。

ややあって運ばれてきたカレーラーメンは、想像していた姿と少し違った。

カレーラーメン(790円)+大盛(140円)

まず目を引くのは「もやし」の存在だ。これまでカレーともやしの相性など考えたことも無かったが、食感のアクセントとしては有効そうな、カレーラーメンならではの具材と言えるのではないだろうか。

ラーメンにカレーを掛けただけという投げやりな物件でなかった点は嬉しかったが、しかし私には塩辛すぎた。ラーメンとカレーの塩気がダイレクトにプラスされた印象であり、味付けがどうこうという雰囲気ではなかった。

それでも不味いわけではなかったので、きっとスタンダードな醤油ラーメンは美味しいのだろう。次回はきっとラーメンを頼もう。そう決意して、私のパンドラを巡る旅は終わった。

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