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『ファインマン物理学』誤植リスト

オンラインの「音読会」というものに参加している。毎朝、決められた時間にネット上で集まって、決めた本を順番に朗読していくのである。読みたいけれどなかなか手がつかない本などを無理やり読むのには適した方法であり、今回は『ファインマン物理学』全5巻(岩波書店)に挑戦して、仲間4人で毎朝20分集まって、ほぼ2年間で読破できた。余力がある人間は演習問題もいくつか解いて発表しており、それも含めての2年間であった。 『ファインマン物理学』は60年ほど前に奇才リチャード・ファインマンがカリフ

    • 『万物の黎明』について

      このnoteのシリーズは次の本を読みながら作っていったメモです。 "The Dawn of Everything --A New History of Humanity" by David Graeber and David Wengrow, Farrar Straus & Giroux, 2021 『万物の黎明  人類史を根本からくつがえす 』酒井隆史訳 光文社、2023 話題の書ですし、とても重要な本だと思うのですが、大著なのと、話題が多岐にわたるのと、グレーバー

      • 選挙は「民主主義」では無い 『万物の黎明』ノート8

        著者の一人であるグレイバーは従来の著作で使ったネタをこの『万物の黎明』でも繰り返しています。選挙は民主主義を意味しないという主張もその一つで『民主主義の非西洋起源について』などで展開されたものです。 民主主義(デモクラシー)という言葉こそ古代ギリシャが起源ではあるものの、プラトンはそれを「衆愚政治」と呼んで否定的に見ていましたし、ヴォルテールを始めとする啓蒙思想家たちですら、その見解を引き継いでいました。 そして、そもそも古代ギリシャのアテネでは選挙は行われていません。す

        • 国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7

          国家の起源を語るというのは魅惑的なテーマですからWD(本書著者である二人のデーヴィッドをこう記します)がこれに挑んでいると知ってワクワクしなから第10章と11章を読んだのですが、WDによれば「人類史において国家の起源を語るのは無意味」なのだそうです。なぜなら、私たちが思い描く国家像というものは近代国家のそれであり、具体的には主権(暴力の独占)と官僚制とカリスマ性に支えられた政治家たちという三要素から成り立っており、古代「国家」においてそれが3つ揃ったことは無かったからだという

        『ファインマン物理学』誤植リスト

          蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6

          私たちは「未開社会」に対して農耕開始前の狩猟採集社会であり、定住せずに小さな集団(バンド)で移動生活を送っており、だから都市も作らず、巨大な神殿や王の墓を作ることもない、階級差の無い平等な素朴で貧しい社会だったというイメージをなんとなく抱きます。 ところが本書は、そうしたイメージを覆す考古学的事例を次々とくりだしていきます。トルコのギョベクリ=テペという巨石神殿を作ったのは農耕を知らない狩猟採集民でした(pp.100-)。北アメリカでポヴァティ・ポイントという宗教関連遺跡と

          蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6

          「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5

          本書を読んでいるとときどき膝を叩きたくなるような箇所に遭遇します。pp.26-27での「よくできた社会理論」の話もそうでした。 著者たち(以下WDと略)は今までの標準的な世界史が初期の人類をあまりにも単純化し、ステレオタイプに還元しすぎていることを批判し、彼らを我々と変わらない人間として扱うことを呼びかけます。「高貴な未開人」も「野蛮な未開人」も、そもそも実在せず、それはモデル化された世界観の中だけに住んでいる退屈な存在だというのです。 ここでWDは矛盾するようなことを書き

          「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5

          パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4

          前回の「ノートその3」では、色々な考古学的証拠が反例を出しているのに、新石器革命(農耕革命)という概念について「細かいところは修正されているが、大筋は正しい」ことにされている現状と、WDが本書で「大筋自体も怪しい」と指摘していることを説明しました。本書の訳者である酒井隆史さんは、とある動画でこの状況を「パラダイムシフト」という言葉で説明しています。 この言葉自体は最近の企業研修などの世界でも頻繁に用いられる言葉であり、かなり手垢がついた言葉ではあるのですが一応説明しておけば

          パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4

          新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった  『万物の黎明』ノート3

          本書でさんざん引き合いに出される「従来の通説」のひとつが新石器革命(農耕革命)です。研磨などの方法で、矢先やナイフのような精巧な石器が作られるようになったのが新石器時代ですが、この時代に農耕が開始されたことで人々がそれまでの狩猟採集生活を捨てて定住を始め、その結果として人口が増えて都市が作られ、それが大きくなって国家となったみたいな話は、今でも多くの本や記事でベースにされています。そして農耕開始以前の狩猟採集時代の人々はバンドと呼ばれるせいぜい数十人程度の数家族の集団で移動し

