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自然と本

昔から私の中に、すでにあったものを、そのままで大丈夫だよ、って
言ってもらえたような感覚。

今日初めて、自分に、
そのままでいいんだよ、って
言ってあげられた気がする。

そう、小さい頃から、私はそんな感じだった。

ちょっと変わった子。

みんなと一緒、同じであることが、良いとされるところで、
自分は、周りのこどもたちと違うらしい、という感覚は、
幼い私にとって、あまり気持ちの良いものではなかった。

今であれば、それがアイデンティティと、
わかるのだけれど。

私はおとなしかったので、大人には手のかからない、
良いこどもだったらしい。
でも学校で、同年代の子どもに溶け込むのは、
難しかった。

好きな遊び、テレビ番組やアイドル、そういうのに、女の子はとても敏感。 
興味を持っていない、ということがすぐにばれてしまう。

Arthur Rackham


当時、私の実家周辺には、畑や半分野山状態の土地がまだあり、学校が終わると、兄弟や近所の子たちと、そこらを探検したり、植物や虫を観察したり果物を集めたり、主に外遊びをしていた。

テレビも男子向けの子供番組を、私は楽しく見ていたので、学校に行くと、クラスの女の子たちと話が合わず、逆に世話焼きの女子たちに、そのころ流行っていたアイドルとかを「知らないとだめよ、教えてあげるよ」と親切に説明された。気が利かない私は、よくわからない顔をしてしまい、当惑されたことを覚えている。

今考えると、私と似た趣味?の女の子も、
確率的に同じクラスに、いたはずなのに、
どうして知り合えなかったのかな?と不思議に思う。

長めの休息時間は、図書館に行って本を読んで過ごした。
本が大好きだったので、図書館は宝の山だった。
就業時間前のベルが鳴ると、後ろ髪を引かれながらクラスに戻った。

そんなわけで、幼い私は、人といると、
あまり居心地が良くない、と学習してしまった。
退屈だったけれど、興味ないというと、
相手を怒らせたり、気を悪くしてしまうので、
おとなしくしていた、ということもあるけれど。

たぶん、相手を偽っているような、
申し訳ない気がしていた。
それと、本当の自分を、理解されていないという、
さびしい気持ちも。

大勢の人に囲まれていても、独りぼっちの感覚。

大人になっても、それはずっと残っていたけれど、
今日それが、部分的にだけど、
どこから来ているのか、
遅ればせながら、
わかったような気がする。

photo by Gruu


きっと私は、自然や本と、お友達になれていたのだ、と思う。

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