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性とネタ

どうも、オホーツク。です。
今回は重い内容で、前からずっと頭の片隅にあったテーマ。一時期、卒論のテーマにもできねえかなと思っていたくらい。でも、このテーマを扱えるだけの心理的安全性を自分のゼミ空間・ゼミ仲間に見いだせなかった。正直、書くのも結構しんどい。でも、書きたい。いわゆるアンビバレントってやつですかね。
もしかしたら、僕という人間の本質に迫るかもしれないし、現代社会で避けては通れないテーマだと自負している。

そんな記事。

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6/12追記
もう1か月以上書いては消して、書いては消しての繰り返し。寝かせたり、バアーッと書いてみたり。
今日、車で片道2時間半ほどかかる場所へ日帰り出張をして超絶疲れているのに、なんだか目が冴えているからってこのページを開いたのがいけないですね。どうしても書き上げたいのに、やっぱり筆が進まない。あれやこれやといろんな観点が次から次へと出てくるから。いろんな反論が容易に想像できるから。考えるべき観点が多すぎるから。育った環境によって絶対に考え方が変わる事柄だから。
ちょっともう手に負えない。早くいったん解放されたい気分。

てことで、まとまり切らないですけど、とりあえず現在までに書いたものをいったん載せます。

どうとでもなれ。

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いや~な記憶

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6/12追記②
端的に言おう。
生まれて以来二十数年、「下ネタ」というものを心の底から面白いと思ったことがない。いや、そう言い切るのは語弊があるかもしれない。面白いとケラケラ笑っていることもあろう。でも、それはテレビやラジオなどで語られる、ある種洗練された、ある種間接的な、ある種どこか遠い話として、ある種一コンテンツとしてのものであったと思う。どこか他人事なのだ。

当然のことだが、「下ネタ」すべてをひっくるめて語るような乱雑なことはできない。そこには強弱が存在し、グラデーションが存在する。でもその強弱やグラデーションを僕は理解していない。そしてそれは誰にも理解できないのではとも思う。場や関係性によって、常に変動するものともいえるから。だから、この表現が適切かどうかがわからない。

ただ、今の僕の拙い「下ネタ」という言葉の解像度では、とりあえずひとくくりにすることしかできない。過去を振り返ることで、解像度を上げたい。そしてより、適切に捉えたい。何に嫌悪感を抱き、どこまでが「ネタ」なのか。

以下、過去の経験をただただ列挙する。
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小学生男子のトイレ事情

小学生男子(場合によっちゃ中学生も)というのは、どうしてあんなに他人の下の毛の有無を気にするのだろうか。それも遠慮なくトイレで横から覗いて確認しようとして来るのだから、たまったもんじゃない。場合によっちゃ大声で騒ぎ立てる。男子トイレで個室に入ったら大便をしてると大声で騒がれるのと同様の現象。クソだ(掛けるつもりはなかった)。本当にあきれ返る。嫌なもんは嫌なんだよ。ったく。気色悪いっちゅうねん。僕の場合は、あいにく小学校時代から背が高かったから、小便器の高さが合っていないということが往々にしてあった。時に自分でしゃがんでいたくらいだ。より横から覗かれやすい構造となっていた。ったく、昔の日本人の平均身長に合わせた代物いつまでも使ってんじゃねえよ(暴論?)。

ちなみに、同じころ、トイレを我慢しまくって、小便器からどこまで離れたところから放尿できるか己の限界に挑戦している愛すべき馬鹿がいた。こういう奴は好きだ。運の悪いことに最高記録を更新した瞬間に、先生に見つかって「何しとんねんお前!!!!!」とどやされてたけど。

「思春期」中学生なら許される?

