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カワイイ骨壺に盛れる棺桶!葬儀具の可能性を拡げるデザイナーの想い(前編)「葬儀具に私の『好き』を盛りこんだら?」からスタートした唯一無二のブランド

華やか、可憐、そしてゴージャス!葬儀具ブランド「GRAVE TOKYO」を手がける布施美佳子さんがデザインする骨壺には、そんな表現がピタリと当てはまります。見ていると生きる力すら湧いてくるデザインの骨壺や棺桶、最後の衣装、そして入棺体験や生前葬までプロデュースしている布施美佳子さん。
前編となる今回は、布施さんが葬儀周りのお仕事を行う理由やきっかけ、活動の詳しい展開について伺いました。
(聞き手:Ohmyso編集部)

合金に塗装を施し、職人がひとつひとつスワロフスキークリスタルを埋め込んだエンディングボックス(骨壺)。遺影を入れることができるフォトフレームつき

アパレル、キャラクター事業を経て葬儀具のデザイナーに

――布施さんは個性的な葬儀具を多数手がけていらっしゃいます。もともと葬儀業界にいたわけではないと伺っていますが、まずはご来歴についてお聞かせください。

もともと新卒で若年層向けのアパレルメーカーに就職しましたが、その会社では当時、結婚したら退職するのが当たり前。漠然と「生きている限りは仕事をしていたい」と考えていたので、長くいる職場ではないなと感じていました。

そんな折、知り合いを通じてバンダイが社員を募集していることを知って。以前からキャラクターが大好きだったので、採用面接では「大人用のキャラクターアパレルを世の中に打ち出したい」とプレゼンし、転職しました。新規事業を立ち上げ、東京コレクションやパリコレに参加したり、女子小学生向けの漫画雑誌『ちゃお』とコラボしてお店を出したり。いろんなことに挑戦させていただきました。

2013年にグループ会社へ出向したとき、当時の上司が「とりあえず、やりたい企画を全部出してくれ」と言ってくれたので、30個くらい企画を提出しました。そのなかに葬儀や骨壺のブランドがあり、上司に企画への思いを話していたところ、上司が映画『おくりびと』のモデルになった納棺師の方と友人であることがわかり、お話を伺いに行きました。

それから葬儀業界を勉強し、2015年には社内の新規事業として骨壺ブランド「GRAVE TOKYO」を立ち上げることに。同年に「エンディング産業展」でスワロフスキーなどを配した骨壺を披露すると、新発想の骨壺としてたくさんのメディアに取り上げていただきました。

2021年に独立してからは、私がデザインした棺桶に入っていただく入棺体験ワークショップを企画したり、生前葬企画を立ち上げたりと、より自分のやりたいことを推進しています。

GRAVE TOKYOが手がける骨壺には毎日眺めたくなる華麗なデザインが多い

葬儀の世界にのめり込んだ2つの理由

――キャラクターアパレルのやり手デザイナーから、葬儀具デザイナーへの転身。華やかでかわいらしいキャラクターの世界と葬儀業界とは、全く真逆のように見えます。布施さんを葬儀周りの仕事へと突き動かしたのは、なんだったのでしょうか。

ひとつは、幼少期から生と死について考える機会が多かったことです。生きている意味や意義は何だろうと小学生の頃から真剣に考えていました。10歳くらいのときには自分にとってとても辛いことがあり、毎晩のように「もう命を終わらせたい」と思っていました。

高校生になってやっとその気持ちと折り合いがついたとき「せっかくなら自分のやりたいことをやって生きていこう」と思えましたが、幼少期に感じた希死念慮は、ずっと自分のベースにあるような気がしています。

もうひとつは、20代の頃に先輩や知人の死に接したとき「自分の葬儀は自分で準備しておきたい」と感じたことです。なぜなら、その人らしさを感じられる葬儀があまりなかったから。とくに若い人が亡くなるとご遺族は悲しみが強く、葬儀の内容についてはあまり考えられないのだろうと思います。だからこそ、自分らしい葬儀のためには自分できちんと準備しておかなければと強く感じました。

同年代の友人の葬儀に出るたび、最も気になったのが真っ白な骨壺でした。自分だったらどんな骨壺がいいだろう。そう考えることからスタートしたので、最初は骨壺をつくることから始めたのです。とくに、自宅で遺骨を安置する手元供養のための骨壺をつくろうと。

手元供養のための骨壺は、その先ずっと自分の遺骨が納まるものですし、家族や来客の目に入るものです。だから手元供養の骨壺こそが大事なのではないかと考えました。

20代の人も80代の人も同じ葬儀具を「欲しい」と言ってくれる

手元供養用の小さな骨壺。洗練された佇まいはアンティークの香水瓶のよう

実際に骨壺をプロデュースすると、お客様から「こういうのが本当に欲しかった」という声をいただくことが多く、20代のお客様も80代のお客様も同じ骨壺が欲しいとおっしゃる。「これは私がやる意味も、意義もあるものだ」と手応えを得ました。

ただ、今は骨壺を主力商品にはしていないのです。なぜかといえば、コロナ禍を経て葬儀に対する意識の変化があり、私の中でも「骨壺はどんな形のものでもよい」と思えるようになったから。どのような器であっても、そこに遺骨が納められれば骨壺であり、だとしたら自分が気に入っている容器を骨壺に指定したっていいはずです。大好きなブランドの香水瓶でもいい。

現在は、葬儀をするにあたって最も欠かせない要素の一つである棺桶のデザインに注力しています。海外の壁紙には、日本ではなかなか見かけない華やかなデザインのものがあり、素敵と感じるものを中心に取り寄せて組み合わせ、世界にたった一つの棺桶をデザインしています。

もともと骨壺から初めて、ゆくゆくは死に装束や葬儀周りをコーディネートする形にしたいと考えていました。今まさに、棺桶をつくったり、その棺桶を使用して入棺体験をしたりなど、当初からの目標に向かっているところです。

――「自分が入りたい骨壺とは?」から葬儀具づくりを初め、手応えを得たうえで独立を果たした布施さん。後編では、布施さんデザインの棺桶を使った入棺体験や「今年自分でもぜひやりたいと考えている」と語る生前葬についてお話を伺います。布施さんが「人生の披露宴」と位置づける生前葬は、自己肯定感が爆発的にアップする取り組みとのこと!どういうことなのか、とても気になります。

(写真提供:布施美佳子)


【布施美佳子(ふせ・みかこ)プロフィール】

布施美佳子(ふせ・みかこ)

布施美佳子(ふせ・みかこ)
アパレルメーカーを経て1999年にバンダイへ入社。2015年、自分の好きなデザインの骨壺に入りたいという思いから「GRAVE TOKYO」を立ち上げる。棺桶や骨壺、最後の衣装、位牌などの葬儀具デザインを行うほか入棺体験や生前葬企画も手がける。


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