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似島のお話!(過去と未来編)

4月7日 桜が綻び始めて満開を迎え、ようやくまともに晴れた日曜日となった。

この春はやけに雨が多かった気がして、何処となく気持ちも薄曇りだったがこの土日は皆様もしっかり春を感じられた事だろう。

昨日のnoteでは広島湾に浮かぶ「似島ニノシマ」の、言わば「今」の部分を書かせてもらった。

前回少しだけ触れたのだが、この度私が似島に訪れた本当の目的は観光ではない。

過去にnoteで触れたかも知れないのだが、私は昨年から(愛媛で)児童養護に関わる個人的な活動を始めていた。

愛媛でその活動をこれから拡大しようとした矢先、広島に異動になったものだから一旦愛媛の方は保留し、広島にて白紙からのスタートを余儀なくされたのだ。

色々と調べていく中で似島に「似島学園」という社会福祉法人さんがあることを知った。

まずはここに訪れてみよう!

それが似島に向かった理由である。

勿論、こういった施設は基本的にアポ無しは控えている。子供達が過ごしている以上、何処の馬の骨とも分からない輩が訪れることは施設側に余計な負担を掛けかねないからだ。

なので今回は島を一周しながら、実際の似島の環境や学園の場所なんかをふんわり理解出来ればヨシ!と思っていた。

島を周ると、例えばしまなみ海道の島々とは少し様子が違う事に気がつく。似てるとしたら大久野島だ。

そう、似島には戦争の痕跡がはっきりと残っている。

埋められた防空壕の跡や、各種の軍の施設跡など。

検疫所の焼却炉跡

そう言った影を残しながら、今も島の生活は営まれている。

桜が綺麗だった
平和資料館の前庭
多くの遺骨が眠る

1894年、遥か130年前の日清戦争。

その帰還兵が持ち込んだ赤痢やコレラが日本中に蔓延した事があり、日本軍は国内三か所に大きな検疫所を設けた。

そのうちの一つがこの似島だ。

日本軍の兵士は一旦検疫を受けた後、それぞれの故郷に帰っていく。言わば似島は帰還兵の玄関であった。

日清戦争、日露戦争、第一次大戦を経て第二次世界大戦時も似島は検疫所として機能した。

その後、陸軍の弾薬庫や特攻隊訓練所など次々と似島の軍的機能は増えていく。

そして原爆が落とされ、検疫所は臨時野戦病院として広島から多くの怪我人が運び込まれた。

当時収容された怪我人は一万人を超え、うち7割が命を落とした。個人を特定する猶予もなく、荼毘に伏されたり土葬されたのだった。この島で。

戦争の善悪を語るつもりはない。人間が人間である以上、必ず諍いは起こる。

日本も海外でたくさんの民間人を殺している。

昔、祖父が「饅頭欲しさに中国で民間人を襲った事があった」と聞いた時は本当に悲しかった。

そんな過去を持つ検疫所を戦後活用したのが似島学園だ。

戦災孤児が広島には多かったのだが、その子供たちを保護する施設として生まれた。

今は児童養護施設、就労支援などを目的として運営されている。愛媛県で私が訪れていた施設より、より広範な機能を有している。

学園の近くまで自転車を走らせていると、高校生くらいの子達が農具を持ちながら移動しているのとすれ違った。

「こんにちは!」

元気よく掛けられた声は、晴れた空のようだった。

彼らは親元を離れて、学園で暮らす子供達だろう。

色んな気持ちを感じながら、学園の事務所を訪れてみた。

その時「なんでしょう?」と出てきてくださった方が、実は施設長様だった。


「初めまして」

これまでの経緯や自分がやろうとしている事など、色々お話をさせていただき、改めて面談の機会を快く頂く事ができた。

いきなり施設長様とお会い出来、話がうまく行きすぎたと思うが、ご縁があったのだろうと思う事にした。

少しだけ施設長様から聞いた「抱えている問題」。

つい先日も生徒さんが障碍者雇用枠で某有名引っ越し会社に雇用が決まり働き始めた所、数日で

「コミュニケーションが取りにくい」

との理由で継続雇用を断られたとの事。

いやいや待てよ!と。

だから国から企業には雇用促進のお金が払われてるだろって!

コミュニケーションが取りにくいのは織り込み済みだろ!

頭の中が怒りで埋まった。

少し想像してみてほしい。

自身が障害を持つと理解し、それでも働くために障碍者枠でも頑張りたいと思って働き始めて。

コミュニケーションが取りにくいと解雇された時の気持ちを。

この国には、そう言った事例は山ほどあり、本気でそれをどうにかしようとする人は少ない。


戦争の悲しい記憶から、子供達が何とか明るい未来へ自身の足で歩いて行けるようにとの想いが詰まる場所。

それが似島の本質だと私は感じた。

過去と現在と未来。過去は変えられないが、未来は必ず変えられる。願うだけじゃダメだ。足りない。

汗をかき、走り回りながら変えていきたいし、そうするつもりで私は今日も明日も生きていこうと思う。

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