田舎の中学時代、馬鹿みたいに「女好き」の男がいた。それはもう信じられないくらいに。多分、同じくらいに女の子のことばかり考えている男子というのはいくらでもいたと思う(自分は人並みだったのかしら、知らんけど)。けど、それを包み隠さないという点で、僕から見れば常軌を逸していた。思春期真っただ中だったからという言葉ですませば簡単だが、あまりに目に余る言動だった。距離感が狂っていた。女子の膝上に平気で座り、下半身が俗にいうもっこりとした状態を(もちろん服は着ているが)堂々とクラスメイトに見せびらかしていたり。正直、理解ができなかった。それでもモテているだなんて噂されていたが(実際クラスのムードメーカー的立ち位置の人物ではあった)、うん、いや確かに他にいいところや魅力的なところはたくさんあるやつだったと思う。もちろん女子たちも「お年頃」なわけで、むしろ嬉々としていたのなら、まあ、それはある種平和な日常の一コマということでいいのかもしれない。
だが、長期的に見て、ああした言動を見過ごす、野放しにするというのは男女双方にとって良くないと思う。それに当時本気で嫌だった人がいるはずだ。ほとんどの女子がそいつに痘痕もえくぼ状態だった、などというはずがない。当時、僕は感覚的に嫌だなという風に見ていたのだけれど、多分、この国が抱えている男性と女性の置かれた社会構造の縮図を暗に感じ取っていたからだと、今となっては思っている。言い過ぎか?そう思いたいけど、そうも思えない現実も横たわっている。

ちなみに、その「彼」とは僕が転校した後も、何度か会っている。直近では大学1年時に会った。その時の印象は、相変わらずという部分もありながら、少し落ち着いたなという感じだった。ごく普通のやつではある。後で考えたいが、「思春期だから」でどこまで許容(スルー)するのかという議論がなされるべきではないだろうか。そして、こうした問題を議論する機会としても性教育というコンテンツと場所が待ったなしで必要とされているのではと思わずにはいられない。

他の男も他の男で、ロクでもなかったな本当に。情けない。ピンポンダッシュよろしく、学校指定ジャージや制服(夏)越しに女子のブラホックを外して廊下を逃走する間抜けども。…もう書いててバカバカしくなってきた。馬鹿の一つ覚えみたいに「セックス」と連呼する野郎。そんくらいならかわいいもんよ。

そういうやつに話を合わせようと、無理に下ネタの話をこちらから振ったこともある。だけど、楽しくないんだよね。無理してるから。話されたほうも、お前意外だなって感じがあったろうし。それ以来、男子が群がって下ネタの話をするという空間自体に参加することをやめた。どうしてもいなくてはならない場合は、存在感を消すことにしてきた。無理に合わせて、楽しくもないあの時間をごまかし笑いで過ごせるほど器用じゃないんよね。

だからって、下ネタを全否定したいわけじゃない。テレビやラジオの芸人さんの下ネタやその手のトークがなくなったらそれはそれはとても寂しい。まあ、それも内容によるとは思うけれどね。

過去のことになんでこんなに怒っているかって、やっぱりあれがあったからだと思う。先述の彼の言動で一番衝撃だったのがこれだ。
国語の授業中のことだった。彼はその言葉もエロの文脈で理解していたのか、先生に当てられて笑いをこらえながら(こらえている様子も悟られまいとしていた)、「慰安婦」の3文字を口にし、説明をしていたのを覚えている。ちゃんと歴史的な背景を知ったうえで、言葉の意味も知っていたのか?もし知っていてあの態度ならなんだあれは?理解不能だった。どういう経緯で慰安婦のことを知ったら笑えるのだろうか。

そうしたことに深い関心がない自分に対し、にやにやと「○○知ってる?」と話しかけてくる輩。まあ、お堅い存在と思われていたのは確かだし、実際にその気はあったんだけども。
何というかね、繰り返すが下ネタの内容そのものをすべて否定しているわけじゃなくて、急に男のムラ社会的な集団圧力のような雰囲気が出るのが無理。何なんあれ?下ネタでクスクス笑うときのあの表情とかなんだろうね。ガキの頃から大学生とかになっても変わらんのよね、あの表情。なんやねんあれ。

てか、下ネタって言葉が免罪符(ネタってことで)になっていて、普通にアウトなことが多くないか?もはや、ネタではないことが多くないか?ちなみに、個人的には酒に酔っぱらっていようと関係ない。深夜だろうと関係ない。残念ながら、中途半端に酒にも強いもんで、そんな領域にまで至れないのだ。

高校時代のクラスメイトが放った衝撃発言

高校3年の受験が差し迫っている時期のことだったと記憶している。
男A「はぁー、女子になりてえな」
男B「何でさ?」
男A「…股開けば稼げるじゃんw」
男B「いや(苦笑)」
ほんと我が耳を疑った。何言ってんだコイツ?ってなった。おまけに男子だけの空間での悪ノリでなくて、同じ空間に女子もいた。聞こえていてもおかしくはない距離に。まあ、いなければいいって問題じゃないのだけど。理解不能。こういう人間とは仲良くなれねえし、なりたくもない。

