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『あなたの事が気になっています。』第3回「タックルおじさん」

 10年くらい前、話題の「タックルおじさん」にタックルされた事があります。あ、こんにちは。お昼の春菊です。よろしくお願いします。

「タックルおじさん」の正確な定義はよく分からないんですが、”人混みで主に女性を狙って何故かタックルする迷惑な人”みたいな事でいいんでしょうか?「タックルおじさんについて私もよく知らないぞ?」という方は自己防衛にも繋がる事なので各々調べてみたりするのが良いかと。

「タックルおじさん」という呼称もタックルするおじさんが増え、被害に遭う方が増えたから付いたんだと思いますが、私がタックルおじさんに遭遇したのはそう呼ばれるようになるよりもずっと前、その概念もない頃で、ただの意味のわからない出来事としての記憶しかなく、意味が解らな過ぎてさっきまで忘れていました。でも1度思い出すと割とはっきり覚えているもので、この際、思い出せる限り仔細に書いてみます。


タックルおじさんとの遭遇

場所は確か平日の21時台のJR新宿駅地下乗り換えコンコース、当時は(今も?)ずっと何かの工事中で、乗り入れ路線も多い上に道も狭く入り組んでいて、人の波の流れに秩序もなく、常識人なら誰もが「ここに柱があったら歩くのに邪魔」と考えそうな場所にワザとみたいに柱が何本も立っていて見通しも悪い上、

そもそも乗り換え自体の難易度も高く、慣れてない人が案内表示板を見上げて急に立ち止まったり口を開けてキョロキョロウロウロ迷ったり、夜は酔客グループがたむろし「魚民あんのそっちじゃなくてあっちじゃね?」と急にあらぬ方向に突き出した指が危なかったり、まあ今も治安悪いですけどもっと治安が悪かった当時の夜の新宿駅地下での出来事です。


私は毎日のように新宿駅を使っていたので迷うこともなく、多分スっスっと歩いてたと思います。地下の乗り換え口へと向かう途中、駅構内の柱を通り過ぎた時に突然、斜め後ろから肩に強い衝撃を受けてその場に転びました。手に持っていた携帯(当時のガラケー)が、くの字に開いたままクルクル回って転がっていくのを自分も転がりながら見た光景をなぜかよく覚えています。

新宿の汚ない床にディープキスしながらその瞬間思ったのは「しまった。よそ見しててぶつかってしまった。」で、反射的に顔を上げて、すいませんの「す…」を言おうとした位で、背中越しに「邪魔だよ!」と怒鳴り声で言われ、雰囲気恐らく中年男性のその相手はこちらをチラリとも見ず、そのまま立ち止まる気配もなく、足早に人混みに紛れて消えて行ってしまいました。

床に張り付いた黒いガムで回転が止まった携帯電話を拾い上げながら、一瞬、状況が分からずその場に呆然としてしまったのを覚えています。

「今のは一体なんだったのか?」混乱していたながら振り返った状況として、周囲は人が多方向から入れ違う合流地点で混雑している場所では確かにある。ちょうど柱の影で向こうからはこちらが見えなかったか?こちらの不注意だったか?やはり相手が見えていなかった自分の過失なんだろう思いました。でもまあ、謝意こそ伝えていないけれど、幸い転んだのはこちらだけだったし、もう気にしなくていっか、と自分なりに結論付けて歩き出そうとしたその瞬間、不意に胸にザラついた違和感が広がりました。


『いや、これは故意だ』。直感で思いました。まず受けた衝撃からして、かなり体重を乗せて「なんか勢いつけてない?」という不穏さを本能的に感じた事。出会い頭でぶつかってこんな綺麗に肩から肩に力が当たる事ってあるか?そもそも避けようのない後ろから追突されてるし、下からカチ上げる感じで当たられているよな?相手が”腰を落として当たってきてる”感。これは悪意だ。そう思いました。直感だけど多分そう。いや、絶対そう。これは喧嘩に生きる男の勘(嘘盛)。『グラップラー刃牙』を愛読してる男の勘。

