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『関係性を築く』ということ

ここ最近書いていたnoteの続きが書けなくなるくらいには、自分の中で大きな出来事があった。それは私が宝物のように大事に大事にしてきた『関係性』が大きく揺らいだことだ。正直何をしてても考えない時間がないくらい自分の心を蝕んで、それはもう肉体ごとぺちゃんこになりそうなくらいの重さでのしかかる。大人になってから人間関係でまさかこんな気持ちになるなんて思わなかった。

でもそんな辛い想いをしながら、自分自身についてわかったことがある。

まず、自分はどちらかというと寛容な人間だと思っていたが全くそうではなかったということだ。なぜ自分のこと寛容な方だと思っていたかというと、今まで私は周りの人に対しいくらわがままを言われてもそれを飲んで、自分とは反対の意見でもそれを言わずに従って生きてきたからだ。例えば友達とランチのお店を決める時に、自分はすごくパスタが食べたい日でも、友達が『和食が食べたい!』と言えばあたかも自分も和食が食べたかったかのように振る舞った。事前に決められていたすごく楽しみな予定を相手の気分で変更されても、嫌な顔一つせず相手の気分に従った。
こう見ると、『本当の友達じゃないんじゃないか』『気を使いすぎでは』と思われる人もいるかもしれないが、私は親しい人にこそ積極的にこういった行動をしていた。自分の好きなことをするよりも自分の好きな人が喜ぶほうが嬉しいからだ。そして相手の要求に従いながら行動するのは案外楽だ。絶対物事が円滑に進むからである。衝突がなく、平和だ。

でも私が相手のために自分の心の声と違う言動を取る時、砂のように小さな小さな違和感や不満や、疲労が積もり積もっていたのは事実だ。それはやがて風が吹けば吹き飛んでしまうからなかなか積もることはないけれど、彼氏のようにかなりの頻度で会う相手だとそれが積もり積もって山になってしまうことがある。その砂の山が私の器からこぼれ落ちた時に、私は関係を断ち切っていた。砂が積もっていた時点でそれを減らす努力はしたことがなかった。

かん‐よう〔クワン‐〕【寛容】 の解説

心が広くて、よく人の言動を受け入れること。他の罪や欠点などをきびしく責めないこと。また、そのさま。「―の精神をもって当たる」「―な態度をとる」「多少の欠点は―する」

goo辞書より
https://dictionary.goo.ne.jp

今回起きた自分にとっての『大きな出来事』のおかげで、今まで私は誰のことも心で受け入れていなかったのだと気づいた。むしろ逆で、私は受け入れていたのではなく、だれも自分の中に入れようとしていなかったのだ。
人との関係性を築いていくためには、お互い受け入れてもらおうという努力をし、また受け入れる努力をしなければいけない。それには自分や相手の嫌なところも露呈するし、傷付けられたり傷ついたりするかもしれない。それでも許し合って、歩み寄ることで関係性は築けるし、関係性を築く上でそういった相手の欠点や間違いも受け入れる人が本当の『寛容な人』なのだと思う。

ちゃんとわかっているのに、何故出来なくなってしまったのだろう。
他人に期待せず、自分の中に受け入れなければ傷つかないことに知ってしまった私は、いつからか、私が自分の心の中を誰にも打ち開けらなくなってしまっていた。



唯一私に起こった出来事を相談をした望には、

『大丈夫、私たちは高校生のときにそれはもう何回もぶつかって関係性を築いてきたじゃん。過去にやってたんだから絶対できるよ』

と言われた。

衝突も喧嘩もしたし、たくさん泣いて、それでも相手にわかってもらおうと必死だったあの頃。建前とか、空気とか、そんなことはどうでもよくて、自分の本音を伝え合うことでしかコミュニケーションを取ることができなかった。未熟さ故のコミュニケーションでもあったけれど、それをしてきたからこそ今でも高校時代の(特に部活の)友達と変わらぬ信頼関係が築けているのだと思う。

私は歌を歌う部活だったのだけれど、特に集大成の公演がある学園祭前は、自分がからっぽになるくらい、これでもかと想いをぶつけ合ったのを思い出す。公演をより良いものにするための意見ももちろんであるが、自分が公演にかける想いや同期のことを大切にする気持ちまで今じゃ恥ずかしくなるくらい素直に語り合っていた。今思っても私の所属していた部活は、そうやって1人ずつ自分の気持ちを伝える機会をすごくたくさん設けて大事にしていたと思う。公演前はそうやって気持ちを高めてみんなと繋がることで、聞いてる人にも伝わるようないい歌が歌えるのだから本当に意義があることだと思う。


奇しくも、望にその相談をしていた先週末は私と望の母校である高校の学園祭の日だった。

インスタグラムでライブ配信をすると聞いたので、リアルタイムで公演が見れた。便利な時代だなあ。。。昨今はコロナの影響でかなり部員数も減って小規模での活動になってるとは聞いていた。全盛期と言われた私たちが所属していた時期の部員数と比べると確かに寂しい感じもあるが、仲間と目を合わせて歌う楽しそうな表情や、公演が終わったあとのやり切った顔は私が所属していたときとなに一つ変わっていなかった。きっと画面の向こう側のこの子たちも、ここにくるまでにたくさん悩んで、ぶつかりながらいろんなことを乗り越えてきたのだろう。

私がそうであるように、この子たちにとってもこの瞬間が一生の財産でありますように。
そして、私がこれから乗り越えなきゃいけないことと向き合う勇気をくれてありがとう。


傷つくことよりも、後悔をしたくないというのが今の正直な気持ちだ。人との関係性を築いていく上で傷付くことって避けられないけど、傷付く相手は選べる。相手は間違えたくない。

そもしお互いが傷ついても、お互いを思いやる気持ちで歩み寄りができたら、深い関係性を築くことができるし、今よりもっとたくさんの話ができると思う。私はまだまだ君に話したいことがたくさんあるよ。



今回は自分に喝を入れるためにも気持ちを文章に残すことにした。もし、私がこの出来事とちゃんと向き合って、乗り越えられて、それでまた試練があったときには『過去にやってきたんだから絶対今回もできるよ』と、今度は自分が自分に言ってあげたい。相手にも、物事にも、本当の意味で寛容な人間になるのが目標。


わたしがんばれ〜〜えいえいお〜〜😭

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