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映画 『あの頃。 』 を観て〜 私がモー娘。禁止令を出されていたあの頃

松坂桃李が「あやや推し」のハロプロヲタクをリアルに演じることで話題の、今泉力哉監督の映画『あの頃。』が2月19日に公開される。

先日、この映画の試写を観る機会があり、自分自身のハロプロにまつわる記憶と重ね合わせながら余韻に浸っていたら、急に思い出したことがある。
私には、「モーニング娘。禁止令」を出されていた時期があったのだった。
劇中では、2004年頃からのハロー!プロジェクトのアイドルたちがストーリーの背景として描かれているのだけど、そのさらに数年前くらいの、モーニング娘。黄金期と呼ばれている時期のこと……当時私は小学生だった。

モー娘。熱が爆発しすぎたあの頃

なぜ私がモー娘。禁止令を食らったかというと、わかりやすく学校の成績が落ちたとかお小遣いを浪費したとかそういう理由ではなく、たぶん、あまりにも夢中になりすぎて、モー娘。のこと以外考えられなくなってしまったからだと思う。
(モーニング娘。のことをハロヲタは「モーニング」と呼ぶことが多く、映画の中でもそうだったが、私たち当時の女子小学生の間では「モー娘。(もーむす)」が通称だったので、ここでもそう呼ぶことにする。)

2000年、モーニング娘。に辻希美、加護亜依、石川梨華、吉澤ひとみの4人の4期メンバーが入った頃から、私のモー娘。熱は爆発した。
推しは加護ちゃん。ななめ分けの前髪からのぞく、細い平行めの眉とびっしりのまつ毛がカールされた黒めがちな目が唯一無二だった。
覚えたばかりのインターネットで、私は早速「あいのせかい。」という加護亜依ファンサイトに入り浸った。サイト名もページデザインも鮮明に思い出せる。加護ちゃんの写真の壁紙画像などが勝手に配布され、掲示板ではファンが語り合っている非公式サイトだった。
一方、ほぼ毎月読んでいた雑誌『なかよし』では、マンガ『娘。物語』の連載がはじまった。これは1話ごとに主にひとりずつのメンバーが主人公として取り上げられ、モー娘。に入るまでの思いや入ってからの葛藤などが描かれるストーリーだ。ふろくには、マンガの絵と写真が両面に載ったポスターや、メンバー全員の絵がついた缶ペンケース、フィギュアまでがついてきて、女の子の友達の間では、それを持っていることがステイタスみたいになっていた。
スーパーに行けばポッキー(ムースポッキー復活してほしい……)にモー娘。のシールが入っているし、飲茶楼というペットボトルドリンクにもモー娘。のチャームがついてくる。
当時小学3、4年生だった私たちにとって、モー娘。はテレビの中の存在というだけでなく、もはや生活の一部だった。

推し愛がおかしくなったあの頃

翌年、5期メンバーが加入すると、今度は最年少の新垣里沙ちゃんに夢中になった。
メンバーのなかで年齢がいちばん自分に近くて、一生懸命頑張っている姿が身近に感じたというのもあるのだろうか。
新垣さんはのちに「プラチナ期」と呼ばれる時期を支えた実力派として高い評価を受けているが、加入当時は「コネで入った」という噂が立ち、その誤解からバッシングを受けていた。それは、小学生だった私がファンサイトを見ているだけでも伝わってくるほどの露骨なものだった。本人はバッシングに気づいてないといいなあ、と小学生ながらに私は祈っていたけれど、最近のインタビューを読むと、もちろん気づいていてとても苦しい時期を過ごしていたという。だけど一部の応援してくれてる人に救われたって新垣さんは振り返っていて、よかった、自分もその一部で……と私こそ今救われたような気がするのだった。
デビュー当時の、たっぷりした黒髪のツインテールにおでこ出し、太いまゆ毛という彼女のチャームポイントも、ひとりだけ流行に乗っていなかったので(そのあどけなく不思議な感じに私は惹かれたのだけど)、私たちのようなちょっと下の世代は、垢抜けているメンバーのほうに憧れがちのようだった。
でも私は新垣里沙ちゃんがいちばん好きだった。ここに大ファンがいるって、とにかく伝えたかった。
ファンサイトを巡り、ファンアートを描き、ファンレターをたびたび出した。もちろんカードなどのグッズも集めていた。
そしてついには、新垣里沙ちゃんと友達になりたいがために「モー娘。のオーディションを受ける!」と言い出した。ダンスも歌も演技もできないし、ルックスも性格もとてもじゃないけどアイドル向きじゃないのに……!
相当おかしくなっていたんだと思う。
私にとっての「推す」という感情は、「応援する」とか「魅力を布教する」とかを超えて、「友達になりたい」に至ってしまうようだ。
だから私は今も昔も、自分を「ヲタク」だとは思っていない。
さらに大人になった今は、「一緒に仕事をしたい」という感情も加わる。生活が懸かってくるような執念だと思う。今となっては、親がこれは禁止したほうがいいと考えたのもちょっとわかる。

