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なぜ皆が同じ間違いをおかすのか「集団の思い込み」を打ち砕く技術

※読書をして自分なりにメモを書いたものをまとめています

自分を信じて、自分のために考えて、自分のために行動して、自分のために話して、自分らしくあろう。




何の根拠もないのに前に模倣してしまう
…”目立ちたくない” ”失敗したくない”

自信がある人に影響される
…それが自分より(実際に何の肩書きがなくても)高い地位の人だと尚更

自己修正は難しい
…(自分が間違っているという)事実を直視できない

「なぜ」を問う力

○○がそうしたから、今までそうだったから、
他者の選択の裏になる理由付けを考えてみる
わからない場合には質問してみる、話し合いをする

アイデンティティの罠を回避するには、さまざまな集団に属すると良い

…これは同感しました。個人的意見ですが、一つの会社にしか属したことがない人と、一回でも転職を経験した人では、考え方の幅が違うなと感じます。無意識に集団的な思考に自分の思考も思考も寄っていってしまう。それはいいことも悪いことも。
具体的な例で言いますと、私の最初の職場では積極的に有給を取ったり、子供のために時短勤務する人のことを軽んじる風潮がありました。
初めて勤めた職場でしたので、何の疑問もなく休むのは職務怠慢だと思っていました。たくさんの人と本と出会い、今では自分や大切な家族のために時間を取ることは全く悪いことではない、と思えています。

知識とアイデアの多様性を高める

…人間は本能的に排斥を恐れて多数に寄る
また、個人が(属している)集団を自分の力だと思い込む
昨今ではSNSが活発に利用されていて、ボットがかなり利用されている
実際に政治やプロパガンダでも利用されたことがある

反復バイアス(繰り替えられる情報が正しいと思い込むこと)

それによって、本来は少数派の意見だったとしてもボットによって多数派であると思い込む

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沈黙が肯定に受け取られてしまう
立場上勇気が出ない場合、「まだ決めてない」「その意見もわかるけど・・」これにより、その他の発言を尻込みしていた人に逃げ道を作る

沈黙の螺旋に囚われていないか?
相手の意見のどこに利点があるか?
自分にとって重要な問題について、多数派の意見に何の利点も見出せないなら、なぜ発言を躊躇うのか自分自身で問いかける


人間は模倣する本能がある

例えば、本当はこれにする!(これを買う!)と決めていたのに、別のものが欲しくなる(多数の他者が欲しいもの)
このように欲望が変化してしまうため、著者曰く警戒を怠らないことが必要
本当に欲しかったものか?

人間は自分が劣っていると感じると苦痛なので、他者を貶めようとする

その規範は正しいか?

規範は見直される機会がほとんどない傾向にある
そのため、有効期限が切れていても残り続けるリスクがある
(時代に適していない等)

遠慮して口を閉ざすことは、自分達以外の考えに触れる機会がなくなり、社会の分極化を推し進めることになる

人間がきちんと関係を構築できる人数は、せいぜい150人程度と言われている(それ以外はノイズである)

ほとんどの集団的幻想は誤りであり、人は誤解をするものだと知っておく

そもそも人は他者の考えを読むのが苦手

自己を過大評価している
ゆえにソーシャルメディアに頼っている

力を手放してしまう最も一般的な原因は、自分に力がないと思い込むこと
自分に正直になる=自己一致を高める
自信が高まると他者の行動への依存が下がる

他者を信頼する・・自分が信頼した相手も他者を信頼する・・自分も他者から信頼される
この良い循環ができる
・・・つまり人を信じがちな人は騙されやすいわけではない
”この人は信頼に値するか?”を問う(裏切られるコストに耐えられるか?)

信頼し、される関係が何を生むか?⇒幸福度が上がる
信頼することが個人と社会をより良くする

メディアが煽る分断を鵜呑みにしない
より良いコミュニケーションをとる

不正をしても、自分は正しいと思い込むことでさらに不正を重ねてしまう
(自分が悪いことをしているという罪悪感に耐え切れずに正当化している、その人にとっては正義になる)
自分が集団をミスリードしてしまうかもしれない可能性があることを理解する


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