それでも一旦「いやいや、向こうは急いでて走ってたからじゃないか?」と極力穏便に再推考もしてみました。だけど朝の通勤時でもあるまいし、急ぐような時間でもないし。これから夜勤で急いでた人なのか?いや、だとしてこの後の長い勤務前に人にタックルするほどそんなハイテンションなんだろうか?喧嘩や揉め事になるかもしれなかったのに。これから出勤なら極力エネルギーはセーブしないか?なんとなくというかあれは絶対故意の匂いのする当たられ方だった。勘。男の勘。

はて、じゃあ故意という前提として、あれは一体、何者だったんだろうか?まず最初にというか唯一の可能性「自分に恨みを持つ人間の仕業か?」と一応、その時は真剣に考えました。

ただ、ナイフで急に刺されるほどの恨みとか「俺を覚えてねえか?あの時のこと…許さねえ!」と倒れてるこちらにトドメの1撃浴びせてくる程の恨みを買われてるなら大体、自覚は出来ています。「タックルする事で全ての溜飲が下がる、丁度の恨み」ってどういう程度の恨みなのだろうか。「転ばせる」「よし!」「立ち去る」ってなんなんだろうか。

いや、理由は一旦いい。まず恨みがあったとして、なぜ相手の肩に自分の肩を当てるという攻撃方法なんだろうか?あのジャミラみたいな攻撃。肩の固さに特別に自信があるとかなのか?謎だ。そんで見事、不意をついたんだからもう1撃、俺にお見舞いできただろう?いけただろう?なんでだよ。

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※長くなってしまったので小休止の落書き。棲星怪獣ジャミラ。
※ダラダラ長い記事も折り返し地点まで読みましたね!あと半分、頑張って!

まあ戯言はさておき。恨みというのは「やった方は自覚ないけどやられた方は忘れない」場合が往々にしてあるので、やはり自分に何か原因があるのか?と、まだこの辺でも本気で恨み説を前提に思考を右往左往させながら、ようやく心臓のドキドキも収まり、膝をパンパンしながら立ち上がりました。ただ時間が経って冷静さは戻ったものの、やはり今遭った出来事をどう捉えていいのか最後まで分からず混乱したままでした。

そして、月日が経って今、世の出来事としてのタックル被害のニュースを見聞きし、「あ、もしかして、あの時のあれって…」と点と点が繋がった気がして、忘れていた記憶が鮮明に蘇りました。


かなり前の出来事なので今でこそ、こうして少々調子コイて書いていますが、当時実際、被害に遭った日の夜はかなりイライラしましたし、それ以上に困惑とやるせない悲しみのような、なんだか只々落ち込んでしまったのを覚えています。その日あった嬉しい事や、歩きながら考えてた明日の楽しい事も全部、新宿の地下に転んで落としてしまったような。暗闇に絡め取られた様にとにかく気持ちが落ちました。その夜は何も手につかず、次の日まで。

頭の中で何度も「自分がやはり注意不足だったのか?いやいや、あれはどうやっても避けられなかったよな…というか、やっぱりあれはワザとだよなあ。そういえばなんか怒鳴るまでの”間”も早かったし。最初から当たるつもりで当たって相手を怒鳴る前提じゃないと普通あんな瞬発的に怒鳴れないだろうよ。足早に立ち去ったのも反撃されないようにだろう?ああ、イライラ。いや、ていうか何であのおじさんの事で一日中、頭一杯胸一杯なんだよ。イライラすんな!もういいや、忘れよう。忘れよう!…でもな〜やっぱりあれ、ワザとだよな〜」。そんな風に一晩中、発作みたいにイライラの繰り返し。

これ、喧嘩が弱くこそあるものの運動盛りの男性の私でこうなのだから、昨今の女性がこれを受けてると思うと、その受ける精神被害は想像したくないものがあります。楽観的に「ぶつかられただけじゃん」と本人だって思おうとはするものの、やっぱりもうその日は何も出来なくなるぐらい恐怖で凹んでしまいます。身体の痛みよりも心。理由のない悪意に晒されるのは言いようもなく辛いものです。

……いや、もしかしてあるのだろうか?理由。「タックルおじさん」側がタックルをする何か正当な理由。あるのだとしたらそれは何なのか?今回、こうして書くにあたり、私はついでにタックルおじさん側の気持ちを想像してみる事にしました。