ついにモー娘。禁止令が出されたあの頃


そう、そんな私を見かねて、親は私に「特別なとき以外は、モー娘。のグッズを買ったり番組を観たりするのを禁止」と言い渡したのだった。
そんなことを言われていた子は他にもいたんだろうか。小学校のクラスメイトたちからは笑われた。
モー娘。全員がプリントされた公式グッズのステーショナリーなどが至るところで売っていた頃だったのだけど、私はそれを買うことができなかった。でも、クラスの中でいち早くモー娘。グッズを集めまくっていたギャルが、自由帳を一冊分けてくれた。私はそれをひきだしの底に大事にしまった。
そんな感じで堂々とグッズを持つことはできなくなったのだけど、もはやインターネットの時代だ。
グッズや雑誌やテレビがなくても、情報にはいくらでもアクセスできたし、今でいう推し活アイテムのようなものは自分でつくることができた。むしろ禁止と言われるとさらに、私の熱は高まっていったような気がする。
インターネットでファンサイトを巡って画像を保存しまくり、ライブやテレビ番組のレポートを読んで発言を集め、似顔絵を描き、ノートにポエムを書いた。
結局はインターネットの恩恵を受けて、禁止令はあってないようなものだったのだ。

そんな感じで私は浮き足立ったまま中学受験をし、地元福岡の女子校に合格した。
それをきっかけに、モー娘。まわりのあれこれもようやくゆるやかに解禁された。
そのとき買ってもらったCDアルバムが、「プッチベスト3」だった。
松浦亜弥の「♡桃色片想い♡」をはじめ、藤本美貴「ロマンティック 浮かれモード」、カントリー娘。に石川梨華「初めてのハッピーバースデイ!」など、今振り返ると時代を代表するような名曲揃いのベストアルバムだ。
まさにこのアルバムに入っている曲の数々が、映画『あの頃。』の中で流れるのを聴いたとき、小学生に戻るような心地がしたのも束の間、私は熱狂する成人男性たちをみて、こういう形での推し方もあったのか!とカルチャーショックのようなものを感じた。
サブカル臭がすごいハコでハロプロメンバーの魅力を(暑苦しく!)語るイベントを開いたり、ハチマキを巻いてコンサートで叫んだりする。そして仕事や生活でストレスばかりでも、あややの笑顔を見たら全部吹き飛んで頑張れる、と語る。

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そういえばあの頃小学生(しかも地方の)だった私たちは、現場に行くということができなかったんだ。そして子どもだったから、仕事も勉強も、何にも追われてはいなかった。ただ、大人から教えられるままに、変わらない毎日を生きていた。
そんな、子どもにも大人にもなれない日々の中でモー娘。がみせてくれたのは、ひとりひとりが違った輝きかたをしている、きらきらした女の子たちの世界だった。
たとえモー娘。には入れなくても、それぞれの場所で私たちひとりひとりがあんなふうに輝けるんだって、あの頃の私は夢みていたのだ。

『あの頃。』のラスト間際で、松坂桃李演じる「劔」が語る、現在の道重さゆみについての台詞が胸に響いた。
30代に突入した今、あらためて決意する。これからは、超超かわいい でいこう! 

( 大石蘭 )


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