予備校の数学教師

予備校時代のクソ数学教師ども2人。
「こんなこと言ったら女子に嫌われちゃうかもしれないけど、πr²はおっぱいあるあるで覚えよう……あ、引かれてますね」
キモキャラを完璧に演じたつもりか?クソ野郎が。悪いが男の俺でも拒絶反応が出た。ネタでやっているのか?素人が気取ってんじゃねえよ。心の底から軽蔑した。中身云々というよりも、何だ貴様、公の場でもって、予備校の教壇で、確信犯的にうまくもねえこと言って何ドヤってんだよって話。そう、うまくねえんだよ。本質からはズレるが、せめて、せめて笑えるものであれよ!おもんねえんだよ。無性に腹が立った。冷めた、一瞬で。せっかくてめえの授業受けてやってんのに、なんだこれってなった。こちとら、苦手な数学必死のパッチでやっとんのじゃ。てか、πr²くらい語呂合わせ使わんでも覚えられるっちゅうねん!

もう一人。その日の受講者が男だけだと知ったら急に「今日は野郎しかいねえなら下ネタで行くか」とか言い出した、とんだ勘違いクソ野郎。なんだよ、それ。だから、男しかいないから下ネタOKとかいう空気、なんだよ。いい加減にしてほしい。てめえみたいな素人に扱えるほど下ネタは簡単なもんじゃねえと俺は思うぞ?

で、そもそも言いたいのは、下「ネタ」なのか、それって話。ネタの域超えてない?てか、その境界を判断するの超絶ムズくない?関係性によって、だいぶその受け止め方変わるやん?スベリ芸だとしてもね、ちょっと考え物とちゃう?そんな危険犯してまで下ネタに挑む理由あります?てかてか、一昔前よりも圧倒的にウケが悪くなってますからね、下ネタ。寄席でも感じるくらい。いつまでも鉄板ネタだと思うなやホンマに。

男とか女とか、めんどいねん

思い返せば、子どもの頃親父に「男なら泣くな」「男がそんなに泣いて情けない」とか何かと性別と紐づけて「躾」をされていた。スイミングスクールや公文をサボりがちだったのだが、そのたびに男を出された。ある時には、男じゃない、お〇〇だななどと分けのわからないことも言われた。要は男ではない、女かもしれない。その間(?)のおかまかもしれない。そういうことを言いたげだった。てか言ってた。そういうことを昔は平然と言っていたのが親父である。時代のせいか?残念ながらいつの時代だってアウトだ。そして人間のそういう価値観はそうやすやすとは変わらない。だいぶマイルドになったが、家で母と二人で親父にその発言はアウトでしょと突っ込むこともままある。職場でセクハラ発言を自覚なくしていそうだが、そんなこたぁ知ったこっちゃない。「そういう女」「あの女」などと、「女」と呼べるのがどうも理解できない。僕だって落語ではセリフとして言うけれど、「女」とは呼ばないでしょうよ。

で、そういうことが諸々影響しているのかしていないのかは分かりかねるが、僕は男男(おとこおとこ)している人や女女(おんなおんな)している人が苦手だ、というか、なんか無理だ。男男だけでなく、女女も無理だ。そういう雰囲気をまとっているようでいて、そうでない人(もしくは無理して演じている人)もいるから判断が難しいが、少し話せば大抵わかる。転校経験の賜物なのか、少し話せばそういう人間かおおよそ検討が付くようになったらしい。
そういうわけで、自分自身も男ではあるけれど、どちらかというと考え的には中性的寄りというか、そういう性質を持っていると思うのだ。そうでありたいというか。そんなところがある。惹かれる人というのも、そういう人であることが多い気がする。うまく言えないけど。結局、それを突き詰めると男とか女とかを越えた人間的魅力があるか否かってところが、僕が大事にしたいところなんじゃないかと思う。
ちなみにLGBTQ的な話に引き付けるのはなんか違う。そうではない。

体育会系の筋骨隆々で頭空っぽなやつとか、大学にいまだにいたが、決して悪いやつというわけではないが、あまりに何も考えていないし、見えていないのではと思うこともしばしばだった。

結構暴論を吐いているが、これくらいは吐かせておくれ。

結構イラつきながらこの文章は書いた。整っていない。全然まとまらない。勢いで書いた。

とりあえずここらで、失礼。



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