感情の推測

何がどうなると人は人に無作為にタックルしたくなるのでしょう?例えば「イライラすることがあったから」とかは言い訳としてはわかります。が、その発散方法として「夜の新宿でタックル」ってなんなのか。ヤングシナリオ大賞の佳作で落ちるタイトルみたい。夜の新宿でタックル。なかなか自分に置き換えて見るのが難しい相手です。

否、これは自分の発想力が不足してるのかもしれないと考えました。例えば前提として喜怒哀楽の「怒」、怒りの感情がタックルへ向かわせた理由ではないのかも?と常識に捉われない”人がタックルをするシチュエーション”をいくつか考えてみました。【喜】【哀】【楽】のタックル、参考までにご覧ください。


・喜タックル
『今日は喜ばしいことがあった。部長に昇進が決まった。家族にそれをメールしたら今夜はお祝いをしてくれるという。寄り道をする時間はないから、帰る前に一旦、動線状にいるあいつにタックルをかまして、お土産のお寿司(松)を買って帰るか♪』

・哀タックル
『楽しみにしてた半沢、観逃した。悲しい。あいつにタックルしよう。』

・楽タックル
『あ、あいつの肩の上にティンカーベルがいる!いいなー。俺の肩にも乗り移らないかなー、えいっ!』



どれも国語のテスト問題で「Q.文中に正しく【タックル】を入れて文章を作りなさい」だったらバツの構文。ですが、強いてこの中で1番正解に近いのは「哀」なんじゃなかろうかという感じがします。

「あのタックルおじさんは哀しいからタックルしている。」そう思うと初めて少し理解が出来てくる様な気がしてきました。では引き続き飛躍して、おじさんを【タックル=哀しみの表現】として用いている歪んだ生物と考えてみます。


推測からのさらに推測

古来、『ウルトラマン』に登場する宇宙怪獣は、環境破壊など人間の身勝手さや愚かさ、悪意によって誕生していました。あのタックルおじさんの発した「邪魔だよ」はこちらの聞き間違いで、もしかして『ジャバダボ』、ジャミラ言語で「助けて」だったのかもしれない。悲鳴だったのかもしれない。

『鬼滅の刃』でも鬼は人間が鬼に噛まれて鬼になり、自分が鬼である事に気づかないままに人間を襲うことをやめられなくなっている者もいると描いてありました。鬼に意思や理由はありません。

考えてみれば、何十年も昔から新宿は混んでたし、今よりおじさんも多くいた。なのにタックルおじさんは存在していなかった。何がどう、昔と今で違うのか?何がおじさんをタックル(=鬼化)に向かわせたのか?それはおじさん(鬼)の生態系の変化、生存環境が悪化しているというの事の現れなのかもしれない。行き場を追われ傷ついてる(鬼)が増えたのかもしれない。

想像を膨らまします。勤め先の会社では「おいおい、パソコンも触れねえってなんだよ」と年下の上司に追い詰められ、家族には邪険にされ居場所はなく、夜遊び自体も不景気なご時世的に難しくなった。タフそうに見えるし、顔無表情だし、基本的に威張ってて嫌な奴だから全員に相手にされない内に気がつけば1人、どこにも居場所を失い、生きる場所を探して新宿の地下に現れてしまっているのかもしれない。全員が敵に見え、襲っているのかもしれない。そう考えるとどうでしょうか?

もちろんだからと言って同情されるべきとは全く思いません。悪いのはやっぱり鬼。それは間違いない事です。だけれども鬼の成り立ちに思いを馳せる人間も1人くらいはいてもいいのかも、とは思ったり。竈門炭治郎の心です。


みなさんに伝えたい事

とはいえです。結局の結局、鬼化して今現在、増加中の迷惑タックルおじさんにはどう対処したらいいのでしょうか。私なりに辿り着いた真理をお伝えして記事を終わろうと思います。

経験者としての結論。シンプルに見つけたらやっぱなんども首を切り落とし、完全に消滅するまで1匹残らず全員で殺し続けるのがいいと私は思います。

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※この文章は2010年3月号〜11月号に掲載用に
自主的に書いたものに大幅に加筆修正したものです。

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