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「佃しま住吉の祭」−後ろは”わっしょい”、手前は”まだかい”–『名所江戸百景』

今日は公園でピクニックをして晴れ空の下、ポカポカしてきました。
世界では空を見にいくことさえままならない生活をしている人々がいる一方で、このような平穏な時間を過ごせるなんて幸せなことなんだなと実感します。
今はもう片方が民間人も巻き込んだ戦争に切り替えようという意図を感じられる非人道的な状況になってきていますからね、、。
もしかしたらこんな呑気なことを言っていられるのもいつまでかわかりませんので、今のうちにできることと入れられる知識は詰め込んでおこうと思っている所存です。

そんな今日も広重
今回は『名所江戸百景』「佃しま住吉の祭」です。

◼️ファーストインプレッション

大きく幟が掲げられていますね。白い布地に「住吉、、、、」と記されています!
読めない、、。笑
横には「安政四丁巳六月吉日」「整軒宮玄魚●書」「佃島氏子中」とあります。
年月、書いた人、場所が書かれているのでしょうか。

その少し奥に松が生えていますね。左景色がスカスカにならないようにこれくらい緑を入れているのも飽きない作戦ですね。
真ん中の釣りをしている船人は静かに魚がヒットするのを待っているような印象。

そのまた少し奥の草むらあたりでは金色の大きな山車を動かしている人々がかなりの人数います。
これが題名にある通りの住吉祭りでしょうか。江戸三大祭りでこれまで山王祭・神田祭を見てきましたがこれが残り一つの祭ですね。
山車の上には鶏が乗せられていますね。確か山王祭も同じようなものがありました。

意外とこの山車が通っているところが湿地なのが気になります。

◼️住吉祭

東京の住吉大社が親として開催されている祭です。
そもそも住吉大社は大阪に大明神があり、その分霊が東京の佃島に祀られたものです。

住吉神社の宮神輿は「八角神輿」と呼ばれる通り、八角形をしています。(中央区民俗有形文化財指定)天保9年(1838)に芝大門の万屋利兵衛により製作され、八角形の神輿は関東では珍しく、天皇陛下の御座(高御座)を模したと言われています。

八角神輿というのがこの絵の奥に映る山車のようなものですね。
天皇の御座を模しているということで、金色になっているのですね。

昭和37年(1962)までは隅田川へ神輿を担ぎながら入る、海中渡御が行われていました。
平成23年(2011)老朽化に伴い、新たな八角神輿が新調され、以降本祭りでは新しい宮神輿が巡幸しています。

1962年まで?!
隅田川まで神輿を担ぎながら海中渡御が行われたのですね。
まさに絵にあるように水の中を進んでいくのですね。

3年に1度の本祭りでは、佃島の中に6本の大幟が建てられます。高さ18メートルにも及ぶこの幟は寛政10年(1798)に幕府から建てることを許されたと伝えられています。幟の柱と抱木(だき)は普段は佃川支川(佃堀)に埋められており、祭りの度に掘り出されます。

この絵に堂々と描かれる幟は佃島に6本建てられるそう。
一本およそ20メートルにも及び、江戸城からもよく見えたそう。
そしてこの幟の布以外の木材である抱木は、3年に1度の祭の3年間で腐らないように川底に埋められて保管されていたそう。

家康公が関東下降の際、摂津国佃の漁夫33人と住吉の社の神職平岡権大夫好次が分神霊を奉載し江戸へ下り、寛永年間に幕府より鐵砲洲向かいの干潟を賜り築島しました。そして故郷の名をとり佃島とし、この地に社地を定め、正保3年(1646)6月29日 住吉三神、神功皇后、徳川家康の御神霊を奉遷祭祀しました。これが佃住吉神社の起源です。
佃島は江戸湊の入口に位置し、海運業、各問屋組合をはじめ多くの人々から海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
その後、月島、勝どき、豊海、晴海と埋め立てが行なわれ、その地域の産土神(氏神)として信仰されています。

家康の時代から住吉大社の起源は始まっていたのですね。
佃島がそもそも江戸湊の近くだったことから渡航安全の守護神として住吉大社が置かれたのですね。

この幟に書かれていた文字は半分以上解読できませんでしたが、
「住吉大明神」
と書かれているそう。
大明神を祀る意味でしょう。

◼️この絵が描かれた位置

この真ん中の佃大橋あたりに向かって描いたのでしょう。始まりはきっとその北東にある住吉神社の灰色ピンとの間から。
その海岸というか、岸辺あたりからこの絵を見ているのでしょう。

そこから描いている住吉祭の光景ですが、手前の釣り人たちとのテンションのコントラストがなかなか激しいものになっています。

現在の住吉祭の様子です。
今も金色の山車を担いでいますね。
上には鶏も乗っています。
江戸三大祭の他の二つと違うのは、山車を一つしか用いないところ?
他の二つは山車の数は掲げてなんぼでしたね。けれどこの祭ではどの写真を見ても金色のしかも鶏の乗った山車のみを掲げているのがポイントなのでしょう。


今日は住吉祭とその祭の風習、そして描かれた位置についてみていきました。

今日はここまで!

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