映画「さびしんぼう」のこと。

1985年公開だったと思います。

そもそもなんで映画「さびしんぼう」を見たかというと、高校のクラス担任が「お葬式」という映画を絶賛しており、機会があれば「お葬式」は絶対に見るようにと言っており。
で、うちの田舎にあった一軒しかない映画館に「お葬式」が来た時、いそいそと見に行ったら、併映が「さびしんぼう」だったのです。
高校2年生の大野には「お葬式」より「さびしんぼう」のが二億倍感動し、映画館にあった一畳くらいのポスターを1,000円で譲ってもらったり、14,800円もするVHSのセルビデオも買うわ、時ならぬ大さびしんぼうブームが来ました。
一緒に映画を見た同級生はその後、自転車で尾道にまで行ってしまいました。僕は面倒臭いから行かなかったけど。(もともと旅行が嫌い)
ちょうど淋しい気分の高校2年だったから、すごくこの「さびしんぼう」がテーマも内容も染み入ったのでしょう。(母親に恋するといういう部分は、「いやそれは無い」と思ったですが。)
ロードショー時はエンディングにこの富田靖子絶唱の「さびしんぼう」という曲が流れて映画は終わるのですが、今出てるDVDなどではインストゥルメンタルの曲が最後に流れ映画は荘厳に終わります。はっきり言ってそっちの方が完成度高い終わり方なんですが、初見時の印象というものは覆しがたいものがあり、富田靖子の歌で終わるエンディングも捨てがたく。
それで、この富田靖子が歌った「さびしんぼう」には返歌と言うべき一曲があり。同じメロディー(作曲:フレデリック・ショパン)ながらもアレンジは微妙に違い、詞に至っては本歌「さびしんぼう」を完全に否定するという。それが「もう一度逢いたい」と言う曲です。
この曲、今は実に聴きにくい状況にあり、残念です。YouTubeにも上がってない感じです。
この「もう一度逢いたい」がまた切ない歌詞で。主題歌の「さびしんぼう」は何かすごい前向きな別れの内容なのですが、「もう一度逢いたい」の方は、そんな簡単に別れは受け入れられるもんじゃ無いでしょ!という身も蓋もない歌詞で、断然「もう一度逢いたい」の歌詞の方が共感できます。作詞はどちらも売野雅勇さん。さすがです。(売野ってペンネームにしてもやりすぎじゃないの?と思ってましたら御本名だそうです)
映画「さびしんぼう」は10代には堪らなかったのですが、55歳にもなるとそのあまりの淋し過ぎさに見ると戦慄します。
そして劇中
「でも、淋しくなんかない人より、あたしずっと幸せよ」
と言う富田靖子のことはあれから38年経っても忘れられません。
とはいえ若いうちは淋しさすらも青春の魅力ですが、若くなくなると淋しいのは、嫌です。

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