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あの頃の肌のやわらかさを覚えている



雑記で~す

・あの頃の肌のやわらかさを覚えている
・みじめでかわいそうで情けない自分を愛する
・いつまでも根に持つのはその場で怒りを表明できないからで


・あの頃の肌のやわらかさを覚えている
覚えている。卒業以来、会っていない同級生と偶然会った。お得意の社交辞令と八方美人で連絡先を交換して、思ってもいないのに「今度会おうよ」「ごはんいこう」と言ったし、相手も「そうだね」と言った。2か月後になるわ、と連絡が来てほっとした。そして2か月後にちゃんと連絡がきて、会うことになった。不思議と嫌な気持ちはない。もちろんうれしいとも思っていないが。あの頃の彼女は、そしてあれから数年後の彼女を人づてに聞いた話では、奔放で、自由で、少し無礼で、正直で、でもよく笑ってかわいらしい色気がある人だった。仲が良かったわけでも悪かったわけでもないが、少なからず彼女に触れたことがあるらしい。ふわりとした生ぬるい彼女の肌のやわらかさを覚えている。


・みじめでかわいそうで情けない自分を愛する
午前中からPCに張り付いて、息つく間もなく仕事をした。電話の音に集中を遮られ、給湯室へ向かう。給湯器には煎茶、ほうじ茶、麦茶、冷水・お湯の選択肢がある。給湯器に入るギリギリのサイズの水筒を置き煎茶(温)のボタンを押した。1回の給湯では、水筒はいっぱいにならないから、終わったタイミングを見計らってノールックで煎茶(冷)のボタンを押す。シンクから水の流れる音がする。スマホから目をはなすと、お茶が流れていた。水筒を置く場所がお茶の打点を大きく外れており、給湯されるお茶はすべて受け皿の中、すなわちその先のシンクに向かっていた。
仕事は上手くいかないし、好きな人のことを思う気持ちとは裏腹にうまく振舞えないし、来年のゲッターズは最悪だし、お茶の打点は見誤る。何ならできるんだ。かわいそう。みじめだね。情けないね。ツイッターに愚痴をこぼして、水筒の位置を戻す。
ダバダバと流れる緑色の生ぬるい液体と、私と、何が違うんだろう。ユーモアかな。じゃあいいか。まだ大丈夫。

・いつまでも根に持つのはその場で怒りを表明できないからで
「彼氏とはうまくやっとるんか」と言ったのは、私のだいすきなおじさんで、彼は私が大事にされることを望んでいる。幸せにはならなくていい、そんなものは自分で努力して作るもので、大事にされることは他人の人間性に委ねられている部分もあるから、とかなんとか。そう言ってくれたときから、このおじさんが大好き。
冒頭の問いには、「最近ちょっとイライラすることが多くて」と回答した。「ちゃんと思ったことは言わんといかんぞ」と言う。あんたはなんで私の性質が分かるんだ。
怒りをその場で表明できない。例えば、シェアしようと言って買ったものを少しだけしかくれないこととか、その時の態度とか、すごく嫌だった。私の家をホテル代わりにしたくせに、一言も感謝がなかったのも嫌だった。他にもいろいろあるけれど、私はその場では何も言えない。ひとりでモヤモヤして、今も思い出せるほどには根に持っている。言わないから根に持つし、解決しない。発せられない言葉たちは無いのと同じなので。そんなことばかり考えて、考えてはいるのに言えないのだから、救いようがないな。



最近、久しぶりに思考する余裕ができた。考えることはライフワークだった。内省的なことがプラスになるようにしたいところですね。考えることしかしなかった場合、ただのネガティブになるので。

おわり。




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