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「ちょっと遅くなりましたけど」男子発言ノート53

今年のホワイトデーにはお返しをもらえなかった。
去年も、もらえなかった。

バレンタインの季節だからそう思ったのか、『ビスチョコ畑』が店頭にならぶこの時期だからそう思ったのか──どちらが先だったか、今年のバレンタインにはバイト先の郡司くんにビスチョコ畑をあげたいと思った。去年は別のバイト先の男の子にあげた。

けれど、今年のホワイトデーにも去年のホワイトデーにも、ビスチョコ畑のお返しはもらえなかった。当日に会えもしなかった。お相手二人とも非番だった。

ビスチョコ畑というのは、手のひらほどの大きさの丸く薄い堅焼きビスケットにチョコレートが挟んであるもので、二個入りで150円ほど。もち吉という煎餅会社の秋冬限定商品だ。他にはないなかなかのおいしさで、わたしのお気に入りの銘菓のなかでも五本の指には入る。『萩の月』や『クルミッ子』と競るほどだ。ビスチョコ畑のない春夏にはビスチョコ畑のある秋冬を恋しく想う。

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そんなお気に入りの菓子であるから、毎年バレンタインの季節になるとお気に入りの男の子にビスチョコ畑を贈りたくなる。

今年は、なかなかいろいろ人間関係のむずかしい職場において、唯一の希望の光のような存在の“地球にやさしい系”男子・郡司くんにあげたいと思った。洗濯もお風呂も石けんを愛用している系の郡司くんに。

一週間ほど前からシフト表とにらめっこをし、いつ渡すか? いつ買いに行けばよいか? を算出した。

すると、そもそも今年のバレンタイン当日はわたしは非番だった(がびーん)。
そこから、一番近い日取りで渡せるタイミングはその二日前。買い出しはその前日の退勤後にお店へ行けばよい。幸いなことにもち吉の実店舗が職場の最寄り駅から徒歩圏内にある。とても幸いなことだ。

そして、バレンタイン当日。
朝イチで業務を済ませるついでに郡司くんのいる部署を覗いた。運良く彼以外はまだ誰も出社しておらず、郡司くんだけがデスクに向かっていた。

「おはよう」と声を掛けた。
郡司くんが振り向いて「おはようございます」と言った。

「あ、郡司くん。わたしが大好きなチョコ、あげる」

よく分からない切り出しを、振り切るしかない意味不明な多幸感テンションで伝えた。
かろうじてポケットに入ったビスケットにしては大きすぎるビスチョコ畑を取り出そうとごそごそしていると、コロコロコロ……と郡司くんがイスのキャスターを滑らせわたしの目の前にスローインしてきた。

おいびっくりするじゃんか小悪魔かよ小悪魔かよ郡司くん‼
とひるみつつ、「これ……ビスチョコ畑」と差し出すと、
「なんですかこれ?」と受け取り、パッケージのイラストを郡司くんしげしげと眺めた。

どこか、カールのパッケージに描かれるのどかな田園風景を彷彿とさせるビスチョコ畑のイラスト。またどこか、みすず学苑の電車のドア広告を想起させる混沌としたその世界観。
ビスチョコ畑はこのネーミングとデザインが良いのだ。これが趣の違うお洒落な外装で個包装されていたなら、ビスチョコ本来の味わい深さはかすんでしまうだろう。

「これ、すごくおいしいから」
「え、いいんですか?」

「ちょっと早いけど、もうすぐ、んば、んばばバレンタインだからっ!!

驚くほど噛んだ。バレンタインというワードをわたしはナメていたのだろう。口に出そうとした瞬間、本命のバレンタインの告白でもないのになぜかぶるっと一気に全開で緊張し、動揺まる出しで臆した。

そしてそのことにさらに動揺し、もうこれ以上つっかえてる場合じゃない挙動不審は怪しすぎる! わたしはお気に入りのビスチョコ畑をお気に入りの男子に食べてもらいたいだけだろう、なぁ!? と自らを奮い立たせ早急にその鬼門ワードを口から放り出した。

「もうそんな時期なんですね」
こちらの思いをよそに季節に思いを馳せている郡司くん。さすが地球にやさしい系。ほとんど家電も持っていないらしい。

そんな彼に、さっきの震えを引きずりながら二本指を突き出し、
「二日前だけど」
とピースポーズを決めてしまった。ダサっ!

