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上に登るだけが人生じゃない

さとしです😃

今日もnoteクリエイトを
積み上げます。

1.プライドの塊だった

「一応アスリートです」と
言えなくない程度に
学生時代はスポーツに打ち込んでいた。

せっかくだから
特別な何かになりたいと
バドミントン部で一生懸命練習をして
都道府県の大会でも
まずまずの成績を収めることができた。

とにかく負けず嫌いだった。

特に
自分の見えている世界が
すべてだと思っていた頃

見えているすべてに
負けたくなかった。

始めて間もない頃
実業団選手と対戦させてもらう
機会があったけれど

圧倒的にやられて
悔しくて泣いた記憶がある。

始めて間もない
中学生が実業団選手に勝てるわけない。

それでも

とにかく勝ちたかった。
負けることが嫌いだった。

やがて

自分の見えている世界で
勝てるようになってきたときに

プライドが満たされた。

さらにさらにと
より高い環境に進み

自分の見えていない世界が
常にあって

上には上がいることを知った。

2.多様性の時代

強くなることは
大切なことだった。

もちろんメリットがある。

だが

上を突き詰めるだけではなく
横に広げていくことが
優位に働くことも多くある。

一つのことを極めることは
それはそれで素晴らしいけれど
ライバルもたくさんいる。

最近思うことは
自分が持つ特徴を掛け算することで
個性を尖らせることが大切だということだ。

僕の例で言えば

バドミントンに打ち込んでいた人

という特徴一つでは
全国大会・世界大会で優勝する人もいるなかで
僕の特別な個性とはなりえない。

バドミントンに打ち込んでいた
公共団体の職員である。

とすると
仕事とバドミントンのスキルを
効率よく高める方法について詳しい人に
なることができる。

実は
高校最後の大会で
僕は思うような結果を残すことができなかった。

そこに
勝てない悔しさを知っている人
という特徴を掛け算することもできるかもしれない。

3.上に登るだけが人生じゃない

このように考えていくと
上に登るだけが人生じゃないと感じる。

そもそも
なんのために勝ちたかったのか

それは、おそらく
承認欲求を満たすためだ。

「特別な存在になりたい」
というのは厳密には違っていて

「特別な存在だと思ってもらいたい」
というのが本心だ。

ならば
プライドの高さが鼻についても
承認欲求が満たされるか微妙なところ。

だから
「何を与えられる存在か」
ということが大切なのかもしれない。

上に登るだけが人生じゃない
横に広げることも大切だ。

上を突き詰めると
視野が狭くなる
見える人の数も少ない。

もちろん質を高めることは
大切だけど

幅を広げることで
新しい他者や
新しい自分自身と

出会うことが
できるかもしれない。


おわり

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