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なぜ潤わなければならないのか


乾燥は嫌われる。
カサついて毛羽立って、触り心地も見た目も良くなく、乾燥していて良いのは薪ぐらいか?
私の頭でパッと思い付くのは薪だな。
他にもあるのだろうけど、乾いていればいるほど良いもの、乾いていることを褒められるもの。

潤いは好かれる。
言い方によっては湿気や膿のように嫌われるが、潤っていて喜ばれないものもそうないだろう。
水がないと生きていけない生き物には、潤いは必須だ。


どちらも、程度の問題だとまとめてしまえばこの話は終わりだ。
要はバランスなのだと、潤いと乾きがどちらもバランスが取れている状態を整いというのだと、頭では理解できる。


乾きも潤いもどちらも自然で、どちらも勝手に存在しているが、地球上のどこかの部分ではどちらかに偏りが見られる。
私の体においても同じだ。
どこかは乾いていたり乾きすぎて不快感すらあったり、どこかはべたついて苛つきのきっかけになったりする。
体が乾いていたり潤っていたり、ただそれだけのことで感情が動くのは女だからか?


美のためには整いは前提だ。
整わせるためにアレコレするのだ。
アレコレして整わせたところに、美しく見えるようにアレコレを施すのだ。

整っているのが通常運行なら、何もする必要はない。
必要はないが、「楽しいから」とか「整っていると自分では思えないから」とか「世間のルールに合わせて」とか、様々な理由で女はアレコレしたがる。
なぜなのかは今は考えたくないので、そういうものなのだとこじつけておく。


水も乾きもどちらも自然。
ヒトも自然。
張り巡らされた血管も自然。
喉が乾くのも自然。
私がこうして色々考えるのも自然。

考えたことを口にできないのは性格。
性格は自然か?
勇気がないのは自然か?
潰瘍性大腸炎になるのは自然か?
円形脱毛症になるのは自然か?

自分が苦しいことを自分の都合のいいようにこじつけて、考え続ける理由にしている。
私は勇気のない自分を自分で責めて、自分を苦しめている。
バカである。


汗は自然。
体から体の外に出ていくもの。
汗をかくのが下手な私は汗どころか様々なものを体に溜め込んで、腐らせて毒にしている気がしてならない。
だから吐き出せる場所を見つけるのがいい。
勇気がなくても出せる場所。
長期間溜め込まれて潤いどころじゃなくなったドロドロのやつを体の外に出して、蛇口をひねるだけで飲めるありがたい水を取り込んで、汗として尿として唾として涙として巡らせて、バランスを取れるようになっていきたいのだ。


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