「ほお……」的な反応の郡司くん。こんなわたしにもやさしい系。恥ずかしくて顔を見られないまま「おいしいから食べてね!」と踵を返した。背中越しに「ありがとうございます」と言ってもらえた。

落ち着こうとトイレへ行き鏡を見ると、さっき少しでも見栄えを良くしようと直前に取ったマスクの痕がくっきりと頬に付いていた。ぬぅぉ‼ ……お肌の弾力が戻りにくくなったお年頃に、小さめマスクの圧力はいかん!

だけど、渡せた。
受け取って、もらえた。

郡司くんはビスチョコ畑を気に入ってくれただろうか。そうにまにまと気にしているうちに日々は過ぎ、ホワイトデーが近づいてきていた。

3月のシフト表によると、郡司くんとわたしはホワイトデーには会えなかった(がびーん再)。わたしは出勤だけど郡司くんが非番なのだった。一番近い接触のタイミングはその二日前の3月12日だった。

しかし、その日は何事もなくノーホワイトに過ぎた。

そんなもんか……わたしにとってのビスチョコ畑への想いは郡司くんには響かなかったのかな……残念だな。

そんなふうにがっかりしながらも、頭がビスチョコ畑ならぬ“お花畑”なわたしは、「でももしかしたら14日当日に出勤したらデスクに郡司くんからのお返しがちょこんと置いてあったりなんかして」というかすかな(アホな)望みをうっすら抱えホワイトデー当日を迎えた。

机の上には、何もなかった。
無造作に置かれた書類が二枚だけ。何かの報告書と見積り書。その二枚の紙切れが無性に憎たらしくて、そのうち一枚を(これわたしの担当案件じゃないし!)とそれを置いたであろう人のデスクに当人がいない間に突き戻した。

そっか。

その日から、わたしの中から郡司くんが消えた。
ビスチョコ畑のお返しを期待なんかしてしまったばっかりに、それが叶わなかったわたしはお花畑から彼を消し去ってしまった。

眠りにつくまでに毎晩ベッドの中で夢を見る睡眠導入剤代わりみたいな物語に召喚できる人がいなくなってしまった。

これ以上傷つくことのないように、と職場では終始スリープ状態にしている感情を、ただひとり起動してこころでちゃんと「おはよう」や「おつかれさま」を言わせてくれていた人がいなくなってしまった。

だったら、ビスチョコ畑なんてあげなければよかった。

そう悔やんだ。
でも、わたしは。では、いったい。何を傷ついてなんかいるのだろう?

もともと見返りなんか求めていなかったはずじゃないか。それをたった150円のお菓子のお返しをくれなかっただけで、何?

バレンタインなんて、バレンタインなんか。

いや、そもそも「義理チョコ」だし。完全に義理チョコだしビスチョコ畑は誰が見ても。けど、だったら。だからこそなおさら。その義理チョコに完全に義理でお返しくれてもいいじゃん。アメ一個だっていいしね。いや、そっか。そんなの知りませんよ的な? クリスマスとかバレンタインとか、そういう類は感知も関与もしませんよライフ的な? でもじゃぁ、だからこそシンプルに、ビスチョコ畑どうだった? だって俗っぽさ完全抜きにして、ビスチョコ畑って最高じゃない? わたしはそう思うよん。それ思わなかった? だったら……だったらしょうがないわ。ビスチョコ畑に何も感じないならそれはわたしがお相手を間違えてたわ。ごめんごめん───。

そんな風にして無理やりオチを着けた。
だけどもう一つ、前にある芸人がテレビで言っていたことが気になっていた。

「義理は別として、ホワイトデーって好きな子にしか返さないでしょ?

……あれ? わたしフラレたの?

もしかしていつの間にかフラレてた!? ビスチョコ畑を本命だと思われて、「その気持ちには応えられません」的な“回答”としてお返しもらえなかったのですか?? やだ、わたしフラレた?? てか、去年も別の男の子にフラレてた!? 去年もか! やだ、違うのに……。本命とか本気とかじゃないのにぃ……!!

わたしはただ、わたしはそれで、なにをどうしたかったんだっけ───?