          新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった  『万物の黎明』ノート3

          アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2

          本書で私が一番気に入ったのが第6章「アドニスの庭」でした。これは本書を読む直前にJ.C.スコット『反穀物の人類史』を読んでいたことも影響があったかもしれません。この本と、本書第6章は大きくネタが被っており、「農耕の起源」というテーマはとても気にかかっていたからです。本書の中で、WDはスコットを肯定的に何度も引用しており、このテーマについても言っていることは大きく変わりません。大きな違いはWDが「アドニスの庭」を話の導入と展開に使っていることです。 「アドニス」はギリシャ神話

          アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2

          万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1

          『万物の黎明』というタイトルを見て「また、大きく出たもんだな」という感想を持った人も居たと思います。まあ、農耕の起源、都市の起源、国家の起源を論じたという点で本書のテーマはたいへんに「大きい」のですが、それにしても「万物の黎明:The Dawn of Everyting」とは風呂敷を広げ過ぎてやしないか?訳者解説ではゴードン・チャイルドの『ヨーロッパ文明の黎明』が意識されているのだろうとされていますが、それにしても「万物」に話を広げるのはやりすぎでは無いのか? 本書は、農耕

          万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1

          『万物の黎明』読書ノート その12

          第12章「結論」の要約第12章は終章であり本書の「まとめ」なのですが、書き足りなかったところを色々と書き加えている感のある章です。 不平等の起源を問うことは、神話作りに帰着することにしかならないというところから、この本は始まりました。ルソー流の恩寵からの転落もしくはホッブス流の混沌からの脱却みたいな話に帰着するだけですし、それは事実に反しています。 19世紀は「進歩の必然性」が信じられて時代だとされていますが、当時のヨーロッパが実際に取り憑かれていたのは、退廃と崩壊の危険

          『万物の黎明』読書ノート その12

          『万物の黎明』読書ノート その11

          第11章「ふりだしに戻る」 本章は前章の国家論の続きで、北米の文明史をたどり、第2章で述べたカンディアロンクの時代までが語られます。言ってみれば、第2章からスタートした本書はこの章で円環を描くように閉じるのであり、それが表題の由来となります。 現代の統治方法は必然なのか? 18世紀の先住民たちによるヨーロッパ批判(金銭、信仰、世襲権力、女性の権利、個人の自由に対する疑義)は啓蒙思想に大きな影響を与えるとともに、バッククラッシュを招きます。そこで生まれた進化論的人類史観が

          『万物の黎明』読書ノート その11

          『万物の黎明』読書ノート その10

          第10章『なぜ国家は起源をもたないのか』要約第10章でいよいよ国家の起源が論じられます。本書最大のヤマ場であり、分量も一番ある章(90ページ)です。ここまで読んできて分かるようにWDは社会進化論的人類史を徹底的に避け続けています。歴史上のあるポイントで「国家」が現れて、それが周囲に広がっていくというような見方はしません。それに代わるストーリーとしてWDが出して来るのは、「人類は色々な形態の国家を試し続けてきた」というものです。 国家の定義 そもそも「国家」とは何なのか?現

          『万物の黎明』読書ノート その10

          『万物の黎明』読書ノート その0

          このノートは何のために公開されるのか以下のノートは『万物の黎明 人類史を根底から覆す』(デビッド・グレーバー&デビッド・ウェングロー著、酒井隆史訳、光文社、2023年)の 読書ノートです。グレーバーの著作は面白くて刺激に満ちて居るので私は何冊も読んできましたが、饒舌なぶん話題は多岐に渡り、ときに脱線し、全体の論旨を見失いがちになります。この本もそうでした。そんなとき私は読書メモをとりながら精読することにしています。そのメモをもとにしてレクチャー形式でまとめなおしたものが、ここ

          『万物の黎明』読書ノート その0

          『万物の黎明』読書ノート その9

          第9章『ありふれた風景にまぎれて』要約第9章は前章の都市論の続きで、メキシコ盆地が扱われます。 忘れ去られた都市テオティワカン メキシコ盆地はメシカの人々が築いたいわゆるアステカ帝国(アステカ3都市同盟)が12世紀から栄えた場所ですが、その首都テノティトランの近くには「神々の集う場所」と言う意味のテオティワカンという別の都市がありました。メシカがやって来るはるか以前にメシカの知らない人々によって建設され、打ち捨てられていた都市ですが、壮麗な二つのピラミッド(太陽のピラミッ

          『万物の黎明』読書ノート その9

          『万物の黎明』読書ノート その8

          第8章と9章は初期の都市が論じられます。 第8章『想像の都市』要約8章で取り上げられる「都市」は、ウクライナの「メガサイト」、古代メソポタミアの諸都市、インダス文明の都市、そして中国の都市ですが、それらの話が始まる前にp.314で前置きがあります。 都市のスケール エリアス・カネッティという思想家が旧石器時代の狩猟採集民であっても、自分たちの集団の外に存在する「見えない」人間の群れは想像できた筈であり、その見えない群衆こそが最初の都市だと主張したことを紹介しています。な

          『万物の黎明』読書ノート その8