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「日坂 佐夜ノ中山」−旅人も気づくのだろうか、、、–『東海道五十三次』

今日はバイトで特に何もなく7時間がすぎたので平穏です。
このまま平穏な心で荒れ狂った大河ドラマを見たいと思います。

そんな少し軽さを期待できそうな入りの今日も広重。今回は『東海道五十三次』「日坂 佐夜ノ中山」です。

◼️ファーストインプレッション

坂があまりにも急ですね。
前回の金谷から少し歩いてまたこんな急な坂があっては大変です。
もっと遠回りする方法を開削できなかったのでしょうか。
坂の真下、画面中央には大きな石が転がっています。
これがきっと名物だったのかな。大きな山から転げ落ちてきたことから何かの逸話が存在していそう。

坂道に向かって伸びる松の木々も坂の上に向かってニョキニョキ伸びています。
坂の上に誘われるような効果が見られます。

手前の大きな山がモチーフとなって、背景に描かれる幾つかの山もリズムを成して、まるで全体で波を作っているかのよう。
参考書で指摘されているのが石と人との距離感。
石の左側にいる笠を被っている二人組は興味津々にまじかで覗いてみています。反対に右側には2メートルくらい離れた距離から手を合わせて神妙な雰囲気を以て佇んでいます。

石に大きな意味があることや、その石に対する人々の感じ方がきっと神妙な物であることがわかるので今日はそれを見ていこうと思います。

◼️日坂

あの大きな大井川からどのくらいの距離を経てここに至るのでしょう。

この赤ピンの集まりが日坂宿のあった場所でしょう。
前回の金谷から、距離感はそこまで遠くはなさそう。
しかし大きな山を超えますからね。舐めてはいけない。

とは言いつつも、絵の中には宿場は描かれていないので今回のモチーフである石に焦点を当てて地図を見てみましょう。

だいぶ距離が変わりますね。
一枚目の地図よりももっと北東に進んだ場所に石があったことがわかります。宿場からは程遠いところだったのです。

◼️夜泣き石

この丸っこい石が夜泣き石というらしい。

夜になると、泣き声が聞こえるなどの伝承をもつ石。また、その伝説。特に、東海道の小夜中山(静岡県掛川市)のものが有名で、賊に殺された妊婦から生まれ落ちた子が石の下で泣いていたのを村人が助けたという。

日本国語大辞典

夜ごとに岩石が泣き声を発するという伝説。有名なものは、東海道の小夜ノ中山 (さよのなかやま) の夜泣石(静岡県掛川市)で、山賊に殺された妊婦が石の下に埋められたのちに子を産み落として、その幽霊が夜ごとに食物をあさり歩き、その悲しみの声が旅人を悩ませたと伝えている。昔話「子育て幽霊」の素材でもあり、近世随筆にも記される。長野県更級 (さらしな) 郡上山田村(現千曲 (ちくま) 市)のそれは、姨捨 (おばすて) 山に捨てられた姥 (うば) が石と化して夜泣きして鳴動し、西行 (さいぎょう) 法師に読経してもらうと、得度して二つに割れ、血を吹いたという。福井県丹生 (にゅう) 郡糸生 (いとう) 村(現越前町)のは、比丘尼 (びくに) が谷の大岩の下に投げ落とされて死んだために、その大岩はいまでも夜中に泣き声をたてるという。同県今立 (いまだて) 郡河和田 (かわだ) 村(現鯖江 (さばえ) 市河和田町)のは、村の入口にあって、この石を動かしたり持ち帰ったりすると夜中に泣き、光ったこともあって、もとは朝倉氏のころ(戦国時代)の首切り石であったという。
これらの伝説は後世の付会がほとんどである。その原型は、赤子塚をはじめとする、非業の横死者の目印となる塚の伝承と同性質のもので、塚と同じ伝承が石にかわったのも多かったであろう。また、夜泣石についている苔 (こけ) や石の破片を持ち帰って夜泣きの子の枕 (まくら) の下に置くと幼児の夜泣きがやむという俗信伝承も、上述伝説とは別に存在している。そのほか長野県下伊那 (しもいな) 郡上郷 (かみさと) 町(現飯田市)では、山の崩壊で押しつぶされた子を祀 (まつ) った子泣石の伝説もある。石の上には地蔵が祀られていて願掛けをすると幼児の夜泣きが止まるという。このような被祭祀 (さいし) 体としての夜泣石もある。

日本大百科全書

とても簡略的な辞書と非常に詳細に書かれている辞書を両方引っ張ってきました。
日本国語大辞典ではまさに今回の日坂の夜泣き石が言及されています。
山賊に殺された妊婦のお腹から生まれた赤子が石の下で泣いていたのを村人が助けたことから夜泣き石というらしい。

簡潔にいうと上のようになりますが、石の下にいた理由が妊婦が石の下に埋もれていたから。しかもその霊が夜中に食べ物を探して歩き回り、悲しみの鳴き声を響かせていたことから「夜泣き」という名がついたそう。

夜泣き石伝説は昔話「子育て幽霊」の素材であるらしい。
この子育て幽霊は初めて聞きました。

概要としては、
ある夏、飴屋が店を閉めようとしてたところ、ある一人の女性が扉を叩き「飴をください」と言ってきました。店主は飴を用意して女性に渡すと、女性はそのまま消えるようにいなくなっていきました。
その次の日もまた次の日も毎晩その女性は閉店間際に飴屋を訪れ飴を買っていくのです。
ある日、その飴屋に隣町の飴屋の店主が訪れていて、閉店前まで話し込んでいました。するといつものように女性が飴を買いに来たのを隣町の店主は「あの女性はこの前亡くなった松吉の女房だ」というのです。
店主はそれに驚き、二人で女性の跡をついていきました。
すると墓地に辿り着き、女性は消えていってしまったのです。

そのことをお寺の和尚さんに話すと、一緒に墓地に行って確かめることに。
すると微かに赤ん坊の鳴き声が聞こえます。声の方に行ってみると人間の子供と手紙と飴が置いてありました。
手紙によると赤ん坊は捨て子で、これまで来ていた女性が持っていた器が置いてあるのも確認。
この赤子の傍には亡くなった松吉の女房の墓が。
人間の子供が捨てられているのを見かねてわざわざバレないように隣町まで飴を買いに来ていたということ。
捨て子は和尚さんに引き取られ、お墓に手を合わせました。それ以来女性が夜な夜な飴を買いに来ることは無くなったそう。

このような話。

怨霊とか非情の死ゆえではないので誰も不幸の結末を迎えていないのが救いですが、子供にわかるような昔話でのであまり脅しを加えてはなりませんね。

だから今回の絵でも親子と取れる二人組は手を合わせているのですね。
これが一体何の石なのか理解できていない旅人は、一旦何かを確認しているという絶妙な人物描写をなされていることに広重の人間観察の鋭さが表現されています。

石に名前があることでこんなに人物にも解釈が生まれるのも広重の掌に転がされている気がします。笑

今日はここまで!
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