「ビスチョコ畑おいしいね」
ただそう言ってもらえたら、それでよかったのだ。

いずれにしろ、それは叶わなかった。

手を伸ばすべきじゃなかった、と振り返る。けれど。
いつも自重しているはずなのに「この人なら、もしかしたら」をどこかでやはり夢見てしまう。

そうして伸ばした手を取ってもらえなかったときのさみしさや恥ずかしさ、そうした気持ちの成分たちって、表記しきれることはないんじゃないだろうか。

わたしはそれらを「ふんっだ」という分類にまとめてそっぽを向いた。
郡司くんを見かけても、もう彼に発する「おはようございます」や「おつかれさま」にこころはなかった。

そして、少し経ったら、毎度の “しまった!!案件” にして成仏させようと思っていた。

のだけれど──。

完全にスリープモードの日々を過ごすこと、何日が経っていただろうか。

気づくと、郡司くんがわたしのデスクの横まですたすたとやって来ていて「これ」と小さな何かを机の端に置いた。コンビニでよく見かけるポケットサイズのミニチョコレートだった。

「ちょっと遅くなりましたけど、お返しです」

わあああああああえええええ!?


一瞬で、千年の眠りから覚めた。

今日何日よ? 19日? ホワイトデーから5日も経ってるじゃん! なんて後ろ倒しなサプライズ。こんなことって、こんなことってば!

「これ、僕のお気に入りです」

お、おうおう。バッチリ値札付いたままだけど。しかも三倍返しどころか三割減の108円だけどいいよ、いい。

「わぁ、おいしいよね。このチョコ!」

じぶんでは普段チョイスしないお菓子だったけど、そんなことより完全に「ふんっだ」と諦めていたお返しをホワイトデーからだいぶ遅れたとはいえ忘れずにちゃんとくれたことが、わたしもさすがにそこまで都合のいいラブコメ創作思いつかないわーレベルの驚喜であったし、ありがたいっていうか有難かったし、何より「よかったじゃん!!」とこれまで恋の実りなき人生を過ごしてきたじぶんを祝福してやりたい気持ちでそのお菓子を大絶賛せずにはいられなかった。

「ビスチョコ畑どうだった?」
気になって思わず訊ねた。

「あっ、あれメチャクチャおいしかったです!

やだ、早く言ってよね!

「コンビニとかには売ってないですよね?」

やだ、探してくれたの!?

「そうそう。もち吉にしか売ってないの」
「駅の向こうのですよね。いつも通るたび「ここか」って思ってました

やだ、思っててくれたのー!?

「そう、チョコが溶けちゃうからって秋冬限定なんだって」
「へええ!」

やだ☆喋りたいことが止まらないッ!!!


「ありがとう。値札付いてるけど(笑)」
「あ!! 値札付いてます? へへへ」
「ははは」

いつまでも、いつまででも、話していたかった。

今年のホワイトデーにはお返しをもらえなかった。
けれどホワイトデーの5日後にお返しをもらえた。

わたしの夢見る世界に郡司くんがまた戻って来た。
郡司くんがくれたのは、バレンタインのお返しであるのと同時に、夢のつづきでもある。

それにしても。「諦めなければいつか夢はかなう」というけれど、諦めた頃に突然舞い込む夢もあるのだなぁ、と不思議な気持ちがした。

チョコは、もったいなくて未開封のままだ。
賞味期限は2020年12月とあるから、今年いっぱいはこれを大事に取っておくことで生きられる気がする。

昔、『おふたりで』という六花亭のお菓子をお裾分けでもらったとき、とても“おひとりで”は食べられなくて、そのまま賞味期限をとうに過ぎ、一年以上経った頃にようやく諦めて泣く泣く処分したことがある。そうならないようには、したい。

もう失いたくない。だから彼にはこれ以上手を伸ばさないと決めている。
けれど、ただ一つ、それでも望むことがあるとすれば──郡司くんがこの先もち吉を通るたび、「いつだったか、おいしいビスケットをくれた人がいたっけな」などと思い出してくれたら、幸い。それこそ生きられる。彼のなかで、ずっと。(気持ち悪い)

と、ここで最後に後日談──。

大事にだいじに取っておいた郡司くんからのお返しチョコは、年末の賞味期限を前に母にあっさり食べられてしまった。なんてこった!

その夏、自室をリフォームすることになり、すべての荷物をリビングに移動した先で母にめざとく見つかったのだった。衰えることのない食い意地め‼

開封されたその思い出の、いやそれどころか生きる糧であったチョコ菓子の、あまりに無残な姿を目にして絶叫しているわたしに母は「そんな安いお菓子」と笑いこけ、まるでその価値をわかっていないのであった。確かに安いけど! ……憎い‼ 我が母ながら憎い‼

そうして呆気なく、娘の糧は母親の糧となった。純粋に食料として……。


おしまい🍫


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