見出し画像

映画感想文│『エリジウム』外連味充分なSFアクション

公開を心待ちにしつつも、どうも都合がつかずに劇場での鑑賞ができなかった映画「エリジウム(ELYSIUM)」。

NETFLIXにて公開されているお陰で、本日初めて観ることができた。2013年の公開から実に8年が経過してしまった。

私は充分に楽しむことができたので、気になった点や心に残った点を中心に感想を書き残しておきたい。ふんわりとネタバレが頻発するので、未見の方はご注意されたし。

どんな映画か

2154年、世界は完全に二分化されていた。ひと握りの富裕層が上空に浮かぶスペースコロニー「エリジウム」で極上の人生を謳歌する一方、人類の大多数は荒廃しきった地球で貧しい生活を強いられていた。スラムに暮らすマックス(マット・デイモン)は、ある日不慮の事故に遭い余命5日と宣告されてしまう。生き残るには医療ポッドのあるエリジウムに進入するしかない。レジスタンス軍に参加し、決死の覚悟でエリジウムへ挑む彼の前に、冷酷非情な女防衛長官デラコート(ジョディ・フォスター)が立ちはだかる…!

※公式サイトより抜粋

設定やストーリーを読んだ私は、「トータル・リコール」や「リベリオン」、「アイランド」といった作品群を思い浮かべていたが、「第9地区」と同じ監督(ニール・ブロムカンプ)ということで大いに納得した。「第9地区」のことはほとんど覚えていないものの、確か同じような話だったような気がする。ただし今回は地球丸ごと貧困街ということでスケールが随分と広がっている。

但しそのスケール感は、序盤以降は全く出てこなくなった高層ビル群や、地球からエリジウムまでを20分程度で飛んでいく小型のシャトル、どんな病気や怪我でも数十秒から数分程度で治療してしまうカプセルなどによってかき消されてしまっているのが少し残念なところであった。特にシャトルは軽々と地球の引力を振り切り、搭乗員は普段着のままでも行き来できるという性能で、妙に泥臭くリアリティのある外観とのギャップが激し過ぎて少しポカンとしてしまう。

しかしそんな高性能シャトルは物語の序盤、宇宙空間を航行中であったにも関わらず、地球上にいるオジサンが担いだ手持ちの兵器から射出されるミサイルで撃墜されてしまう。このあたりで、「なるほど、細かいことを考えてたら楽しめないタイプの映画だ」と気付かされる。

アクションシーン

それだけに登場する兵器やメカのビジュアルは見栄えのする物が多く、極端な派手さこそ無いものの、観ていてワクワクするガジェットが盛りだくさんだ。私が特に気に入ったのは各種ライフルでの射撃シーンで、射出される弾丸の強力さがわかりやすく、そしてカッコ良く描かれていた。強そうにノシノシ歩くドロイドをバラバラにするシーンなど圧巻だ。

そしてそれを防ぎきるビームシールドや、円盤状の無人偵察機などなど、ガンダムが好きな男の子ならばズキュンと来る兵器が揃っている。

それだけに主人公とそのライバル格が装着する強化外骨格については少し残念で、スピードが速くなったようなエフェクトや演出がある割には普通の人間と同じように動き回っていたり、あっさりと生体部分を刺されてしまったり、謎のカタナでペリペリ剥がされてしまったりと、強さが描き切れていない感じがした。

それにしてもクルーガーおじさんのカタナへの執着は素晴らしかった。どれだけ打ち付けても刃こぼれひとつしない超性能のカタナなので執着する気持ちはわからんでもないが、それにしては呆気なく退場していってしまった。あのまま使わせていたら結末が変わってしまったのかも知れない。

そう言えば本作のアクションは意外と血生臭いものであり、例えばスターウォーズやマーベルシリーズのような感じの誰でも安心して観られるタイプの映画ではない。しかしそれらはぶっ飛んだ設定に少なからず説得力を持たせるための要素としてキッチリ生かされていた(手榴弾で吹き飛ぶ顔など)ので、不思議と好感が持てる作りになっているように感じた。

