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軒先の低い草の先に止まった蝶と、野良犬の神様。版画家 清宮質文。

冬のある夜、ベランダに佇んでいるとヒラヒラと何かがこちらに近づいてきて、鉢植えの花の落ちた枝の先に止まった。

「私はある作家の絵に閉じ込められた蝶です」
夜だというのに、明かりもないベランダにやって来た蝶は確かにそう言った。

「でも、ありがたい事に、その絵に閉じ込められたおかげで、今でもこんな風にあちらとこちらを自由に行き来できるみたいです」と。

驚いて見ていると、その蝶は私にこう聞いてきた。
「あなたさえ良ければ、私の作家の話を聞いてほしいのですが。私がその作家と過ごした時間のお話を」

そうことわると、静かに、そして少しだけ嬉しそうに蝶は話し始めた。

私の頭の底の底の空間を冷たい悲しみが静かに吹き廻る
この哀しみは一体どこから来るのだろうか?
金がないからか? しかし・・・・
恋人がいないからか? しかし・・・
絵が上手くできないからか? 
そうだ!それなのだ!
それがなかったら私の存在価値も希望もない
メソメソ、クヨクヨはしないことにしても頭が空っぽの時はどうしようもない。

清宮質文 雑記帳 1955.1.22.


私の作家は作品を作っている以外の時間、雑記帳を開いてはそんな風に自分の思いを書き連ねていました。

版画やガラス絵なんかも描く作家で、版画と言っても色々ありまして、リトグラフや銅版画やモノタイプ、アクアチントや木版画。
そうそう、浮世絵なんかは木版画です。
あーこれは失礼。ご存じですよね。
ちなみに、私が閉じ込められている作品は彼の手による木版画です。

私の作家は、作品のアイデアを”オバケ”と呼んでいました。それは人間の奥深くに巣食っているエタイの知れない物で、それを引きずり出そうとしているのが絵描きなんだと。

そんなことを色々と考えるタチでしたが、蝶の私から見てもなんだか屈託がなく、子供のように見える所もある人でした。
それでも世間的には大人ですから、生活というものをしなければなりません。
ある日、こんな風に書いているのを彼の背中越しに見ていました。

霞を食っては生きられない
絵描きになろうと思ったら、霞を食う心掛けが肝心だ。「霞を食う」やはり”中国”愉快な表現だ。絵描きは仙人の修行と同じこと。常人には何を食って生きているのかと思われるような生活にならざるを得ない。修行とは本来そうしたものだろう。しかし、常人には間違っても霞を食わないようではダメだと言ってはならない。生真面目な彼らから、どんな風に霞を食べるのだろうとジロジロ見られては動きが取れなくなってしまうからだ。

清宮質文 雑記帳 1974.

私の作家は少し楽しげに書こうと努力していたようですが、本当に苦しい生活をしていました。私が初めに覗いた雑記帳から20年近く経っているのに”霞を食う”という言葉を使って書いているくらいですから。

おまけに税務署という所のお役人が来て「この家には差し押さえるものが何もない」と言って弱った挙句「人間、悪い時ばかりじゃありませんよ」と慰めて帰って行ったこともありました。税務署のお役人がですよ?

そんなある日、大学の先生をしている後輩の作家が訪ねてきました。

その、大学の先生をしている後輩の作家は、私の作家とも親しかった駒井哲郎という版画家が亡くなったので、その後任に大学の先生をしてはどうかと尋ねに来たのでした。

私は蝶でしかない身分ですが、私の作家が大好きでしたし、生活が楽ではないのを知っていましたから、これはいいお話だと喜んだものでした。

なのに、私の作家はその大学の先生にボソボソとこう尋ね返したのです。

「どうして教師をしているのですか?」と。

大学の先生はそう聞かれて困ったように黙って俯いてしまいました。
そしてまた、私の作家はボソボソとこう続けるのです。
「この先、2人ともいつまで生きていられるかわかりませんが、普通に仕事ができる体力は、わずかしか残されていないはずだから、お互い大事にこれからを生きていかなくては」と。

「あなたが教師をしてそれに時間を割いているのは、いかにも残念でならない。考えてみていただけないでしょうか」と。

訪ねてきた大学の先生をしている後輩は、学校の先生にならないかと言われた時、夢みたいな話だと思ったそうです。
かなりの時間と労力を使う事になっても、絵描きで食いつなごうとあくせくしなくてもいいし、給料がもらえて世間を渡るパスを手に入れたようなものだと。
だから、私の作家にも良い話のはずだと思ってやって来てくれたのです。
なのに私の作家は、逆に、君が作品を作る時間を教師に割くのが残念だ。考えてみてはくれないかと言ったのでした。

