見出し画像

本当は長所も短所もないんじゃね。

自分の長所とか短所を初めて考えたのは高校入試の時だったと思う。正確に言えば「考えさせられた」のだけど。

入試に使う資料に「長所はなんですか?短所はなんですか?」ってあったら考えて書くしかないでしょ。なんだかんだと聞かれたら、答えてあげるが世の情けってやつです。(byロケット団)

その時、長所はパッと出た記憶がある。なんて書いたか忘れたけどこれだよな、ってのがすぐ見つかった。問題は短所だった。全然出てこないのよ。別に成績良かったわけでもないし、部活で活躍していたわけでもない。何の目立った能力もなかった。けど短所はないと思った。

全然思い浮かばないから短所は空白にして先生に出したら「ここを直したいと思うところを書いてみて」って言われた。だからないんだって!ないから空白であって空白が答えだったんだよ。でも書かないと先に進まなそうだから渋々。それっぽいことを書いた。その時、心がちょっとくぼむような感じがした。

社会に出る時はもっと大変だった。

自己分析。企業様がわかるように自分という商品をパッケージングしましょうね、というあれ。

その時もやはり短所はない、が答えだった。驕っているわけではなくてね。その時のそのままの自分が好きだったから。無理矢理短所を見つけるのって不毛だと思っただけ。でもここでも書かないと先に進まなそうだからそれっぽい事を書いた。


社会人になってからはよく「マイペースだ」って注意された。個人的にはそれは長所だと思っていることなのに、周りにはそれが短所としてとらえられている事にショックを受けた。信じていたものとか大切にしていたものを否定されるって結構ダメージがでかい。そこから「自分を変えよう」って考えるようになった。でもこれが地獄の始まりだったんだ。

変えよう!と思って取り組んでもそんなに簡単に変わらない。変わるはずがない。潜在的にはそれが自分らしくて好きだと思っているところだもの。で、変えられなくて凹む。そうすると自分の性格がだんだんと短所だらけに見えてくる。まるでオセロ。白かった盤面が一気に真っ黒。自己嫌悪自己嫌悪自己嫌悪。

20代の半ば頃は自己嫌悪と自分探しの旅ばかりだった。

散々考えてようやく考えがまとまったのが最近。

結局自分は変えられないし、長所も短所もないからそのままでいい。

例えばアンパンマン。清く正しい正義の味方。長所しかなさそうな存在だけど嫌いな人は嫌いじゃん。逆に悪さばかりしているバイキンマンを好きな人がいる。

結局のところそういうことだし個性は環境によって評価が左右される。

だからわざわざ苦しい思いして変わる必要ってないんじゃないのかなーって思う。正しさとか社会的に良いとされている長所を追うって無個性になることでしょ。それってどうなんだろうね。それが大人になることなら俺は大人にならなくていい。

人からの評価ではなく、自分との対話を大切にしたいね。

「案外いい事書くじゃねーか」と読後に思ったらサポートお願いします。サポートよりもフォローして文章読んでもらえる方が嬉しいです。