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過度な商業主義の終焉

最近、一部の話ではありますが「売り上げをあげます」という営業文句があまり響かなくなりました。日本はお金を稼いでも、忙しくなってプレッシャーがかかるだけだし、贅沢な暮らしをしなくても幸せだということに気づいたからかもしれません。

お金稼ぎという車輪を回し始めると、もう歯止めがきかない。あの車会社さんのようにお客さんを騙してでもお金を稼ごうとするんです。

「もう24時間営業じゃないでいいんじゃないの」
「高級レストランで食べても、家でご飯食べてもさほど満足感は変わらないよ」
「高級車に乗っている人ほど、運転マナーが悪い。身の丈の車でゆっくり走ろうよ」
「海外旅行もいいけど、近所の神社も素敵だよ」などなど。
日本人は、1980年位から始まった「商業主義」って、あんまりいい結果を招かなかったなってことに薄々気づき始めているのかも。

昨今の昭和ブームは、「商業主義」に走る前のどこか温かみがあり、他人にやたらと絡む日本を懐かしみ、憧れ始めているのかもしれません。
ただ、もちろんあの時代がいいことばかりじゃないことは分かっています。(トイレ、お風呂などの生活レベルや道路のインフラなど、当時はまだまだひどいものでした)


今、なぜか故・山田太一さんの『男たちの旅路』という1976年のNHKドラマを見ています。ガードマン会社という設定で、特攻隊の生き残り鶴田浩二が当時の若者・水谷豊、柴俊夫と「上司と部下」という関係性。とにかく鶴田浩二が2人の若者をぶん殴るんです。今では考えられないけど。
あるSCENEで、鶴田浩二は、柴俊夫をぶん殴ります。深夜、自分の警備範囲以外で、女性の助けを求める声が聞こえたのに助けに行かなかったからだ。
「そこは自分達の警備範囲以外」だと言い訳する若者に向かって、鶴田浩二は「範囲をはみ出さない奴は人間じゃない。はみ出さない奴は俺は大っ嫌いだ」とぶん殴る。
久々に人間らしい大人を見たなと思いました。
今の大人って、「自分の範囲以外は関わるな。こちらの責任になる」っていうでしょ。


お、「過度な商業主義の終焉」という話から離れてしまいましたが、何を言いたいかというと、お金稼ぎのことばかり考えてないで、もっと他人に絡んでいっていいんじゃないかって思うんです。
困っている人がいたら知らんぷりじゃなくて、絡んでいっていいんじゃないかって思うんです。
独りでさみしそうにしているお年寄りがいたら、「天気いいですね」でもいいから絡んでいっていいんじゃないかって思うんです。
夜のバーガーショップで泣いている若者がいたら「君の未来は明るい」って声かけていいんじゃないかって思うんです。
会社で孤立している人がいたら「たまには飲みに行きますか」って声をかけていいんじゃないかって思うんです。
でもこれは自分に余裕がなければできません。
お金稼ぎ合戦で目の色が変わっていたらそんなことをする余裕はありません。
さぁ、「商業主義」のアクセルを少しゆるめて、他人に絡んでいけば、もう少し温かみのある国に変わっていくことでしょう。

そういえば、20代前半、早稲田の3万3千円の風呂なし共同トイレの下宿に住んでいるとき、クリスマスに独りで家にいると、大家さんが「浦澤さん、おこわ作ったから食べる?」なんて声かけられると、何も用事がない自分が恥ずかしくて、「ちょっと出かける用事があって」なんて断って、冬の早稲田の街をぶらぶらしてたな。余談ですけど。

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