その時、私の作家の奥さんもそこにいました。
ふと助けを求めるように、後輩の先生が奥さんに目を移しましたが、奥さんは何も言わず、ただそっと座っているだけでした。

私が蝶でなければ、少しでも楽な生活を送る術を得て、その上で作品を作ったらどう?と言いたかった。私の作家のためにも、何も言わない奥さんのためにも。
でも、そんな事を言ったところでどうにもならない事も本当はわかっていました。
私の作家は人間の奥底に巣食うエタイのしれない”オバケ”を引きずり出す事が、本当に本当の生き甲斐なのですから。

そこまで一気に話すと、その蝶は、まるで止めていた時間をそうする事で戻すかのように、ゆっくりと羽を動かした。

私はその作家を知っている。
作品も大好きだ。
作品の裏側にそんな事があって、生活という逃れられない重石を背負いながらも、あんな作品を作り続けたのかと思いながら蝶を見つめていた。

そんな私をみて、戸惑った空気をはらうようにもう一度羽を動かすと、蝶はこんな風に話を続けた。

でも、私の作家が残した作品が、そんな人生を憂いているだけの暗い作品ばかりでない事をあなたもご存知でしょう?
黒い色が暗い色という訳ではない事もご存知のはずだ。

特に私の作家の黒や青は、彼の手と木の温もりを介して紙に刷り取られていくうちに、優しく、暖かな空気を纏っていくのですから。

彼の心の奥底にあるエタイの知れない”オバケ”を引きずり出そうとすれば、どうしたって、彼の作品に対する計り知れない情熱を伴うのですから、暗いだけの作品になるはずなんかありません。

私が閉じ込められた絵などは、ブルーの分量がほとんどなのに、月が出ていないのに明るい夜のような夢か現かはっきりしない場所のようで、それでいてずっとそこに佇んでいたくなるような、気持ちの良い空気さえ感じるでしょう?
私もそこにいるのが、本当に好きなのです。

絵描きがどうあるべきかとか、どう作品に向き合うべきかなんて私にはわかりません。
私は私の作家の事しか知りませんから。
時代も次々に流れて、形も変わっていくのでしょう。

時折、ふらっとギャラリーに紛れ込んで、昨今の作家の絵を見ることもあるんですよ。
まあ、私はただの蝶ですから、いい悪い、好き嫌いは言わない事にしましょう。
ただ、私の作家みたいな生き方で作品に向き合った人もいたんですよって、たまに誰かに話したくなるんです。

余談ですが、私の作家は初夏のある日の夕暮れ時、私がヒラヒラと彼の近くを飛んでいると「ナァニ?」と話しかけてくれたんです。
私にですよ?私はそれが嬉しくて、彼の家の軒先をお借りして過ごさせてもらおうと決めたんです。
そうしていつの間にか、彼の作品と一緒に何年も何年も過ごすことになったんです。

幸せの形は人それぞれでしょう?
彼が亡くなった時、奥様はあの大学の先生をしている後輩にお悔やみのお手紙をもらって、その手紙にお返事を書いたんです。
それを読んだ大学の先生をしている後輩は、奥様が私の作家にとって、本当に貴重なパートナーだったのだと改めて思ったんだそうです。

私はちゃんと知ってましたけどね。

おっと、そろそろ帰らなくてはいけません。
もっともっとお話ししたい事があるのですが、今日のところはこの辺で。

もしも私のお話が気に入ってくださったのなら、よかったらもう一度私の作家の作品を見てください。
今回はそれぞれの作品のお話はやめておきます。
私の作家も「作品は自分の手を離れたら、その思いは見た人に委ねられるものだ」と言っていましたから。
そうしてずっと好きでいてくださると、嬉しいです。

また、来ます。

蝶はそう言うと、鉢植えの花の落ちた枝の先から、ヒラヒラと青い夜に溶けて行った。

野良犬の神様

野良犬の神様
街路灯の薄暗い光の中に現れ、走りすぎてゆく薄汚れた一匹の犬。その分別くさい顔。骨張った後ろ姿を見てふと思う。ー「神様」ー
「神様」しかしわれわれの神様は人間のためだけの神様であって、犬の神様ではないのだと。犬の神様、どうか彼の幸せをお守りください。

清宮質文 雑記帳 1972

清宮質文

お話を聞いてくれて、ありがとうございました。

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