見出し画像

あの日見た景色

男はゆっくり上体を左へ傾け、右のポケットからハイライトを取り出した。

左手の人差し指と中指を重ねて箱をトントンと叩き、せり出てきた一本に顔を近づけ、前歯でつまみ上げる。

箱をカウンターに投げるようにして置くと、同じく右のポケットから、着火回数三千回を誇るBICの黄色いライターを取り出した。

そして首を右に傾げながら「ジャッ」とヤスリを回転させる。 ところが火花が散るだけで、火が立たない。

再度「ジャッ」。 繰り返し「ジャッ」「ジャッ、ジャッ、ジッ・・・」。

つかない。

そこでライターを二三度振って、再度試みるもダメで、BICをカウンターに転がした。

男は能面のような顔をして火の無いタバコをくわえたままこちらを向いた。

しばし間を置いて向き直り、それから奥に座る女性のほうへ身を寄せ、くわえタバコをはずしながら「すみません、ライターお借りできますか」と訊いた。

白髪を綺麗に束ねた女は「え?」と発しながらポーチを開いておもむろにZIPPOを差し出した。 すでに男は右手を開いて、ライターが差し出されるのを待ち構えていたものの、突如現れた物々しい純銀製の着火具に、受け取るのをためらってしまった。

そこで女は「ティン」と親指でケースを弾くやいなや、すかさずフリントホイールを回転させ着火し、そのままグイと差し出した。 男は「すみません」と言いながらタバコを近づけ、ようやく火にありついた。

そして浩然と紫煙をくゆらせながら、ホッピーのおかわりをオーダーしたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?