キャラクター

まず主人公マックス(マット・デイモン)の耐久力に面食らう。常人ならばとっくに息絶えているであろう程、心身ともにボコボコにされるマックスには最初から最後まで息つく暇さえ与えられなかった。ヒロインのフレイ以上に「複雑な人生」だったのではないだろうか。

赤くてテッカテカのフェラーリみたいなシャトルに乗るカーライル(ウィリアム・フィクトナー)は、リベリオンの時のように癖のあるキャラクターで、キッチリと観客をイライラさせていたのではないだろうか。ともにクーデターを画策していたデラコート(ジョディ・フォスター)も同様だが、思ったよりもアッサリと退場してしまったのが少し残念だ。どんな役者やキャラクターであれ、進行上必要無くなれば容赦なく切り捨てるという固い意志を感じたし、その潔さは観ていて気持ち良いくらいだった。

現政権を握るパテル(ファラン・タヒール)は死にこそしなかったものの、思ったよりも存在感が希薄であり、「アイアンマン」に登場した時のことを思い出して少し可哀想になってしまった。

ヒロインの娘は居なくてもストーリー的に問題なかった気がするし、反乱軍のリーダーであるスパイダーは最後までよくわからない奴だった。当然それぞれにきちんと役割があったものの、あまり生きたキャラクターには感じられなかった。

とにかくマックスとクルーガーの耐久力が凄まじく、結局のところこの2人の映画だったような気がする。だから悪いというわけではないのだけれど、これだけの設定のSFなのに火薬と筋肉がモノを言うのは少し肩透かしだったかも知れない。

そう言えばマックスの外骨格は確か第3世代とか言われていた気がする。となれば後に敵が最新型で襲い掛かって来て、性能の差を見せつけられてしまう…ようなことは一切無かった。伏線だと思ったら何でもなかった。こういうことが当たり前の映画である(悪口ではない)。

治療ポッド

シャトルに匹敵するトンデモマシンである治療ポッド。見た目は恐らく耳にした人が想像する通りの物で特に個性的なものではないのだが、その性能がとんでもない。骨折は当然のこと、手榴弾で吹き飛んだ顔面だろうと白血病だろうと数十秒もあれば完治してしまう。

そんなテクノロジーがあれば人口は増える一方だろうし、だからこそ地上には残さずエリジウムの住民だけが使えるようになったのだろうが、だとしたらあのラストはハッピーエンドなのだろうか…。と思わせるような意外と深みのある存在だとも考えられる。

ただ序盤に使った女性が姿かたちを変えて出てくるシーンがあったような気がするのだが、そのあたりの設定が活かされることは無かった。重ねて言うが、こういうことが当たり前の映画である(悪口ではない)。

メカ

概ね男の子たちが好きなポイントを押さえている。巨大ロボットや変形ロボットこそ出てこないが、シャトルのギミックや銃器系のデザイン、各種扉の重厚感やエリジウムの景色なども、その作り込みによって退屈することは無かった。地上とエリジウムの対比も良かったと思うし、CGやモーションキャプチャーも不自然に感じる程のものではなく、どれも効果的に使われていたように思う。

戦闘シーン以外も基本的にテンポの良い本作だが、戦闘シーンでもきちんとメリハリが利いていて実に観やすい印象だ。但し最終決戦だけは何をしているのか良くわからない場面が幾つかあり、やはりこの手の戦闘は肉弾戦よりバキュンバキュンが欲しかった。

この辺はきっと好みが分かれるところだろう。

おわりに

色々と思うところはあったものの、退屈することは無かったし素直に面白い映画だったと言える。モヤモヤするシーンが幾つか頭の中に残って消えないが、それもまた味と言えるのかも知れない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?