Rewrite お釈迦様誕生日
2024年5月15日は旧暦の4月8日です。
今これを書いている今日がその日に当たります。
私の最年長のお友達くららさんは、実は今日が誕生日、94歳になります。
昨日の夕方兄と一緒に、くららさんの大好きな和菓子をお誕生日のお祝いにお届けしました。
くららさんは足の状態も悪く本当なら立ち話など苦痛だと思われますが、おそらく二時間近く立ったまま、私たちと大盛り上がりであらゆる分野のおしゃべりに興じました。
家の入り口に咲く50歳の薔薇の木の傍で、心地よい風に当たりながら、空を見上げたり、とても気持ちが良い時を一緒に過ごしました。
くららさんは今までにないくらい幸せそうでした。
和菓子を手にして子供のように小さくはしゃぎ、うれしそうで、楽しそう。
あのままいつまでも、話し足りないくらいに、私たちに寄り添っているようなくららさんでした。
兄曰く、「あれが、俺たちの母の姿だったんだよ」。
そして、今日、私と兄の偉大な母が、帰るべきところへ帰って行きました。
いつも私と母を気にかけてくれていたくららさんの誕生日に、母は帰って行ったんです、、、私にはそれがうれしいのです。
そして、中国から大切な友人が教えてくれました。
今日は釈迦の誕生日だと。
中国の全ての仏教寺院で行事が行われているそうです。
そんな日に母はとてもとても安らかに、苦しみのない、ゆっくりと静かに、穏やかなその時を迎えたそうです。
母に囁きました、「今日を誕生日にしようね」と。
ただ悲しい日になると思っていた日が、とても良い日に。
これは、母が全力で生きた頂点で受けた祝福です。
しばらく私の涙は止まらないでしょう。
水風船にちょっと針が刺さるだけでも流れ出してしまいそうな脆さです。
こんな経験は二度とないのですから。
一生に一度限り。
父はもういませんが、赤ん坊のように眠る母を、兄と二人で愛しむことができて光栄です。
後日。
最も最後の別れ際に母にかけた四つの言葉。
充分だね。
満足だね。
さようなら。
ありがとう。
この時まで一度も、さようならを言えなかった私でした。
やっと言えたひとことに母も、うなづいてくれたのかもしれません。
あの日、見上げた空の一羽の鳥は間違いなく母でした。
豊かな木々、雨音、鶯の鳴き声の中に一瞬だけ鳴いた時鳥、そして飛翔。
やっと肉体から自由になった母をもう引き止めたりしません。
もう少し私の心が落ち着いた頃、母を呼びます。
母としてではなく、美しい友人として、きっと応えてくれるでしょう。
その時は薔薇の木かもしれません。
もっと違った印で現れるのかもしれません。
どんな現象であっても必ず私にわかるように示されるはずです。
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