見出し画像

「岡部 宇津之山」−寂しさを越えた者と越える者−『東海道五十三次』

今日もまたとても暑い1日でした。
駅まで少し自転車を漕いで往復した時に自転車のペダルが重すぎて進みが遅いことに苛立ちを覚えていたので、帰ってから自転車に空気を入れました。
空気を入れている間、自転車を漕いでいた時に抑制されていた汗がドッと出てきて、アスファルトにポタポタと汗が落ちていくのを見て、より苛立ちが高まりました。笑

後日自転車を使うときに快適な運動ができることを祈ります笑。

そんな自転車にイラつき、自転車に期待する(?)今日も広重。今回は『東海道五十三次』「岡部 宇津之山」です。

◼️ファーストインプレッション

閉塞感はあるのになぜか息苦しくない印象ですね。
それはきっと小川が流れているのと、山の向こうが開けているからかな?あとは、坂の先に紅葉した木があるだけでその彩に癒されますね。
自分の向かう先が開けていると、その先を想像して胸に詰まった空気も抜けていく気がしますね。
とても狭い道をすれ違おうとしている旅人たちが気を遣いながら通っていくのですね。
細い道と同じくらいの幅の皮が勢いよく流れているように感じます。
そりゃこの傾斜じゃあ、流れも良くなりますよね。
道には下から、薪を背負った人と、笠を被った人が一緒に登ってきます。
上からは藁のような細い木材を縦にまとめたものを背負った人々が降りてきます。
上下の二人が両方横に木材を背負っていなくてよかったねとしかいえないくらい細い道。
この細道を登ったところに家家が並んでいるのがわかります。
この坂を登り終わったら少し休憩ができそうですね。

両脇の山は熊が降りてきそうなくらい木々が生い茂り、鬱蒼としている。
ここを切り開いた最初の人間はかなりアドベンチャーだったのかもなと思えますね。

この周辺はきっと標高の高い、しかも急斜面の山が連ねている場所なのでしょうか。
副題にある通り。ここら一帯を宇津之山というのでしょう。
今回は宇津之山の位置と、そこの歴史的逸話を見てみます。

◼️岡部宇津之山

昨日のように意外と前の宿場と近くなりがちなので昨日も確か地図で岡部は見かけた気がします。

赤ピンが林立していますが、「蔦の細道」と書かれたところが今回の絵の細道にあたります。
「東海道宇津ノ谷峠越」と書かれたところは写真をみると、細道を含めた東海道であるらしい。山道やトンネル、宿場町が含まれていました。
確かに地図をみると、現在でも人が住んでいなさそうな山間部の中心で、ここの峠を越えるのも一苦労だったことが想像できます。
赤ピン群の北東に昨日見た丸子が位置しています。
そのまた北東に安倍川があるので、ここ周辺で一息できるのも丸子のとろろ汁だったのでしょうね。

◼️蔦の細道

この宇津の谷峠は『伊勢物語』で描かれているみたいです。
『伊勢物語』はこれまで見たことがないのでそもそもの書誌情報から確認していきます。

平安時代の歌物語。作者は不詳であるが、在原業平の縁者、または業平を敬慕する者などが考えられている。
(中略)
原形の成立は九〇〇年前後のころと想定され、以後十世紀中ごろまでに大体の形成が行われ、その後も本文の流動は続いたらしい。おおむね「昔、男ありけり」のごとき書き出しを持つ、長短多様な、歌を中心とする小話を集積した形になっている。この各章段を貫く主人公の男は、在原業平を目して構えられていると見られ、業平の歌と判明するものだけでも三十余首に達し、その他の人の歌、古歌などを軸にして、業平の逸話や古伝承を織り込んで、数々の小篇が構築されている。現存本では、それらは一代記的に配列構成され、ある男が初冠して春日里で美女に歌を贈る物語に始まり、以後多くは、さまざまの恋の物語が続くのであるが、二条后の段、東下りの段、伊勢斎宮の段、惟喬親王の段、紀有常や在原行平に関する段などが、連鎖あるいは点在し、男の辞世の歌の段で終る。おおよそ誰とも知れぬ男女の物語のごとく書き進められているが、間々実名を出し、実話めいた段もある。全体の構成は緊密ではないが、珠玉の小篇をちりばめ、人の情を中心的に描き出している詩的作品である。
(後略)

国史大辞典

ということで古歌など在原業平の逸話を重ねて描写してものであるということですね。
平安の作品で小話を集めた歌物語という親しみやすさから、江戸時代の人間にもよく読まれ、広重も触れていたのかもしれません。

『伊勢物語』「九 東下り」の中に宇津の山が登場します。
宇津の山の部分だけ『日本古典文学全集』より抽出して要約します。

京都から東に旅をしようとした世捨て人3人で一緒に旅立つことになった。3人は三河八橋を経て、駿河の宇津の山に着いた。細い道に入ると蔦や楓が生い茂り、心寂しく思っていると修行者と鉢合わせた。その修行者は旅人と見知った人物であったために今日にいる自分の妻に手紙を届けてほしいと歌を読んだ。
「駿河なるうつの山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」
富士山を見て、
「時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪のふるらむ」
この富士山は京で例えるなら比叡山を二十ほど連ねたくらいの高さで、形は塩尻のようだった。
そして一行は武蔵・下総へと歩みを進める。

といった内容です。
ここでの歌は
「駿河なるうつの山辺のうつつにも夢にも人にあはぬなりけり」
「時しらぬ山は富士の嶺いつとてか鹿子まだらに雪のふるらむ」

この2首で、一首めに宇津の山が登場します。
駿河の山辺に来ても人もいなく物寂しい。現実ではもちろん、夢の中でもあなたに会えないのですよ、、。という意味であるらしいです。

今日の人は富士山が見られないのか、初めてみる大きなの山に驚き、まだ山頂に雪が残っている様子を不思議がっています。

ここの細道は寂しい印象を持つもので、そしてその険しさゆえに不安になるスポットでもあるみたいです。

この蔦の細道を描いた絵画作品が存在しています。
浮世絵ではなく屏風絵ですが、非常に興味深い資料です。

東京国立博物館

深江芦舟の『蔦の細道図屏風』、18世紀の作品です。
この作品は『伊勢物語』「九 東下り」にちなんだ作品で、まさにこの絵の二人が京からの旅人であるのですね。
前方を進む青い衣服の男性が視線を送る山と山の間に大きな荷物を背負った人が去るのがわかりますね。彼がきっと手紙を頼まれて京へ戻る修行僧なのでしょう。
修行僧が描きこまれることでその視線がどうも儚いものに感じます。京に置いてきた妻を思ってこの道の寂寞感に押しつぶされそうになっているのでしょう。
深江芦舟は、尾形光琳に学んだ人のようで京都の人間なのですね。
なのでなおさらこの道を歩く旅人の寂しさ、心細さを投影することができるのでしょう。

今日は蔦の細道の『伊勢物語』での描写とそれを基に描かれた屏風絵を見ていきました。

今日はここまで!

#歌川広重 #東海道五十三次 #浮世絵 #岡部 #宇津之山 #蔦の細道 #東海道 #富士山 #伊勢物語 #宇津の谷峠   #アート #美術 #芸術 #日本絵画 #江戸時代 #江戸絵画

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?